万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その841)―高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(14)―万葉集 巻十七 三九四二 

●歌は、「松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ」である。

 

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高岡市万葉歴史館(14)万葉歌碑(平群氏女郎)

●歌碑は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(14)にある。

 

●歌をみていこう。

題詞は、「平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首」<平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)、越中守(こしのみちのなかのかみ)大伴宿禰家持に贈る歌十二首>である。

 

◆麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追

               (平群氏女郎 巻十七 三九四二)

 

≪書き下し≫松の花花数(はなかず)にしも我が背子(せこ)が思へらなくにもとな咲きつつ

 

(訳)ひっそりとお帰りを待つ松の花、その花を花の数のうちともあなたが思ってもいらっしゃらないのに、花はいたずらに咲き続けていて・・・。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

他の十一首をみてみよう。

 

◆吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母

                (平群氏女郎 巻十七 三九三一)

 

≪書き下し≫君により我が名はすでに竜田山(たつたやま)絶えたる恋の繁(しげ)きころかも

 

(訳)我が君のせいで私の浮名はとっくに立ってしまったという名の竜田山(たつたやま)、その名のように断ち切ったはずの恋心が、しきりにつのるこのごろです。「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)上三句は二重の序。上二句が「竜田山」を起こしつつ下二句に響き、上三句が「絶ち」を起こす。

(注)「孤悲」と表記しているのは、書き手の遊び心であろう。

 

須麻比等乃 海邊都祢佐良受 夜久之保能 可良吉戀乎母 安礼波須流香物

                 (平群氏女郎 巻十七 三九三二)

 

≪書き下し≫須磨人(すまひと)の海辺(うみへ)常(つね)去らず焼く塩の辛(から)き恋をも我(あ)れはするかも

 

(訳)須磨の海人(あま)が海辺にいつも居ついて焼く塩、その塩のように辛(から)くもせつない恋なんぞを、私はしています。(同上)

(注)上三句は序。「辛き」を起こす。

 

◆阿里佐利底 能知毛相牟等 於母倍許曽 都由能伊乃知母 都藝都追和多礼

               (平群氏女郎 巻十七 三九三三)

 

≪書き下し≫ありさりて後(のち)も逢(あ)はむと思へこそ露の命(いのち)も継ぎつつ渡れ

 

(訳)変わらぬ心をずっと持ち続けて、のちのちきっと逢おうと思う、だからこそ、はかないこの露の命もわずかに繋(つな)ぎとめて、日々を過ごしているのですが・・・。(同上)

(注)ありさる【在り去る・有り去る】自動詞:ずっとそのままの状態で過ごす。このまま時が過ぎる。 ※「あり」は継続して存在する意。「さる」は時間が経過する意。(学研)

 

◆奈加奈可尓 之奈婆夜須家牟 伎美我目乎 美受比佐奈良婆 須敝奈可流倍思

                (平群氏女郎 巻十七 三九三四)

 

≪書き下し≫なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならばすべなかるべし

 

(訳)いっそのこと死んでしまったらどんなに気楽なことか。あなたにお目にかかれぬままに久しくなったなら、どうしてよいのやら処置なしになってしまうことでしょう。(同上)

(注)なかなかに 副詞:①なまじ。なまじっか。中途半端に。②いっそのこと。かえって。むしろ。(学研) ここでは②の意

(注)ひさなり【久なり】形容動詞:時間が長い。久しい。(学研)

 

◆許母利奴能 之多由孤悲安麻里 志良奈美能 伊知之路久伊泥奴 比登乃師流倍久

                (平群氏女郎 巻十七 三九三五)

 

≪書き下し≫隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ひあまり白波(しらなみ)のいちしろく出でぬ人の知るべく

 

(訳)隠り沼のように心の底に隠していた恋心が溢(あふ)れ出て、白い波頭(なみがしら)のようにはっきりと現れてしまいました。世間の人が知ってしまうほどに。(同上)

(注)三〇二三歌と全く同じで、これを利用している。

  参考:隠沼乃 下従戀餘 白浪之 灼然出 人之可知(三〇二三歌 作者未詳)

 

◆久佐麻久良 多妣尓之婆ゝゝ 可久能未也 伎美乎夜利都追 安我孤悲乎良牟

                (平群氏女郎 巻十七 三九三六)

 

≪書き下し≫草枕旅にしばしばかくのみや君を遣(や)りつつ我(あ)が恋ひ居(を)らむ

 

(訳)草を枕の旅に、いくたびもいくたびもこんなふうにあなたを行かせてしまっては、いつもひとり恋い焦がれていなければならないのでしょうか。(同上)

 

 

草枕 多妣伊尓之伎美我 可敝里許牟 月日乎之良牟 須邊能思良難久

               (平群氏女郎 巻十七 三九三七)

 

≪書き下し≫草枕(くさまくら)旅去(い)にし君が帰り来(こ)む月日を知らむすべの知らなく

 

(訳)草を枕の旅に遠く行ってしまわれたあなたが、いつ帰って来られるのか、その月日を知る手がかりさえもわからなくて・・・。(同上)

 

◆可久能未也 安我故非乎浪牟 奴婆多麻能 欲流乃比毛太尓 登吉佐氣受之氐

               (平群氏女郎 巻十七 三九三八)

 

≪書き下し≫かくのみや我(あ)が恋ひ居(を)らむぬばたまの夜(よる)の紐(ひも)だに解(と)き放(さ)けずして

 

(訳)こんな思いばかりして私は焦がれ続けていなければならないのでしょうか。夜の紐だけでも解き放って寝たいのにそれすらできないままに。(同上)

 

◆佐刀知加久 伎美我奈里那婆 古非米也等 母登奈於毛比此 安連曽久夜思伎

               (平群氏女郎 巻十七 三九三九)

 

≪書き下し≫里近く君が業(な)りなば恋ひめやともとな思ひし我(あ)れぞ悔(くや)しき

 

(訳)私の里の近くであなたがその日その日を送っておられるならば、恋い焦がれることなどあろうかと、わけもなく思っていたこの私が、今となっては悔しくてなりません。(同上)

(注)なる【業る】自動詞:生業とする。生産する。営む。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

 

◆餘呂豆代尓 許己呂波刀氣氐 和我世古我 都美之手見都追 志乃備加祢都母

               (平群氏女郎 巻十七 三九四〇)

 

≪書き下し≫万代(よろづよ)に心は解けて我が背子(せこ)が捻(つ)みし手見つつ忍(しの)びかねつも

 

(訳)万代(よろずよ)ののちまでもとうち解けて、いとしいあなたがそっとつまんでくれた私の手、その手を見つめながら恋しさに堪えきれないでいます。(同上)

(注)つむ【抓む】他動詞①つまむ。②つねる。(学研)

 

◆鸎能 奈久ゝ良多尓ゝ 宇知波米氐 夜氣波之奴等母 伎美乎之麻多武

               (平群氏女郎 巻十七 三九四一)

 

≪書き下し≫うぐひすの鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ

 

(訳)鴬の鳴く崖(がけ)の底の谷、その深い谷に身をはめて焼け死ぬことがあっても、あなただけをひたすらお待ちします。(同上)

(注)くらたに【くら谷】:深く切り立った谷。一説に、暗い谷とも。  [補説]「くら」は谷の意の古語かという。(goo辞書)

 

 

左注は、「右件十二首歌者時々寄便使来贈非在一度所送也」<右の件(くだり)の十二首の歌は、時々に便使(べんし)に寄せて来贈(おこ)せたり。一度(ひとたび)に送るところにあらず>である。

 

 「女郎」という表記は、女性への尊敬賛美の称で、男子に伍して遜色なき者、男の眼から見ても才幹に優れ身分もそれなりの者が多い。平群氏女郎も古歌に通じており、それなりの歌才がある。家持への思いを強く寄せているのである。家持は歌を返していない。家持が歌を返しているのは、正妻となった大嬢以外では数は少ない。単に「娘子」と記された者へは、家持は、先に歌を贈ったりしている。「娘子」というのは、身分の低い鄙出身の少女が多く才能も持っていることから、家持も心を傾けたと思われる。

 ただ、河内百枝(こうちのももえ)娘子、巫部麻蘇(かむなぎのへのまそ)娘子、粟田女(あわため)娘子、豊前国娘子大宅女(おおやけめ)、安都扉(あとのとびら)娘子、丹波大女(たにわのおおめ)娘子などからの家持への片思い的な歌は収録されているが、家持からの返歌は無いのである。

 坂上大嬢と結ばれる頃も、紀女郎との交際は続いていたようであるが、二人の間には、戯れめいたところが強く、友愛程度の面が濃いかったのであろうと思われる。

 戯れめいた歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その487)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 女性遍歴は遍歴として、歌を歌としてある意味客観的に収録しているとも考えられるが、ここにも万葉集としての奥深い何かが秘められているのかもしれない。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」

★「高岡市万葉歴史館HP」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)