万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その836,837,838)―高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(9,10、11)―万葉集 巻四 六三二、巻十六 三八七二、巻十九 四一五九

―その836―

●歌は、「目には見て手には取らえぬ月の内の桂のごとき妹をいかにせむ」である。

 

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高岡市万葉歴史館(9)万葉歌碑(湯原王

●歌碑(プレート)は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(9)である。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その465)」のなかで紹介している。

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◆目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責

               (湯原王 巻四 六三二)

 

≪書き下し≫目には見て手には取らえぬ月の内の桂(かつら)のごとき妹(いも)をいかにせむ    

 

(訳)目には見えても手には取らえられない月の内の桂の木のように、手を取って引き寄せることのできないあなた、ああどうしたらよかろう。((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)月の内の桂(かつら):月に桂の巨木があるという中国の俗信

 

 

 

―その837―

●歌は、「我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」である。

 

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高岡市万葉歴史館(10)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(10)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その798)」で紹介している。

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◆吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 ゝゝ者雖来 君曽不来座

             (作者未詳 巻十六 三八七二)

 

≪書き下し≫我(わ)が門(かど)の榎(え)の実(み)もり食(は)む百千鳥(ももちとり)千鳥(ちとり)は来(く)れど君ぞ来(き)まさぬ

 

(訳)我が家の門口の榎(えのき)の実を、もぐように食べつくす群鳥(むらどり)、群鳥はいっぱいやって来るけれど、肝心な君はいっこうにおいでにならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)もり食む:もいでついばむ意か。

(注)ももちどり 【百千鳥】名詞①数多くの鳥。いろいろな鳥。②ちどりの別名。▽①を「たくさんの(=百)千鳥(ちどり)」と解していう。③「稲負鳥(いなおほせどり)」「呼子鳥(よぶこどり)」とともに「古今伝授」の「三鳥」の一つ。うぐいすのことという。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

―その838―

●歌は、「磯の上のつままを見れば根を延へて年深くあらし神さびにけり」である。

 

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高岡市万葉歴史館(11)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑(プレート)は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(11)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その600)で紹介している。

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◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里

              (大伴家持 巻十九 四一五九)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり

 

(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

標題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。

 

題詞は、「過澁谿埼見巌上樹歌一首  樹名都萬麻」<澁谿(しぶたに)の埼(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹(き)を見る歌一首   樹の名はつまま>である。

 

 とやま観光ナビHPの「越中万葉歌碑(つまま小公園)」に次のように書かれている。

「この歌碑は、1858年に大田村伊勢領の肝煎(村長)宗九郎が建立したとされています。天平時代、家持が越中国射水郡渋谷の崎の岩上の磐根を露出した見慣れない大樹に驚き、何よりもまだ耳にしたことのない『都万麻』(つまま)の名に異郷の風土を感じ、『都万麻』の歌を詠じました。宗九郎は、都万麻はタモノキであると推定し、一本のタモノキとこの歌碑を置いたとされています。『磯の上に立つつままを見ると、根をのばして歳月を深く経ているらしい、なんと神々しいさまだ。』という意味の歌を詠んでいますが、家持が見たのは、どんな木だったのか今でも議論になっているようです。この地を訪れて、家持が見た都麻々を想像してみませんか。」

 

つまま公園の歌碑は、今回の越中万葉歌碑めぐりで、是非訪れたいと思っていた一つである。歌とは、高岡市万葉歴史館四季の庭で対面したが、明日、この歌碑を澁谿(今の雨晴海岸)で見て、歌をもう一度じっくり味わいたいと思ったのである。

 

 「つまま」を詠んだ歌は、万葉集ではこの一首だけである。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「越中万葉歌碑(つまま小公園)」 (とやま観光ナビHP)

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務