●歌は、「豊国の香春は我家紐児にいつがり居れば香春我家」である。
●歌碑は、豊前国府跡公園万葉歌の森(10)にある。
●歌をみていこう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その872)で紹介している。
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◆豊國乃 加波流波吾宅 紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾家
(抜気大首 巻九 一七六七)
≪書き下し≫豊国(とよくに)の香春(かはる)は我家(わぎへ)紐児(ひものこ)にいつがり居(を)れば香春は我家
(訳)豊の国の香春は我が家だ。かわいい紐児にいつもくっついていられるのだもの。香春は我が家だ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)いつがる【い繫る】自動詞:つながる。自然につながり合う。 ※上代語。「い」は接頭語。(学研)
旅先の地を「我が家」と詠うことで、溢れんばかりの愛情を込め、「香春は我が家」と二度繰り返してその喜びを歌い上げている。
反復表現て喜びを表す歌としては、何といっても藤原鎌足の歌であろう。
こちらもみてみよう。
◆吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利
(藤原鎌足 巻二 九五)
≪書き下し≫我れはもや安見児得たり皆人(みなひと)の得かてにすといふ安見児得たり
(訳)おれはまあ安見児を得たぞ。お前さんたちがとうてい手に入れがたいと言っている、この安見児をおれは我がものとしたぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)もや 分類連語:…まあ。…よ。▽感動・詠嘆を表す。 ※上代語。 ⇒なりたち詠嘆の終助詞「も」+詠嘆の間投助詞「や」(学研)
(注)安見児:采女の名前
(注)かてに 分類連語:…できなくて。…しかねて。 ⇒なりたち 可能等の意の補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の上代の連用形(学研)
題詞は、「内大臣藤原卿娶采女安見兒時作歌一首」<内大臣藤原卿、采女(うねめ)安見児(やすみこ)を娶(めと)る時に作る歌一首>
藤原鎌足の正妻は鏡王女である。
この歌は、鏡王女との結婚後のことで、鎌足は、采女(うねめ)安見児(やすみこ)を娶って有頂天になっていることを歌っている。
「采女」とは、天皇の御膳その他について奉仕する宮中の女官である。諸国の郡少領(次官)以上の娘で容姿端正なものが選ばれるのである。采女は、天皇に所属するいわば、「物体的人間」であり、恋愛はかたく禁じられていた。まさに、「皆人の得難(えかて)にす」る者であった。それを鎌足は得たのである。功臣鎌足への特別待遇の何物でもない。それだけに喜びも一入だったに違いない。
この鎌足の歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その112)」で紹介している。
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皇族でない藤原鎌足は、鏡王女を正妻とし、後には采女も得ている(万葉歌碑を訪ねて―その112―) - 万葉集の歌碑めぐり
このような反復表現に関しての研究が、「古典和歌における反復表現の諸相」(福田智子 著 · 2002)に、万葉集からと平安以降室町時代の「新続古今集」までの勅撰集等22の歌集に載る約40,000首から、5字以上の同一文字列が2回含まれる歌を48首抽出し、分布状況、表現効果などがまとめられている。
万葉集が23首あり約半数を占めている。時代が経つにつれ反復表現が減少していると分析されている。
一方、和歌と異なり、旋頭歌の場合は、第三句と結句を繰り返すものが多い。
次の旋頭歌をみてみよう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その39)」で紹介している。(初期のブログですので、朝食のサンドイッチやデザートの写真も載っていますがご容赦下さい)
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万葉の時代の元興寺の僧も「いいね」が欲しかったようです(万葉歌碑を訪ねて 39,40,41) - 万葉集の歌碑めぐり
題詞は、「十年戌寅元興寺之僧自嘆歌一首」<十年戌寅(つちのえとら)に、元興寺(ぐわんごうじ)の僧(ほふし)が自(みづか)ら嘆く歌一首>である。
◆白珠者 人尓不所知 不知友縦 雖不知 吾之知有者 不知友任意
(元興寺之僧 巻六 一〇一八)
≪書き下し≫白玉(しらたま)は人に知らえず知らずともよし 知らずとも我(わ)れし知れらば知らずともよし
(訳)白玉はその真価を人に知られない。しかし、知らなくてもよい。人知らずとも、自分さえ価値を知っていたら、知らなくてもよい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)しらたま【白珠】:白色の美しい玉。また、愛人や愛児をたとえていうこともある。(学研)ここでは、自分の優れた才能の譬え。
左注は、「右一首或云 元興寺之僧獨覺多智 未有顕聞 衆諸猥侮因此僧作此歌自嘆身才也」<右の一首は、或は「元興寺の僧、独覚(どくかく)にして多智(たち)なり。いまだ顕聞(けんぶん)あらねば、衆諸(もろひと)猥侮(あなづ)る。これによりて、僧この歌を作り、自ら身の才を嘆く>である。
(注)独覚(どっかく)〘名〙: 仏教語。三乗の一つ。仏の教えによらないで自力で悟りをひらき、静かに孤独を楽しんで、利他のための説法をしない聖者。縁覚。辟支仏(びゃくしぶつ)。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)多智(たち)〘名〙:仏教語。 知恵にすぐれていること。知恵の多いこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)顕聞(けんぶん)あらねば:世間に知られていなかったので
(注)あなづる【侮る】他動詞:軽べつする。あなどる。 ※参考 現代語「あなどる」のもとになった語。(学研)
旋頭歌(せどうか)については、「ブリタニカ国際大百科事典」には、「古代の歌謡,和歌の一形式。5・7・7・5・7・7音を基本とする。記紀歌謡に4首,『万葉集』に 62首収録されているが,『万葉集』も中期頃までのものがほとんどであり,それ以後はごくまれで,歌体としての生命は尽きたとみられる。それは,この歌体が歌謡の世界に生れ,歌謡独自のかけあい的対立様式を濃厚にもっており,そのため短歌のように個人の抒情詩へ転換することが困難であったためと考えられる。(後略)」と書かれている。
万葉集は「口誦」から「記載」へと転換する時期の歌を収録しているので、多様性が見いだせるのである。文字の使用により、より文学意識なるものが芽生え、「口誦」のことばの「伸びやかさ」が失われてくるのである。稲岡耕二氏は、「万葉集の世界」(「別冊國文學 万葉集必携」(學燈社)の中で、「人麻呂というトンネルを抜けると、万葉集の歌が急にわかりやすくなってくる(中略)ことばが知的に散文化し、明瞭になるとともに響きの強さと情的なふくらみを失ってゆく(後略)」と書かれている。
ここにも万葉集の万葉集たる所以が隠されているように思えるのである。恐るべし万葉集である。
豊前国府跡公園万葉歌の森の歌碑を見終えたので、遺跡を見学し、次の目的地、北九州市小倉北区長浜町にある貴布祢神社に向かった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古典和歌における反復表現の諸相」 (福田智子 著 · 2002)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「ブリタニカ国際大百科事典」