●歌は、「豊国の企救の浜辺の真砂地真直にしあらば何か嘆かむ」である。
●歌をみていこう。
◆豊國之 聞之濱邊之 愛子地 真直之有者 何如将嘆
(作者未詳 巻七 一三九三)
≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の浜辺(はまへ)の真砂地(まなごつち)真直(まなほ)にしあらば何か嘆かむ
(訳)豊国の企救の浜辺の細かい砂地、その砂地が、名のとおり平らかであったなら、何で嘆くことなどありましょう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は相手の男の譬え
(注)まなごつち【真砂地】:こまかい砂の土地。砂地。まなごじ。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)まなほ【真直】:[形動ナリ]正しく偽りのないさま。心のまっすぐなさま(weblio辞書 デジタル大辞泉)
一三九二、一三九三歌の題詞は、「寄浦沙」<浦の沙(まさご)に寄す>である。
一三九二歌もみてみよう。
◆紫之 名高浦之 愛子地 袖耳觸而 不寐香将成
(作者未詳 巻七 一三九二)
≪書き下し≫紫(むらさき)の名高(なたか)の浦(うら)の真砂地(まなごつち)袖のみ触れて寝ずかなりなむ
(訳)名高の浦の細かい砂地には、袖が濡れただけで、寝ころぶこともなくなってしまうのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)紫の(読み)ムラサキノ[枕]:① ムラサキの根で染めた色の美しいところから、「にほふ」にかかる。② 紫色が名高い色であったところから、地名「名高(なたか)」にかかる。③ 濃く染まる意から、「濃(こ)」と同音を含む地名「粉滷(こがた)」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)まなご【真砂】名詞:「まさご」に同じ。 ※「まさご」の古い形。上代語。 ⇒まさご【真砂】名詞:細かい砂(すな)。▽砂の美称。 ※古くは「まなご」とも。「ま」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)真砂土は、愛する少女の譬えか。
題詞「浦の沙に寄す」の歌二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その745)」でも紹介している。
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一三九二歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その748)」でも触れている。
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上記の歌が収録されている万葉集の巻七は、巻一~巻六のような年代的構成、年次を記し作者名も明記する「歴史」的収録から一変して、年代別構成でなく、主題別、類聚的構成へと姿を変えている。
巻七は、雑歌・比喩歌・挽歌という部立を立てているが、雑歌は「詠天」、「詠月」、「詠雲」・・・、譬喩歌は「寄衣」、「寄玉」、「寄木」・・・というように、主題となるものを前に押し出しているのである。
さらに、柿本人麻呂歌集を核として展開されているという特徴を持っている。
譬喩歌の題詞は、人麻呂歌集では主題が、衣、玉、木、花、川、海であり、続いて、「衣」、糸、「玉」、日本琴、弓、草、稲、「木」、「花」、鳥、獣、雲、雨、月、赤土、神、「河」、埋木、「海」、浦沙、藻、船、となっている。(「 」は人麻呂歌集の主題)
「海」の場合はそれに関連する主題が、浦沙、藻、船、と収録されている。
明らかに人麻呂歌集が核となって構成されているとみることができるのである。
一二九三歌は、今の福岡県、一二九二歌は、今の和歌山県で詠われたものであると考えられるが、のの二首が万葉集巻七の題詞「寄浦沙」に収録されたのであろうか。今の出た分析であれば、「真砂土」でソートをかければ簡単であるが、口誦から記録の時代に、と考えると編纂と簡単にいっているがどれほどの工数がかかっているのかを考えると頭が下がる。
それ以降も、「写本」「写本」の繰り返しの中で今日まで伝わって来ているのも奇跡に近い。
万葉集のパワーに脱帽である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」