●歌は、「春の野に霧立ちわたる降る雪と人の見るまで梅の花散る」である。
●歌碑は、太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(2)にある。
●歌をみていこう。
◆波流能努尓 紀理多知和多利 布流由岐得 比得能美流麻提 烏梅能波奈知流 筑前目田氏真上
(田氏真上 巻五 八三九)
≪書き下し≫春の野に霧(きり)立ちわたる降る雪と人の見るまで梅の花散る 筑前目(つくしのみちのくちのさくわん)田氏真上(でんじのまかみ)
(訳)“あれは春の野に霧が立ちこめてまっ白に降る雪なのか”と、誰もが見紛(みまが)うほどに、この園に梅の花が散っている。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
梅花の歌三十二首のうちの一首である。
四季の最初は春、希望が膨らむ春、生物が躍動しだす春、エネルギー上昇といったイメージである。春の野とくれば、時間的・空間的広がりを感じさせる。
「万葉集 四」(伊藤 博 著 角川ソフィア文庫)の初句索引を参考に番号順にみていくことにする。なお、書き下しと訳での構成とする。
◆春の野に鳴くやうぐひすなつけむと我(わ)が家(へ)の園(その)に梅が花咲く
(志氏大道 巻五 八三七)
(訳)春の野で咲く鴬、その鴬を手なずけようとして、この我らが園に梅の花が咲いている。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
◆春の野に霧(きり)立ちわたる降る雪と人の見るまで梅の花散る
(訳)“あれは春の野に霧が立ちこめてまっ白に降る雪なのか”と、誰もが見紛(みまが)うほどに、この園に梅の花が散っている。(同上)
◆≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝(ね)にける
(山部赤人 巻八 一四二四)
(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その417)」で紹介している。
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◆春の野にあさる雉(きざし)の妻恋(つまご)ひにおのがあたりを人に知れつつ
(大伴家持 巻八 一四四六)
(訳)春の野で餌(えさ)をあさる雉(きじ)が、妻恋しさに鳴きたてて、自分のありかを人に知られてしまって…」(同上)
◆春の野に心延(の)べむと思ふどち来(こ)し今日(けふ)の日は暮れずもあらぬか
(作者未詳 巻十 一八八二)
(訳)この春の野で心をのびのびさせようと、親しい者同士とやって来た今日の一日は、暮れずにあってくれないものか。(同上)
(注)のぶ【伸ぶ・延ぶ】他動詞:①伸ばす。長くする。②延ばす。延期する。③のんびりさせる。ゆったりとさせる。(学研)
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その794-8)」で紹介している。
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◆春の野に霞たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも
(作者未詳 巻十 一九〇二)
(訳)春の野に霞がたなびいて、咲く花がこんなに見事になっても、いっこうに逢っては下さらないあの方よ。(同上)
◆春の野に草食(は)む駒(こま)の口やまず我(あ)を偲(いの)ふらむ家の子ろはも
(作者未詳 巻十四 三五三二)
(訳)春の野で草を食む駒の口がちっとも止(や)まないように、口の休まる間(ま)とてなく私のことを偲んでいるであろう家の子、ああ、残してきた我が妻よ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「口やまず」を起こす。
(注)ころ【子ろ・児ろ】名詞:女性や子供を親しんで呼ぶ語。 ※「ろ」は接尾語。「子ら」の上代の東国方言。(学研)
◆春の野の下草(したくさ)靡(なび)き我(わ)れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに
(作者未詳 巻十六 三八〇二)
(訳)春の野の下草が靡くように、私も靡いて、同じ色に染まって爺さんに身を寄せよう。皆さんのなさるとおりに。(同上)
(注)上二句は序。「寄り」を起こす。
◆春の野に霞(かすみ)たなびきうら悲(がな)しこの夕影(ゆふかげ)にうぐひす鳴くも
(大伴家持 巻十九 四二九〇)
(訳)春の野に霞がたなびいて、何となしに物悲しい、この夕暮れのほのかな光の中で、鴬が鳴いている。(同上)
(注)春たけなわの夕暮れ時につのるうら悲しさが主題。
(注)うらがなし【うら悲し】形容詞:何とはなしに悲しい。もの悲しい。 ※「うら」:心の意。(学研)
(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。 [反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。(学研)ここでは①の意
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その551)」で紹介している。
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前向きの明るいエネルギーを感じさせる「春の野」と詠いだす万葉歌が多いと思ったのであるが、あにはからんや、大伴家持の四二九〇歌(「春愁三歌」の一つ)に代表されるように、春を詠うことによって逆に憂いを前に押し出している歌が多いのである。
一八八二歌や山部赤人の一四二四歌がかろうじて春を謳歌しており、八三七、八三九歌の梅花の歌三十二首の二首は、その時点の停止した時間軸・空間軸として「春の野」を詠っているのであるが、他の多くは、春と真逆のイメージを前面に押し出す効果を狙って「春の野」と歌い上げている歌が多いのには驚かされたのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」