―その845-
●歌は、「杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも泣かむ隠り妻かも」である。
●歌碑は、高岡市伏木 伏木中学校正門横にある
●歌をみていこう。
題詞は、「聞暁鳴▼歌二首」<暁(あかとき)に鳴く雉(きざし)を聞く歌二首>である。
▼「矢」へん+「鳥」でキザシ
(注)きじ【雉・雉子】名詞:鳥の名。「きぎし」「きぎす」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
◆椙野尓 左乎騰流▼ 灼然 啼尓之毛将哭 己母利豆麻可母
(大伴家持 巻十九 四一四八)
▼「矢」へん+「鳥」でキザシ
≪書き下し≫杉(すぎ)の野にさ躍(おど)る雉(きざし)いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻(づま)かも
(訳)杉林の野で鳴き立てて騒いでいる雉(きざし)よ、お前は、はっきりと人に知られてしまうほど、たまりかねて声をあげて泣くような隠り妻だというのか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)をどる【踊る・躍る】自動詞:飛び跳ねる。跳ね上がる。はやく動く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。 ※上代語
>いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。 ※参考 古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は頭語。(学研)
(注)こもりづま【隠り妻】名詞:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。(学研)
もう一首もみてみよう。
◆足引之 八峯之▼ 鳴響 朝開之霞 見者可奈之母
(大伴家持 巻十九 四一四九)
▼「矢」へん+「鳥」でキザシ
≪書き下し≫あしひきの八(や)つ峰(を)の雉(きざし)鳴き響(とよ)む朝明(あさけ)の霞(かすみ)見れば悲しも
(訳)あちこちの峰々の雉、その雉が鳴き立てる明け方の霞、この霞を見るとやたらと悲しい思いにかきたてられる。(同上)
(注)あしひきの【足引きの】分類枕詞:「山」「峰(を)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。 ※中古以後は「あしびきの」とも。(学研)
朴炳植(パクビョングシク)氏は、「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた(学習研究社)」の中で、「(前略)この歌語の語源は、二通り考えられる。その一は『アシ=非常に悪い』『ヒ=形容詞語尾で、・・・のような』『キ=もの』、総合すると『非常に悪いもの』の意で『非常に嶮しい・非常に荒れた』という意味である。その二は「アシ=非常に偉大な・非常に厳かな」で、あとは前の解釈と同じで『非常に雄大な・非常に威勢のある』である。(中略)ちなみに、『足(アシ)』の語源も『最も下のもの』でああり、それは一の意味と同じである。『アシ様ニ言ウ』は、『非常に悪く言う』ことであることは言うまでもない。二の場合の『ア』は『上・偉大』などの意味で。『シ』は最上級比較の『非常に』と使われた場合である。」
食文化のなかの朝鮮語などを見て行くと様々のことが見えて来る。
万葉集の言語学的アプローチも面白いように思える。また一つの課題が増えた感じである。
―その846―
●歌は、「しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも」である。
●歌をみていこう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その820)」で紹介している。
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◆之奈謝可流 越尓五箇年 住ゝ而 立別麻久 惜初夜可毛
(大伴家持 巻十九 四二五〇)
≪書き下し≫しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも
(訳)都を離れて山野層々たる越の国に、五年ものあいだ住み続けて、今宵かぎりに立ち別れゆかねばならぬと思うと、名残惜しい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注) しなざかる 分類枕詞:地名「越(こし)(=北陸地方)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
枕詞「しなざかる」いついて、伊藤 博氏は、「万葉集 四(角川ソフィア文庫)」の脚注で「階段状に坂が重なって遠い意。家持の造語か。」と書いておられる。
これに関しても、朴炳植(パクビョングシク)氏は、「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた(学習研究社)」の中で、「(前略)原形は『シナ』と『サカル』の複合したものである。『シナ』は『ヒナ』と同じ(ハ行→サ行変化)もので、『都から遠く離れた地・田舎』という意味である。(中略)『ザカル』は『サカル』が連濁したもので、『盛り』と同じ語源。つまり『シナザカル』とは、『非常に鄙びた』『たいへん都から離れた』という意味である(後略)」と書かれている。それなりに見方であると思える。
「氣多神社口」交差点から引き返す形で、「万葉歴史館口」交差点を通り、「伏木古府」交差点を目指す。途中に、伏木中学校があり、正門横に四一四八歌の歌碑があった。瀟洒な歌碑である。中学校の辺りは、昔は杉林であったと側面に説明が書かれていた。
伏木中学校からしばらく歩き、「伏木古府」交差点の歌碑を撮り終えた。これで、国道415号線沿いの五つの歌碑を巡り終えたのである。
そこから伏木駅までも結構な距離である。勝興寺の屋根が見えていたので、そちらに方に歩いて行き、正門前から駅に戻れると考えていたが、土地勘ゼロの悲しさ、途中で歩いてこられた方に駅までの道を教えていただく。
少し遠回りしたが、駐車場に戻り、コンビニで買ったおにぎりやパンで簡単な昼食を済ませる。
さあ、次は、氣多神社・大伴神社である。
カーナビに「氣多神社」の住所をインプット、いざ出発である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた」 朴 炳植 著 (学習研究社)」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉歌碑めぐりマップ」 高岡地区広域圏事務組合)