万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その843)―高岡市伏木古府 「伏木一宮」バス停奥―万葉集 巻十八 四〇三二

●歌は、「奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む」である。

 

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高岡市伏木古府 「伏木一宮」バス停奥万葉歌碑(田辺福麻呂

●歌碑は、高岡市伏木古府 「伏木一宮」バス停奥にある。

 

●歌をみていこう。

 

四〇三二から四〇三五歌の歌群の題詞は、「天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田邊福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌幷便誦古詠各述心緒」<天平(てんびやう)二十年の春の三月の二十三日に、左大臣橘家の使者、造酒司(さけのつかさ)の令史(さくわん)田辺史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)に、守(かみ)大伴宿禰家持が舘(たち)にして饗(あへ)す。ここに新(あらた)いき歌を作り、幷(あは)せてすなはち古き詠(うた)を誦(うた)ひ、おのもおのも心緒(おもひ)を述ぶ>である。

 

◆奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟

               (田辺福麻呂 巻十八 四〇三二)

 

≪書き下し≫奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出(い)でて波立ち来(く)やと見て帰り来(こ)む

 

(訳)あの奈呉の海に乗り出すのに、どなたか、ほんのしばし舟を貸してください。沖合に漕ぎ出して行って、波が立ち寄せて来るかどうか見て来たいものです。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)奈呉の海:海は、家持の館から眼に入ったのであろう。山国の大和から来た福麻呂には珍しい景色に映ったのであろう。

(注)しまし【暫し】副詞:「しばし」に同じ。 ※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌は、万葉集巻十八の巻頭歌である。

 

他の三首もみてみよう。

 

◆奈美多氐波 奈呉能宇良未尓 余流可比乃 末奈伎孤悲尓曽 等之波倍尓家流

               (田辺福麻呂 巻十八 四〇三三)

 

≪書き下し≫波立てば奈呉の浦廻(うらみ)に寄る貝の間(ま)なき恋にぞ年は経(へ)にける

 

(訳)波が立つたびに奈呉の入江に絶え間なく寄って来る貝、その貝のように絶え間もない恋に明け暮れているうちに、時は年を越してしまいました。(同上)

(注)上三句は序。「間なき」を起こす。

 

 

 

◆奈呉能宇美尓 之保能波夜非波 安佐里之尓 伊泥牟等多豆波 伊麻曽奈久奈流

               (田辺福麻呂 巻十八 四〇三四)

 

≪書き下し≫奈呉の海に潮の早干(はやひ)ばあさりしに出でむと鶴(たづ)は今ぞ鳴くなる

 

(訳)この奈呉の海で、潮が引いたらすぐに餌を漁(あさ)りに出ようとばかりに、鶴(たず)は、今しきりに鳴き立てています。(同上)

 

 

 

◆保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓勢武日 許由奈伎和多礼

               (田辺福麻呂<誦> 巻十八 四〇三五)

 

≪書き下し≫ほととぎすいとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ

 

(訳)時鳥よ、来てくれていやな時などありはせぬ。だけど、菖蒲草(あやめぐさ)を縵(かうら)に着ける日、その日だけはかならずここを鳴いて渡っておくれ。(同上)

古歌(巻十 一九五五)を利用したもの。

 題詞にあるように、家持の館にて、「ここに新(あらた)しき歌を作り、幷(あは)せて古き詠(うた)を誦(うた)ひ」とあり、四〇三二から四〇三五歌四首の左注は「右の四首は田辺史福麻呂」とある。福麻呂は四〇三二から四〇三四歌を作り。四〇三五歌は、古歌(一九五五歌)を利用して誦(うた)ったのであろう。ここでは、「田辺福麻呂<誦>」と記しておく。

 ※一九五五歌と同じ。

 

左注は、「右四首田邊史福麻呂」<右の四首は田辺史福麻呂>である。

 

福麻呂が、越中に来た理由については、①橘氏の墾田地の獲得、②万葉集の編纂、③中央の政治情勢絡み、等々が言われている。

特に、万葉集の編纂ともなれば、軽々しく触れることができない。これまでの浅い知識だけでは到底書きえないことである。

今後の大きな課題としてのしかかってきたことを記録しておく。

 国道415号線沿いの次の歌碑は「伏木一宮」バス停奥にある。「氣多神社口」交差点方面に北上する。しばらく歩くと、バス停があり、側にこの歌碑があった

 越中国に来て、家持以外の歌碑に会うと不思議に思ってしまう。実は、この時点では、田辺福麻呂橘諸兄の使いで越中に来て、家持と宴をしたり布勢の水海を遊覧したことを知らなかったのである。

歌碑を訪ね、現地を訪れ、時空を超えた状況に接することの必要性をあらためて感じたのである。

 

 

 田辺福麻呂の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その562)」で紹介している。神戸市東灘区処女塚古墳の歌碑である。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 神戸市灘畝馬神社歌碑については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その564,565)」で紹介している・

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)