万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その881)―北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(1)―万葉集 巻十二 三一六五

●歌は、「ほととぎす飛幡の浦にしく波のしくしく君を見むよしもがも」である。

 

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勝山公園万葉の庭(1)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆霍公鳥 飛幡之浦尓 敷浪乃 屡君乎 将見因毛鴨

              (作者未詳 巻十二 三一六五)

 

≪書き下し>ほととぎす飛幡(とばた)の浦(うら)にしく波のしくしく君を見むよしもがも

 

(訳)時鳥(ほととぎす)が飛ぶというではないが、その飛幡の浦に繰り返し寄せる波のように、しばしば重ねてあの方にお逢いできるきっかけがあったらなあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ほととぎす:飛幡(とばた 北九州市)の枕詞。

(注)しきなみ【頻波・重波】名詞:次から次へと、しきりに寄せて来る波。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は序。「しくしく」を起こす。

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

(注)もがも 終助詞《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。:〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

 

 巻十二の部立「羇旅発思」には、三一二七から三一三〇歌四首が「柿本朝臣人麻呂歌集」の歌であり。続く三一三一から三一七九歌までが、柿本人麻呂歌集を核として収録されている。そのなかで、三一六五から三一六八歌の四首は、「旅先の女をめぐる歌」(伊藤博氏)として、三一六五歌の脚注に書かれている。

 他の三首もみてみよう。

 

 

◆吾妹兒乎 外耳哉将見 越懈乃 子難懈乃 嶋楢名君

              (作者未詳 巻十二 三一六六)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)を外(よそ)のみや見む越(こし)の海(うみ)の子難(こがた)の海の島ならなくに

 

(訳)かわいいあの子をよそながら見るだけで過ごさねばならぬというのか。越路の子難の海に浮かぶ島でもないのに。(同上)

(注)子難:所在未詳。女に逢い難いの意を懸ける。

 

 

◆浪間従 雲位尓所見 粟嶋之 不相物故 吾尓所依兒等

                (作者未詳 巻十二 三一六七)

 

≪書き下し≫波の間(ま)ゆ雲居(くもゐ)に見ゆる粟島(あはしま)の逢はぬものゆゑ我(わ)に寄(よ)そる子ら

 

(訳)波の間から雲居はるかに見え隠れする粟島、その名のように逢わずにいるのに、私との仲を言い立てられているよ、あの子は。(同上)

(注)粟島:所在未詳。「粟」に「逢は」を懸ける。

 

 

◆衣袖之 真若之浦之 愛子地 間無時無 吾戀钁

               (作者未詳 巻十二 三一六八)

 

≪書き下し≫衣手(ころもで)の真若の浦の真砂(まなご)地(つち)間(ま)なく時なし我(あ)が恋ふらくは             

 

(訳)真若の浦の真砂の浜、その名のような愛子(まなご)、あのかわいい子に、のべつまくなしだ。私が恋い焦がれるのは。(同上)

(注)衣手の(読み)コロモデノ [枕]:袖に関する「手(た)」「真袖(まそで)」「ひるがえる」などの意から、「た」「ま」「わく」「かへる」「なぎ」などにかかる。(コトバンク 小学館 デジタル大辞泉

(注)まなし【間無し】形容詞:①すき間がない。②絶え間がない。とぎれることがない③間を置かない。即座である。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ま 【真】接頭語:〔名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などに付いて〕①完全・真実・正確・純粋などの意を表す。「ま盛り」「ま幸(さき)く」「まさやか」「ま白し」。②りっぱである、美しい、などの意を表す。「ま木」「ま玉」「ま弓」(学研)

(注)まなごつち【真砂地】:細かい砂地。まさごじ。まなごじ。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

この三一六八歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その737)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 勝山公園については、同HPに「勝山公園は『21世紀の都心のオアシス』をテーマに道路、河川と一体的に整備し、北九州市の顔として市内外から多くの人が集まる北九州市のシンボル公園として愛されています。市民のみなさまには休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動など総合的に利用され、またその立地、規模、敷地の内外に紫川や小倉城など様々な資源を有することから、都市の潤いや市民憩いの場、防災の機能はもとより、都市のシンボルとしての役割も担っています。また多彩な集客イベントの場としても活用されることで、中心市街地の活性化にも寄与しています。」と書かれている。

「万葉の庭」については、残念ながら、園内地図にも記されていない。

 

 「北九州市 時と風の博物館」HPの「万葉の庭:勝山公園(文学碑・巨岩碑)」には、「1000年の昔、北九州市の門司・大里から小倉、戸畑にかけての海岸は、企救の長浜または、長浜といわれ、また、洞ノ海の戸畑側の飛幡の海と呼ばれる海岸まで、白砂の海岸に美しい根上がり松が群生していました。万葉集には、大宰府に往来する貴人や防人や、旅人たちが詠んだ美しいこの地にゆかりのある名歌6首が残されています。勝山公園には、これを巨大な自然石に刻んだ最大50トンと言われる本碑6石と現代語読みの副碑6石、および建設趣旨説明碑1石を設置し、永遠に残る市民のための文化の広場として昭和46年(1971)1月に【万葉の庭】が建設されました。《出典:北九州市教育委員会、万葉の庭建設委員会出版 『万葉の庭』から》」と解説されている。

行政の垣根の為せる業か。

 

 勝山公園地下駐車場に車を止める。地上に出て見ると、小倉城が見え、北九州市役所が建っている。案内地図も何もないので、市役所をほぼ一周する。先達らのブログを頼りに、道路を渡り、中央図書館を右手に見ながら歩く。左手の道をしばらく行くと、巨石の歌碑が目に飛び込んできた。結局園内案内図は一度も見ずである。まあ、到着したのだから、終わりよければ・・・である。

 

 HPにあったように「巨大な自然石に刻んだ最大50トンと言われる本碑・・・」には驚かされた。

 ここを見るだけでも、九州まで来た甲斐があったというものである。

 

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勝山公園「万葉の庭」

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク 小学館 デジタル大辞泉

★「勝山公園HP」

★「北九州市 時と風の博物館HP」