万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その894)―太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(5)―万葉集 巻十四 三四二七

●歌は、「筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥の可刀利娘子の結ひし紐解く」である。

 

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太宰府歴史スポーツ公園(5)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(5)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆筑紫奈留 尓抱布兒由恵尓 美知能久乃 可刀利乎登女乃 由比思比毛等久

              (作者未詳 巻十四 三四二七)

 

≪書き下し≫筑紫(つくし)なるにほふ子ゆゑに陸奥(みちのく)の可刀利娘子(かとりをとめ)の結(ゆ)ひし紐(ひも)解(と)く

 

(訳)筑紫なんぞの色よい女に暗(くら)まされて、陸奥の可刀利娘子(かとりをとめ)、そう、この縑(かとり)娘子さまが固く結び合わせてあげた紐、その紐を解くんだとさ。何とまあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは④の意

(注)可刀利乎登女:国で馴染んだ女。「縑(かとり)」を懸けている。

(注の注)縑(かとり):こまかく固く織った絹布。(weblio辞書 歴史民俗用語辞典)

 

防人として出立するに際し、旅先での無事を願う一種の呪的行為として可刀利娘子が紐を結んでくれたのであるが、呪的行為をも凌駕する「にほふ子ゆゑに」「紐を解」いたのである。なにをかいわんやである。

 

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歌の解説碑

 

三四二六から三四二八歌の三首の左注は、「右の三首は陸奥(みちのく)の国の歌」である。

 

他の二首もみてみよう。

 

安比豆祢能 久尓乎佐杼抱美 安波奈波婆 斯努比尓勢毛等 比毛牟須婆佐祢

               (作者未詳 巻十四 三四二六)

 

≪書き下し≫会津嶺(あひづね)の国をさ遠(どほ)み逢(あ)はなはば偲(しの)ひにせもと紐(ひも)結(むす)ばさね

 

(訳)会津嶺の聳(そび)え立つ国、このふるさとが遠くなってしまって逢えなくなったら、お前さんを偲ぶよすがにしようと思う、心をこめてしっかと紐を結んでおくれ、ね。(同上)

(注)さ- 接頭語:名詞・動詞・形容詞に付いて、語調を整え、また、語意を強める。「さ夜(よ)」「さ乱る」「さ遠し」(学研)

(注)-み 接尾語:①〔形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて〕(…が)…なので。(…が)…だから。▽原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある。②〔形容詞の語幹に付いて〕…と(思う)。▽下に動詞「思ふ」「す」を続けて、その内容を表す。③〔形容詞の語幹に付いて〕その状態を表す名詞を作る。④〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。(学研)

(注)せも:反語的表現。「せも」は「せむ」の東国形

(注)さね 分類連語:…なさってほしい。 ※上代語。 ⇒なりたち 尊敬の助動詞「す」の未然形+終助詞「ね」(学研)

 

 

◆安太多良乃 祢尓布須思之能 安里都ゝ毛 安礼波伊多良牟 祢度奈佐利曽祢

               (作者未詳 巻十四 三四二八)

 

≪書き下し≫安達太良(あだたら)の嶺(ね)に伏す鹿猪(しし)のありつつも我(あ)れは至(いた)らむ寝処(ねど)な去りそね

 

(訳)安達太良の嶺(ね)でいつも同じねぐらに臥(ふ)せっている鹿や猪のように、俺は、変わらず何としてでも通って来て共寝をしようと思う。この寝床にいつもいておくれ。(同上)

(注)安達太良の嶺:二本松市西方の山。

(注)上二句は序。「ありつつ」を起こす。

(注)寝処>ねどころ【寝所】名詞:①寝る所。寝床。②ねぐら。(学研)

 

 紐を結う、解くには、万葉の時代は契りから別れまでいろいろな意味が込められている。紐に関しては、國學院大學デジタルミュージアム「万葉神事語事典」に、詳しく書かれているので、引用させていただきます

「紐>下紐(したひも):上代では『したびも』。下着の紐。表面からは見えない下裳(したも)や下袴(したばかま)などに付けてある紐。万葉集中で『紐』とのみ詠まれていても、『下紐』の場合が多く、下紐かただの紐かの区別が困難な歌もある。『二人して結びし紐をひとりして我は解き見じ直に逢ふまでは』(12-2919)のように男女が別れるときに互いにこれを結び合う習慣があった。また旅立ちに際し、旅先での無事を願う一種の呪的行為としても紐を結ぶ場合がある。恋人同士で特殊な結び方をして、そこに魂を祝い込めた。『人の見る上は結びて人の見ぬ下紐開けて恋ふる日そ多き』(12-2851)は、表の紐は普通の腰紐であり、裏紐が下紐である。相手と会えないときに、下紐を解いて恋慕うのだという。下紐を詠うことは、エロチックな要素を詠むこととなる。紐は『愛しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思へば』(11-2558)と忘れないで欲しいという思いを込めて結ぶのであり、解ける行為は恋情の表れとなったのである。『我妹子し我を偲ふらし草枕旅の丸寝に下紐解けぬ』(12-3145)のように、恋人に強く思われると、紐が解けるという俗信もあった。ひとりでにこれが解けるのは、思う人に会う前兆、または人に恋い慕われている証拠だと信じられていた。そのため『高麗錦 紐解き開けて 夕だに 知らざる命 恋ひつつかあらむ』(11-2406)のように、恋人に会えるように自ら紐を解く場合もあった。紐が解けるということは、男女の出会いの表現となる。『忘れ草我が下紐に着けたれど醜の醜草言にしありけり』(4-727)や『愛しと思ひし思はば下紐に結い付け持ちて止まず偲はせ』(15-3766)のように、下紐にものを付けることにより相手との関係を強調させている。また『下紐の』は枕詞。同音でシタユコフ(下ゆ恋ふ)に接続する。『物思ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月そ経にける』(15-3708)。 渡辺卓

 

 引用文中の巻四 七二七歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で「わすれ草」を詠んだ歌として紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 歴史民俗用語辞典」