万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その897)―太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(8)―万葉集 巻五 八〇三

●歌は、「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」である。

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太宰府歴史スポーツ公園(8)万葉歌碑(山上憶良


 

●歌碑は、太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(8)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

              (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)なにせむに【何為むに】分類連語:どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。 ※なりたち代名詞「なに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+格助詞「に」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 (注)しかめやも【如かめやも】分類連語:及ぼうか、いや、及びはしない。※なりたち動詞「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

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歌の解説碑

 この歌は、題詞「思子等歌一首幷序」<子等(こら)を思ふ歌一首幷せて序」の反歌である。序ならびに八〇二歌と反歌八〇三歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 山上憶良は、神亀三年(726年)ごろ筑前守として九州に赴任している。その後、神亀四年(727年)ごろ大伴旅人大宰府の帥として赴任、歌を通じて交流を深め、筑紫歌壇を形づくっていったのである。憶良の歌は万葉集には八十首ほど収録されているが、そのほとんどは九州で作られているのである。旅人も七十首ほど作っているが、憶良同様そのほとんどは九州での作歌である。

憶良の作品は、六十九歳以降の作ということである。

 

 山上憶良は、旅人と違い、家柄も何もないがある意味、学問一筋で出世してきたのである。

 憶良は、中国の学問に優れ、701年に遣唐使の遣唐少録(書記のような仕事)大陸に渡っているのである。そして日本に帰ってから霊亀二年(716年)に国司として、伯耆守に任命されたのである。

 憶良に関して、犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」(新潮文庫)のなかで、「(前略)大陸の学問である儒教にも仏教にも詳しい人ですから、現実に対しては、(中略)考え方が現実生活と密着し、生活と結びついている。これは日本文学の中でも実に珍しいことです。それだけ、自らの努力でつくりあげてきた人間生活に対する、徹底的な愛着と執念を持っていたといってもいいと思う。」と書かれている。さらに「現実生活の中に入り込んで、時には社会の矛盾をも突くような情熱を、すでに七十の齢(よわい)を重ねた老人が持っている。これは、驚くべきことだと思います。」と述べられている。

 

 

 八〇二歌の長歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介しているが、あらためてみてみよう。

 

 

◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利

枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農

               (山上憶良 巻五 八〇二)

 

≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ

 

(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(同上)

(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)

 

 この歌の序には、仏教では、子への愛情も煩悩の一つと教えているが、憶良はそれをも超越し、「まされる宝子にしかめやも」と言い切っているのである。

 「瓜」、「栗」という日常的な価値、「銀」、「金」、「玉」という非日常的な価値、それをも超越した「子」が「まされる宝」と言い放っているのである。

 

 「万葉集の詩性(ポエジー) 令和時代の心を読む」(中西 進 編著 角川新書)の、「山上憶良と中国の詩(川合康三著)」の稿に、「憶良の歌には周知のとおり、子供がしばしば登場する。原田貞義(はらださだよし)氏によれば、『二十九歌群中、十二歌群』に子供を詠み込んでいるという。」と書かれている。

 万葉集には、恋の歌が非常に多く、子供のことを歌った歌は珍しいのである。憶良の年令を考えれば、諸説はあるが、自分の子であれ、そうでなくともここまで「子供」を詠いきるところが憶良の真骨頂である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「万葉集の詩性(ポエジー) 令和時代の心を読む」 中西 進 編著 (角川新書)

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市