万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その842)―高岡市伏木古府 「万葉歴史館口」交差点―万葉集 巻十七 四〇〇四

●歌は、「立山に降り置ける雪の常夏に消ずてわたるは神ながらとぞ」である。

 

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「万葉歴史館口」交差点万葉歌碑(大伴池主)

●歌碑は、高岡市伏木古府 「万葉歴史館口」交差点にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多知夜麻尓 布理於家流由伎能 等許奈都尓 氣受弖和多流波 可無奈我良等曽                                     (大伴池主 巻十七 四〇〇四)

 

≪書き下し≫立山に降り置ける雪の常夏(とこなつ)に消(け)ずてわたるは神(かむ)ながらとぞ

 

(訳)立山に降り置いている雪が、夏の真っ盛りに消えないままにあり続けるのは、この山の神の御心(みこころ)のままということなのだ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

四〇〇三から四〇〇五の歌群の題詞は、「敬和立山賦一首幷二絶」<敬(つつ)しみて立山(たちやま)の賦(ふ)に和(こた)ふる一首幷(あは)せて二絶>である。

(注)絶〘名〙: 短歌のこと。長歌を中国風に「賦(ふ)」というのに対する。また、接尾語的に、短歌を数えるのに用いる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

◆阿佐比左之 曽我比尓見由流 可無奈我良 弥奈尓於婆勢流 之良久母能 知邊乎於之和氣 安麻曽ゝ理 多可吉多知夜麻 布由奈都登 和久許等母奈久 之路多倍尓 遊吉波布里於吉弖 伊尓之邊遊 阿理吉仁家礼婆 許其志可毛 伊波能可牟佐備 多末伎波流 伊久代経尓家牟 多知氐為弖 見礼登毛安夜之 弥祢太可美 多尓乎布可美等 於知多藝都 吉欲伎可敷知尓 安佐左良受 綺利多知和多利 由布佐礼婆 久毛為多奈眦吉 久毛為奈須 己許呂毛之努尓 多都奇理能 於毛比須具佐受 由久美豆乃 於等母佐夜氣久 与呂豆余尓 伊比都藝由可牟 加波之多要受波

                (大伴池主 巻十七 四〇〇三)

 

≪書き下し≫朝日さし そがひに見ゆる 神(かむ)ながら み名に帯(お)ばせる 白雲(しらくも)の 千重(ちへ)を押し別(わ)け 天(あま)そそり 高き立山(たちやま) 冬夏と 別(わ)くこともなく 白栲に 雪は降り置きて いにしへゆ あり来(き)にければ こごしかも 岩(いは)の神さび たまきはる 幾代(いくよ)経(へ)にけむ 立ちて居(ゐ)て 見れども異(あや)し 峰(みね)高(だか)み 谷を深みと 落ちたぎつ 清き河内(かふち)に 朝さらず 霧立ちわたり 夕されば 雲居(くもゐ)たなびき 雲居(くもゐ)なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過(す)ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代(よろづよ)に 言ひ継(つ)ぎ行かむ 川し絶えずは

 

(訳)朝日がさして背をくっきり見せて聳(そび)える、神のままに御名を持っておられる、白雲の千重の重なりを押し分けて天空高くそそり立つ立山よ、この立山には冬夏といわず年中いつも、まっ白に雪は降り置いて、そのままの姿で古く遠い御代からあり続けてきたものだから、何とまあ嶮(けわ)しいしいことか、岩が神さびている、この神さび岩はいったい幾代を経たことであろう。立って見るにつけ坐(すわ)って見るにつけその神々しさは計り知れない。峰は高く谷は深々としているので、ほとばしり落ちる清らかな谷あいの流れに、朝ごとに霧が立ちわたり、夕方になると雲が一面にたなびく、その覆いわたる雲のように心畏(おそ)れつつ、その立ちわたる霧のように思いこめつつ、行く水の瀬音のさやけさそのままに、万代ののちまでも語り継いでゆこう。この川の絶えない限りは。(同上)

(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かむながら【神ながら・随神・惟神】副詞:①神そのものとして。②神のお心のままに。(学研)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。(学研)

(注)朝さらず:朝毎に。(さるは来るの意であるから、夜明け前には?)

 

もう一首の「絶」をみてみよう。

 

◆於知多藝都 可多加比我波能 多延奴期等 伊麻見流比等母 夜麻受可欲波牟

               (大伴池主 巻十七 四〇〇五)

 

≪書き下し≫落ちたぎつ片貝川(かたかひがわ)の絶えぬごと今見る人もやまず通はむ

 

(訳)高い峰からほとばしり落ちる片貝川の絶えることのないように、今この神山を見る人も、この先ずっと絶えることなくこの地に通って来るであろう。(同上)

 

左注は、「右掾大伴宿祢池主和之 四月廿八日」<右は、掾(じよう)大伴宿禰池主和(こた)ふ。 四月の二十八日>である。

 

 家持が四月二十七日に、「立山の賦一首 幷せて短歌」を作ったのに、和(こた)ふる歌を池主は翌二十八日に作っているのである。

 「立山の賦」は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その826)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「万葉歌碑めぐりマップ」をみると、国道415号線沿いには五か所歌碑の位置が記されている。高岡市万葉歴史館を後にして「万葉歴史館口」交差点を目指す。歌碑は、交差点の北東角に建てられていた。

 交差点の歌碑の撮影では、歩きに軍配が上がった。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「高岡市万葉歴史館HP」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)