―その875-
●歌は、「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」である。
●歌碑は、豊前国府跡公園万葉歌の森(7)にある。
●歌をみていこう。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その170)」他で紹介している。
(その170)では、額田王の長歌3首、短歌10首の書き下しだけであるが、すべてを載せている。
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◆茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
(額田王 巻一 二〇)
≪書き下し≫あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る
(訳)茜(あかね)色のさし出る紫、その紫草の生い茂る野、かかわりなき人の立ち入りを禁じて標(しめ)を張った野を行き来して、あれそんなことをなさって、野の番人が見るではございませんか。あなたはそんなに袖(そで)をお振りになったりして。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)あかねさす【茜さす】分類枕詞:赤い色がさして、美しく照り輝くことから「日」「昼」「紫」「君」などにかかる。
(注)むらさき 【紫】①草の名。むらさき草。根から赤紫色の染料をとる。②染め色の一つ。①の根で染めた色。赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた。
(注)むらさきの 【紫野】:「むらさき」を栽培している園。
(注)しめ【標】:神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。
額田王の歌に和した大海人皇子(天武天皇)の歌は次の通りである。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その171)他で紹介している。
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◆紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
(天武天皇 巻一 二一)
≪書き下し≫紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に我(あ)れ恋(こ)ひめやも
(訳)紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが気に入らないのであったら、人妻と知りながら、私としてからがどうしてそなたに恋いこがれたりしようか。(伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
両歌の歌碑で紹介したいのは、滋賀県東近江市万葉の森船岡山の「蒲生野狩猟レリーフ」横の歌碑ならびに船岡山山頂付近の歌碑である。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その258、259)」で紹介している。
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―その876―
歌は、「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」である。
歌碑は、豊前国府跡公園万葉歌の森(8)みある。
歌をみていこう。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その480)」で紹介している。
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◆橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之樹
(聖武天皇 巻六 一〇〇九)
≪書き下し≫橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の樹
(訳)橘の木は、実も花もめでたく、そしてその葉さえ、冬、枝に霜が降っても、ますます栄えるめでたい木であるぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)いや 感動詞:
①やあ。いやはや。▽驚いたときや、嘆息したときに発する語。
②やあ。▽気がついて思い出したときに発する語。
③よう。あいや。▽人に呼びかけるときに発する語。
④やあ。それ。▽はやしたてる掛け声。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首」<冬の十一月に、左大弁(さだいべん)葛城王等(かづらきのおほきみたち)、姓橘の氏(たちばなのうぢ)を賜はる時の御製歌一首>である。
―その877―
歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である。
歌碑は、豊前国府跡公園万葉歌の森(9)にある。
歌をみていこう。
◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花
(山上憶良 巻八 一五三八)
▼は、「白の下に八」である。「朝▼」で「あさがほ」
≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花
(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)一五三八歌は旋頭歌体である。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その62改)」で、1537歌については、同(その61改)」で、奈良市春日大社境内の歌碑と共に紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」