万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その869)―京都(みやこ)郡みやこ町 豊前国府跡公園万葉歌の森―万葉集 巻六 一〇四三

あけましておめでとうございます

コロナ禍での年明けを迎えました。

コロナの終息を祈りつつ。

本年もよろしくお願いいたします

 

昨年11月15日から18日まで4泊5日で大宰府をメインに万葉歌碑めぐりを行った。

本年は、そのシリーズの歌碑めぐりブログからスタートである。

 

 京都から一気に九州までというのは、行って行けないことはないが、安全を考え、往きは、宇部、帰りは尾道と中継地を計画に組み込み、メインの大宰府は3日目に設定した。

 

 15日は予定どおり宇部泊、2日目の16日の計画は、

福岡県京都郡みやこ町 豊前国府政庁址➡北九州市小倉北区 貴布祢神社北九州市小倉北区 勝山公園北九州市戸畑区 夜宮公園➡北九州市八幡区 岡田宮➡遠賀郡芦屋町 国民宿舎マリンテラス芦屋横魚見公園➡博多、である。

 

 万葉歌碑めぐりをして万葉集に接する機会が増えるにつれ、大宰府は何としても訪れてみたいという思いに駆られる。

 いろいろと言われてはいるが、ゴーツートラベルが背中を押したことは間違いがない。

 夢の大宰府である。

 

 

 

●歌は、「たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとぞ思ふ」である。

 

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豊前国府跡公園万葉歌の森万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、京都(みやこ)郡みやこ町 豊前国府跡公園万葉歌の森(1)にある

 

●歌をみていこう。

 

◆霊剋 壽者不知 松之枝 結情者 長等曽念

               (大伴家持 巻六 一〇四三)

 

≪書き下し≫たまきはる命(いのち)は知らず松が枝(え)を結ぶ心は長くとぞ思ふ

 

(訳)人間の寿命というものは短いものだ。われらが、こうして松の枝を結ぶ心のうちは、ただただ互いに命長かれと願ってのことだ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)「松が枝を結ぶ」:無事・安全を祈る呪的行為のひとつ

 

題詞は、「同月十一日登活道岡集一株松下飲歌二首」<同じき月の十一日に、活道(いくぢ)の岡(をか)に登り、一株(ひともと)の松の下に集ひて飲む歌二首>である。

(注)活道岡:久邇京付近の岡

 

 久邇京跡から北東約7kmの、お茶畑が広がる和束に活道が丘公園がある。そこには、大伴家持の四七六歌の歌碑がある。

 

 四七六歌をみてみよう。

 

◆吾王 天所知牟登 不思者 於保尓曽見谿流 和豆香蘇麻山

             (大伴家持 巻三 四七六)

 

≪書き下し≫我(わ)が大君(おほきみ)天(あめ)知らさむと思はねばおほにぞ見ける和束(わづか)杣山(そまやま)

 

(訳)わが大君がここで天上をお治めになろうとは思いもかけなかったので、今までなおざりに見ていたのだった、この杣山(そまやま)の和束山(わづかやま)を。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首」<十六年甲申(きのえさる)の春の二月に、安積皇子(あさかのみこ)の薨(こう)ぜし時に、内舎人(うどねり)大伴宿祢家持が作る歌六首>である。

 

 四七六歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その183)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 もう一首の市原王の歌もみてみよう。

 

◆一松 幾代可歴流 吹風乃 聲之清者 年深香聞

                (市原王 巻六 一〇四二)

 

≪書き下し≫一つ松幾代(いくよ)か経(へ)ぬる吹く風の声(おと)の清きは年深みかも

 

(訳)この一本(ひともと)の松は幾代を経ているのであろうか。吹き抜ける風の音がいかにも清らかなのは、幾多の年輪を経ているからなのか。(同上)

(注)「風の声」・「年深み」は、漢語「風声」・「年深」の翻読語。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その263)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 なぜ京都(みやこ)郡みやこ町と言われるようになったか気になる所である。

 みやこ観光まちづくり協会HPに、「『みやこ』の由来」について次のように書かれている。

 「『日本書紀』の景行天皇紀にこのような記述があります。『天皇遂幸筑紫、到豐前國長峽縣、興行宮而居、故號其處曰京也』 意味は、景行天皇が九州に来られた際、仮の御殿を建てて滞在された。天皇がしばらく住まわれた場所なので、この地は『みやこ』と呼ばれるようになった、というもので、これが『京都郡』『みやこ町』の名前の由来です。」

 

 豊前国府跡公園については、「みやこ町HP」に「奈良時代になって豊前国に設置された国の役所跡を公園として整備。豊前国府の所在地をめぐり諸学説がありましたが、昭和59年からの発掘調査で豊津地区の国作に所在していたことが確定したのです。

府域は数百メートル四方に広がり、国庁には中央から赴任してきた国司豊前国の政治を執り行っていました。調査で東脇殿跡をはじめ、太宰府系瓦・硯・陶磁器など、役所跡を示す奈良・平安時代の遺物が数多く出土しています。

平成17年2月23日、福岡県指定文化財になりました。」と書かれている。

 

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万葉歌の森

 遺跡の建物の柱跡を整備した公園の北西部に「万葉歌の森」があった。ここに10基の万葉歌碑が建てられている。

 公園は、完全に独占状態で静かな万葉歌碑巡りのスタートであった。

 

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豊前国府政庁址説明案内板

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「みやこ町HP」

★「みやこ観光まちづくり協会HP」