万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その904)―太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(5)ー万葉集 巻十一 二四八〇

●歌は、「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。

 

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太宰府メモリアルパーク(5)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(5)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋  或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者

                (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は   或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ

 

(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(同上)

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その319)で紹介している。

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二五一六歌の左注に、「以前一百四十九首柿本朝臣人麻呂之歌集出」<以前(さき)の一百四十九首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ>とある。

「以前一百四十九首」とは、二三六八から二五一六歌の歌群のことを指している。

柿本人麻呂については「歌聖」と称されているが、謎の多い人物である。

コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」には、人麻呂について次のように書かれている。

「《万葉集》の歌人。生没年,経歴とも不詳ながら,その主な作品は689‐700年(持統3‐文武4)の間に作られており,皇子,皇女の死に際しての挽歌や天皇行幸に供奉しての作が多いところから,歌をもって宮廷に仕えた宮廷詩人であったと考えられる。人麻呂作と明記された歌は《万葉集》中に長歌16首,短歌61首を数え,ほかに《柿本人麻呂歌集》の歌とされるものが長短含めて約370首におよぶ。質量ともに《万葉集》最大の歌人で,さらにその雄渾にして修辞を尽くした作風は日本詩歌史に独歩する存在とみなされる。」

 

「宮廷歌人」であったが故に、「公的な立場」での歌が大半を占めている。

 

 吉野行幸従駕の歌をみてみよう。

 

 題詞は、「幸于吉野宮之時、柿本朝臣人麿作歌」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、柿本朝臣人麿が作る歌>である

 

◆八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百磯城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟竟 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高良思珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可聞

                               (柿本人麻呂 巻一 三六)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大王(おほきみ)の きこしめす 天(あめ)の下(した)に 国はしも さはにあれども 山川(やまかは)の 清き河内(かうち)と 御心(みこころ)を 吉野の国の 花散(ぢ)らふ 秋津(あきづ)の野辺(のへ)に 宮柱(みやはしら) 太敷(ふとし)きませば ももしきの 大宮人(おほみやひち)は 舟(ふな)並(な)めて 朝川(あさかは)渡る 舟競(ぎそ)ひ 夕川(ゆふかは)渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知(たかし)らす 水(みな)激(そそ)く 滝(たき)の宮処(みやこ)は 見れど飽(あ)かぬかも

 

(訳)あまねく天の下を支配されるわれらが大君のお治めになる天の下に、国はといえばたくさんあるけれども、中でも山と川の清らかな河内として、とくに御心をお寄(よ)せになる吉野(よしの)の国の豊かに美しい秋津の野辺(のべ)に、宮柱をしっかとお建てになると、ももしきの大宮人は、船を並べて朝の川を渡る。船を漕ぎ競って夕の川を渡る。この川のように絶えることなく、この山のようにいよいよ高く君臨したまう、水流激しきこの滝の都は、見ても見ても見飽きることはない。

(注)きこしめす【聞こし召す】他動詞:お治めになる。(政治・儀式などを)なさる。 ▽「治む」「行ふ」などの尊敬語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)

(注)かふち【河内】名詞:川の曲がって流れている所。また、川を中心にした一帯。 ※「かはうち」の変化した語。

(注)みこころを【御心を】分類枕詞:「御心を寄す」ということから、「寄す」と同じ音を含む「吉野」にかかる。「みこころを吉野の国」(学研)

(注)ちらふ【散らふ】分類連語:散り続ける。散っている。 ※「ふ」は反復継続の助動詞。上代語。(学研) 花散らふ:枕詞で「秋津」に懸る、という説も。

(注)たかしる【高知る】他動詞:立派に治める。(学研)

 

 この歌については、反歌(三七歌)ともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その771)」で紹介している。

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「私的な立場」の歌の代表的なものとしては、「泣血哀慟歌」(巻二 二〇七から二一六歌)、「石見相聞歌」(巻二 一三一から一三九歌)がある。

「泣血哀慟歌」の二一〇から二一二歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その177)」で紹介している。

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「石見相聞歌」の一三一から一三四歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その307)」で紹介している。

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 「柿本人麻呂歌集」についてみてみよう。

 「万葉集」が「柿本人麻呂歌集」から収録している歌は、巻二に一首(一四六歌)、巻三に一首(二四四歌)、巻七に五十六首、巻九に四十四首(異説あり)、巻十に六十八首、巻十一に一六一首、巻十二に二十七首、巻十三に三首(三二五三、三二五四、三三〇九歌)、巻十四に五首(三四一七、三四四一、三四七〇、三四八一、三四九〇歌)である。

 

 柿本人麻呂歌集について、中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集角川ソフィア文庫)」の中で、「人麻呂の歌集の歌は大体こんなふうに考えておけばよいだろう。人麻呂は存命中に歌のノートをもっていた。時として行幸に従ったおりの自作や他作のメモだったり、土地土地の庶民の歌だったりするが、また個人的な生活や行旅の中で詠んだり聞いたりした歌もあった。(中略)当時の歌は、文字どおり歌うものであって、書く文芸ではない。人麻呂の歌も筆録と同時に口頭によって伝承されることが多かった。」と、民謡風の歌から、人麻呂らしからぬ歌までが包含されていることから高橋虫麻呂歌集や田辺福麻呂歌集と違って、すべてが人麻呂自身の歌ではないこと、歌集には「異伝」が多いこと、などについても指摘されている。

 

 「柿本人麻呂歌集」は、万葉集巻七から巻十三にみられるように、部立や標題のほとんどにおいて、人麻呂歌集を載せ、そのあとに、ほぼ標題を参考にした形で構成されているのである。人麻呂歌集を拡大したような形で万葉集は編集されているのである。

 

 「柿本人麻呂歌集」の中には「略体書記」によるものがある。その典型は、各句二字づつ、全体を十字で書記している、巻十一 二四五三歌である。

 

 歌をみてみよう。

 

◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念

                                  (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四五三)

 

≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)春柳(読み)ハルヤナギ:①[名]春、芽を出し始めたころの柳。②[枕]芽を出し始めた柳の枝をかずらに挿す意から、「かづら」「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)上三句は序、「立ち」を起こす。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で紹介している・

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で学ぶ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市

★「天空の楽園 太宰府メモリアルパーク『万葉歌碑めぐり』太宰府悠久の歌碑・句碑」 (太宰府メモリアルパーク)万葉