万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その887、その888-1、その888-2)―北九州市戸畑区 夜宮公園、八幡西区 岡田宮(1、2)―万葉集 巻十二 三一六五、巻三 三〇四

―その887―

●歌は、「ほととぎす飛幡の浦にしく波のしばしば君を見むよしもがも」である。

 

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夜宮(よみや)公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、北九州市戸畑区 夜宮(よみや)公園にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その881)」で紹介している。

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◆霍公鳥 飛幡之浦尓 敷浪乃 屡君乎 将見因毛鴨

              (作者未詳 巻十二 三一六五)

 

≪書き下し>ほととぎす飛幡(とばた)の浦(うら)にしく波のしくしく君を見むよしもがも

 

(訳)時鳥(ほととぎす)が飛ぶというではないが、その飛幡の浦に繰り返し寄せる波のように、しばしば重ねてあの方にお逢いできるきっかけがあったらなあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ほととぎす:飛幡(とばた 北九州市)の枕詞。

(注)しきなみ【頻波・重波】名詞:次から次へと、しきりに寄せて来る波。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は序。「しくしく」を起こす。

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

(注)もがも 終助詞《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。:〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

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現代語読み副碑


 

勝山公園・万葉の庭➡夜宮公園】

小倉北区 勝山公園から約10分ほどで、次の目的地、戸畑区夜宮 夜宮公園に到着。

住宅地のなかの丘陵地の公園である。入り口からしばらく上り道である。ほどなく丘陵の頂上部の開けた公園にでる。花菖蒲が有名で、日本庭園や菖蒲の池がある。万葉歌碑の設置される場所としてはイメージ的にはそちらの方ではないかと思いぶらついてみるが、見つからない。

 

 園内地図を見ると見当違いで反対の方向のようであるが、ファインチューニングができない。携帯ナビを頼りに探索する。ほぼ丘陵の頂上部を一周した感じである。頂上部の広場のようなところでなく、少し松林に入ったところでようやく歌碑を見つける。

 歌碑の前の小道わ下って行くと、何と先ほどの入口横に出るではないか。正面からでなく正面左の道を上ればすぐであったのだ。良い運動をしたと自分を慰める。しかし、よく見つかったものである。

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歌の解説案内板

 

 

【夜宮公園➡岡田宮】

 夜宮公園をあとにし次の目的地、岡田宮に向かう。

 岡田宮HPには「御鎮座二千六百年」とあり、御由緒には、神武天皇神功皇后などの名前が書かれている由緒ある神社である。

 境内には、七五三詣りに来た家族連れが何組か、着飾って写真を撮ったり談笑していた。

 

歌碑は、社殿近くの駐車場にあり、本を立てて開いたような形の歌碑に三首が刻されている。

 

 

―その888-1―

●一首目は、「大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ」である。

 

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岡田宮万葉歌碑(1 右端)(柿本人麻呂

●歌碑は、北九州市八幡西区 岡田宮(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

                           

◆大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念

               (柿本人麻呂 巻三 三〇四)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ

 

(訳)我が大君の遠いお役所として、人びとが常に往き来する島門を見ると、この島々が生み成された神代が偲ばれる。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とほのみかど【遠の朝廷】分類連語:朝廷の命を受け、都から遠く離れた所で政務をとる役所。諸国の国府大宰府(だざいふ)をさす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

(注)しまと【島門】名詞:島と島との間や島と陸地との間の狭い海峡。(学研) ここでは、明石海峡を「遠の朝廷」への門口と見立てたもの。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首」<柿本朝臣人麻呂、筑紫(つくし)の国に下(くだ)る時に、海道(うみつぢ)にして作る歌二首>である。

 

三〇三歌もみてみよう。

 

◆名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者

               (柿本人麻呂 巻三 三〇三)

 

 ≪書き下し≫名ぐはしき印南(いなみ)の海(うみ)の沖つ波千重(ちへ)に隠(かく)りぬ大和島根(やまとしまね)は

 

(訳)名も霊妙な印南の海の沖つ波、その波の千重にたつかなたに隠れてしまった。大和の山なみは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)印南の海:播磨灘

(注)ちへ【千重】名詞:幾重もの重なり。(学研)

(注)しまね【島根】名詞:島。島国。 ※「ね」はどっしりと動かないものの意の接尾語。(学研)

 

この二首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その627)」で紹介している。

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―その888-2―

●歌は、「ほととぎす飛幡の浦にしく波のしばしば君を見むよしもがも」である。

 

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岡田宮万葉歌碑(2 中央)(作者未詳)

●歌碑は、北九州市八幡西区 岡田宮(2)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その881)」ならびに前稿887で紹介しているのでここでは省略する。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「岡田宮HP」