万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(太宰府番外編その1」)―太宰府メモリアルパークー万葉集 梅花の歌三十二首

太宰府番外編その1―

 太宰府歴史スポーツ公園の次は、太宰府メモリアルパークである。

 太宰府の街を眺望できる丘の上に広がる墓地公園である。駐車場に車を留める。

 予め調べては来たが、広大過ぎる。管理事務所にお邪魔し、万葉歌碑を見て行きたい旨申し出る。係りの方から、パンフレット「天空の楽園 太宰府メモリアルパーク『万葉歌碑めぐり』太宰府悠久の歌碑・句碑」に基づき、親切に教えていただいたのである。

 

 管理事務所前の広場に「令和元号記念碑」と新元号「令和」誕生の舞台となった、天平の「梅花の宴」の説明案内図絵が設置されていた。

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「令和元号記念碑」と「梅花の宴の説明案内図絵」

 「梅花歌三十二首」については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その124-1~5)」で、紹介したことがあるが、太宰府の地での歌碑紹介であるので、改めて書き起こすことにした。

 構成は、①その1:序と八二二歌

     ②その2:八一五歌~八二一歌

     ③その3:八二二歌~八二九歌

     ④その4:八三〇歌~八三七歌

     ⑤その5:八三八歌~八四六歌 である。

 宴は、上席と下席に別れ、上席は、主人旅人を別の座に七人づつが向かい合う形で、下席は、総幹事の小野氏淡理を別の座とし八人づつが向かい合う形で着席していたようであるので、この組み分けで紹介していくことにした。

 

 

◆◆◆序ならびに八二二歌◆◆◆

 

「序」からみていこう。 

 

 題詞は、「梅花歌卅二首幷序」<梅花(ばいくわ)の歌三十二首幷(あわ)せて序>である。

 

天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠

 

 

≪序の書き下し≫天平二年の正月の十三日に、師老(そちらう)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会(うたげ)を申(の)ぶ。

時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風風和(やはら)ぐ。梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。しかのみにあらず、曙(あした)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、夕(ゆふへ)の岫(くき)に露結び、鳥は縠(うすもの)に封(と)ぢらえて林に迷(まと)ふ。庭には舞ふ新蝶(しんてふ)あり、空には帰る故雁(こがん)あり。

ここに、天(あめ)を蓋(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。淡然(たんぜん)自(みづか)ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)自ら足る。

もし翰苑(かんゑん)にあらずは、何をもちてか情(こころ)を攄(の)べむ。詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す、古今それ何ぞ異(こと)ならむ。よろしく園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して、いささかに短詠(たんえい)を成すべし。

 

(訳)天平二年正月十三日、師の老の邸宅に集まって宴会をくりひろげた。

折しも、初春の佳(よ)き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉(おしろい)のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。そればかりか、明け方の峰には雲が往き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたようであり、夕方の山洞(やまほら)には霧が湧き起り、鳥は霧の帳(とばり)に閉じ込められながら林に飛び交うている。庭には春生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋来た雁が帰って行く。

そこで一同、天を屋根とし地を座席とし、膝を近づけて盃(さかずき)をめぐらせる。一座の者みな恍惚(こうこつ)として言を忘れ、雲霞(うんか)の彼方(かなた)に向かって胸襟を開く。心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。

ああ、文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。漢詩にも落梅の作がある。昔も今も何の違いがあろうぞ。さあ、この園梅を題として、しばし倭(やまと)の歌を詠むがよい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)天平二年:西暦七三〇年

(注)れいげつ【令月】:① 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」② 陰暦2月の異称。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは①の意

(注)鏡前の粉を披く:佳人の鏡台のおしろいのように咲いており

(注)珮後の香を薫らす:貴人の飾り袋の香りのように匂うている

(注の注)はい【佩/珮】[名]:腰に下げる飾り。佩(お)び物。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ら 【羅】名詞:薄く織った絹布。薄絹(うすぎぬ)。薄物(うすもの)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くき(岫):①山のほら穴。②山の峰。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)翰苑(かんえん):①文章や手紙 ②「翰林院」に同じ。 ③中国、唐初の類書。張楚金の撰。日本に蕃夷部一巻が現存。

(注)詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す:漢詩にも好んで落梅の作を詠んでいる。

(注)園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して:この庭園の梅を題として。

 

 

 次に、梅花の宴のあるじ、大伴旅人の八二二歌をみてみよう。

 

 ◆和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母 [主人]           (大伴旅人 巻八 八二二)

 

≪書き下し≫我(わ)が園(その)に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも  主人

 

(訳)この我らの園に梅の花がしきりに散る。遥かな天空から雪が流れて来るのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも:梅花を雪に見立てている。六朝以来の漢詩に多い。

(注)主人:宴のあるじ。大伴旅人

 

大伴旅人の歌は、万葉集には、七〇首ほど収録されているが、そのほとんどは九州の大宰府で作られたものである。

 

 神龜四,五年ごろ、大伴旅人大宰師(だざいのそち)となって九州に赴任。ほぼ同じころ、山上憶良(梅花歌 八一八歌)も筑前国守となって九州に赴任している。憶良67歳という。旅人は64歳という年齢であったと推定されている。そして小野老(おののおゆ)(梅花歌 八一六歌)が、また観世音寺にも優れた歌人沙弥満誓(さみまんせい(梅花歌 八二一歌)がおり、大和をしのぐ歌壇を形成したのである。旅人と憶良は互いに影響を与えながら代表的な歌を数々残している。旅人は名門大伴氏に生まれ、その歌には、唐風の教養が優雅ににじみ出ている。憶良は、家柄も何もないが、学問一つで出世、中国の学問に優れており、遣唐使として大陸に渡った経歴があり、歌いぶりは、貧窮問答歌に代表されるような術なき人生に真正面から取り組んだ歌が多いのである。この二人が筑紫歌壇の推進役になって行ったのである。

 重要なのは、父旅人と憶良の交流を通じて、家持は、憶良の人生観や作歌の姿勢を強く学んだということである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「太陽 特集 万葉集」 (平凡社

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市

★「天空の楽園 太宰府メモリアルパーク『万葉歌碑めぐり』太宰府悠久の歌碑・句碑」 (太宰府メモリアルパーク