本稿では、梅花歌八一五から八二一歌をみてみよう。
◆武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎岐都ゝ 多努之岐乎倍米 [大貮紀卿]
(紀卿 巻八 八一五)
≪書き下し≫正月(むつき)立ち春の来(きた)らばかくしこそ梅を招(を)きつつ楽(たの)しき終(を)へめ [大弐(だいに)紀卿(きのまへつきみ)]
(訳)正月になり春がやってきたなら、毎年このように梅の花を迎えて、楽しみの限りを尽くそう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)こそ〔係助〕:已然形で意味的に切れるもの。上代にはきわめてまれで、しかも「うべしこそ」「かくしこそ」の形が主であったが、時代が下るとともに逆接関係で続くものより優勢となる(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)をく【招く】他動詞:招き寄せる。呼び寄せる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)招(を)きつつ:客として招いては。
(注)大弐(だいに):律令制で、大宰府の次官(すけ)のうち、最上位のもの。権帥(ごんのそち)を欠くときに実務を執った(コトバンク デジタル大辞泉より)
■紀卿:万葉集にはこの一首のみ収録されている。未詳。紀朝臣男子か。「卿」は、三位以上に対する称であるが、賓客の中で最高位だったので興じて「卿」を着けたものか。
◆烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛 [少貳小野大夫]
(小野老 巻八 八一六)
≪書き下し≫梅の花今咲けるごと散り過ぎず我(わ)が家(へ)の園(その)にありこせぬかも [少弐(せうに)小野大夫(をののまへつきみ)]
(訳)梅の花よ、今咲いているように散りすぎることなく、この我らの園にずっと咲き続けてほしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)少弐(せうに):律令制で、大宰府(だざいふ)の次官(すけ)のうち、下位のもの。大弐の下で庶務をつかさどった。のちに世襲となり、氏の名となった。すないすけ。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注)我が家の園:旅人邸宅の庭をさす。われら一同の園の意。
(注)こせぬかも 分類連語:…してくれないかなあ。 ※動詞の連用形に付いて、詠嘆的にあつらえ望む意を表す。 ⇒なりたち 助動詞「こす」の未然形+打消の助動詞「ず」の連体形+疑問の係助詞「か」+詠嘆の終助詞「も」(学研)
■小野大夫:小野老朝臣(をののおゆあそみ)。万葉集には三首(巻三 三二八・巻六 九五八)収録されている。「あをによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今盛りなり(三二八歌)は、有名。三二八~三三七歌は小野老が従五位以上になったことを契機とする宴席の歌。小野老の歌に触発され詠われた三二九~三三五歌は奈良の都への望郷歌である。
三二八から三三七歌すべて、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。
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◆烏梅能波奈 佐吉多流僧能々 阿遠也疑波 可豆良尓須倍久 奈利尓家良受夜 [少貳粟田大夫]
(粟田大夫 巻八 八一七)
≪書き下し≫梅の花咲きたる園の青柳はかづらにすべくなりにけらずや [少弐粟田大夫(あはたのまへつきみ)]
(訳)梅の花の咲き匂うこの園の青柳は美しく芽ぶいて、梅のみならずこれも縵(かずら)にできるほどになったではないか。(同上)
(注)青柳:柳を通して梅をほめ、歌の流れに転換を与えている。
(注)かづら:髪飾り。つる草や、やなぎ・ゆり・稲穂などを髪に巻きつけて飾りとしたもの。元来は植物の生命力を我が身に移そうとするまじないで行われた。(学研)
■粟田大夫:万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都ゝ夜 波流比久良佐武 [筑前守山上大夫]
(山上大夫 巻八 八一八)
≪書き下し≫春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日(はるひ)暮らさむ [筑前守(つくしのみちのくちのかみ)山上大夫(やまのうへのまへつきみ)]
(訳)春が来るとまっ先に咲く庭前の梅の花、この花を、ただひとり見ながら長い春の一日を暮らすことであろうか。(同上)
(注)ひとりみつつや:恋歌の発想
■山上大夫:筑前国守山上憶良 万葉集には多数の歌が収録されている。貧窮問答歌等庶民的歌風。大宰府で望郷の意を込め都に戻りたいと上司である大伴旅人に訴えている「敢えて私懐を布(の)ぶる歌」、「天離(あまざか)る鄙(ひな)に五年(いつとせ)住まひつつみやこのてぶり忘らえにけり」(巻五 八八〇)ならびに「奈良の都に召上(めさ)げたまはね」(同八八二)は、現在のサラリーマン社会にも通じる心境である。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その696)」で紹介している。
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◆余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨 [豊後守大伴大夫]
(大伴大夫 巻八 八一九)
≪書き下し≫世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にもならましものを [豊後守(とよくにのみちのしりのかみ)大伴大夫(おほとものまへつきみ)]
(訳)おっしゃるとおり、人の世は恋心が尽きず辛いものです。こんなことなら、いっそ梅の花にでもなりたいものです。(同上)
(注)ゑ 間投助詞:《接続》種々の語に付く。文の間にも終わりにも位置する。〔嘆息のまじった詠嘆〕…よ。…なあ。 ※終助詞とする説もある。多く「よしゑ」「よしゑやし」の形で用いられる。上代語。(学研)
■大伴大夫:大伴宿祢三依? 大伴大夫としてはこの一首のみが万葉集に収録されているが、大伴宿祢三依であるとすれば、さらに四首が収録されていることになる。
◆烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理 [筑後守葛井大夫]
(葛井大夫 巻八 八二〇)
≪書き下し≫梅の花今盛りなりと思ふどちかざしにしてな今盛りなり [筑後守(つくしのみちのしりのかみ)葛井大夫(ふぢゐのまへつきみ)]
(訳)梅の花は今がまっ盛りだ。気心知れた皆の者の髪飾りにしよう。梅の花は今がまっ盛りだ。
(注)おもふどち【思ふどち】名詞:気の合う者同士。仲間。(学研)
■葛井大夫:葛井連大成(ふぢゐのむらじおほなり)万葉集には三首(巻八 八二〇・巻四五七六・巻六 一〇〇三)が収録されている。
◆阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能ゝ知波 知利奴得母與斯 [笠沙弥]
(笠沙弥 巻八 八二一)
≪書き下し≫青柳(あをやなぎ)梅との花を折りかざし飲みての後(のち)は散りぬとも良し [笠沙弥(かさのさみ)]
(訳)青柳に梅の花を手折りかざして、相ともに飲んだその後なら、散ってしまってもかまわない。(同上)
■笠沙弥:笠朝臣麻呂(かさのあそみまろ)。出家して満誓と号。万葉集には、沙弥満誓、造筑紫観音寺別当(ざうつくしくわんおんじのべつたう)、造筑紫観世音寺別当(ざうつくしくわんぜおんじのべつたう)、満誓沙弥の呼称で九首が収録されている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」