万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その907、908)―太宰府メモリアルパーク(8,9)―万葉集 巻八 一五三七、一五三八 

―その907-

 

●歌は、「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」である。

 

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太宰府メモリアルパーク(8)万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(8)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花  其一

                  (山上憶良 巻八 一五三七)

 

≪書き下し≫秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数(かぞ)ふれば七種(ななくさ)の花 その一

 

(訳)秋の野に咲いている花、その花を、いいか、こうやって指(および)を折って数えてみると、七種の花、そら、七種の花があるんだぞ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

 

―その908―

 

●歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である

 

●歌碑は、太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(9)にある。

 

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太宰府メモリアルパーク(9)万葉歌碑(山上憶良

●歌をみていこう。

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝<顔>之花  其二

                  (山上憶良 巻八 一五三八)

   ※<顔>と書いているが、白の下に八であるが、漢字が見当たらなかったため

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花 その二

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(同上)

 

一五三七、一五三八歌にそれぞれ、その一、その二と附されているのは、組で一つの詠いものになっていることを示している。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その61、62)」で紹介している。ブログを書いたのは平成最後の日の4月30日であった。この日は、海洋釣堀に行っていたので、その釣果などの写真も掲載せている。お見苦しいですがご容赦下さい。

 ➡ こちら61,62

 

 この二首について、上野 誠氏は、その著「万葉集の心を読む」(角川文庫)の中で、一種の宴会芸ととられておられる。

 「憶良はまず、秋の野の花を指を折って数えてみると七種類ありま―す・・・」と一五三七歌を歌う。

 「つまり、憶良は聞き手に次の歌を期待させるのです。聞き手は、次の歌を、どのように歌うか注目するはずです。なにせ、七種もの花を歌わなくてはなりません。次の歌に注目したことでしょう。聞き耳を立てて、なにせ、遣唐使にもなった秀才・憶良。秋の野の花をどのように歌うか、その場に会していた一同は、注目していたと思います。」そして一五三八歌が歌われた。

 「なんと、ただ花の名前を並べただけです。関西のお笑い芸人なら、『なんやそれ、そのままやんけ!』と頭を打つ場面でしょう。しかし、それは芸としてみれば、たいそう難しいものであったと思います。なぜならば、期待をもたせるために充分な間(ま)をためる必要があるからです、この『ため』がないと二首目の肩透かしはうまく活きません。」と書かれている。

 

 このような見方には脱帽である。

 万葉集のある意味、歌物語的な要素を見て来ると、歴史性をある程度保ちつつ、「歌物語」にしつらえた側面がある。例えば、巻二の冒頭歌八五歌から八八歌の磐姫皇后(いはのひめのおほきみ)の仁徳天皇を思(しに)ひて作られたという四首などがそうでる。

 この四首のストーリー性については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その706)で触れている。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

また、巻十六の「由縁(ゆえん)ある歌」なども、物語とそれにちなんだ歌が収録されている。これも見方によっては、歌物語である。

著名人の日記のブログなどはフォロワーの数は多く、人気を呼んでいるが、巻十七から巻二十の家持の日記風な歌集も、現在のように一般化してはいないものの、当時のしかるべき階層には人気があったのかもしれない。

巻十四の東歌は、地方ドキュメンタリーであり、防人歌は当時の防衛問題特集であったのかもしれない。

万葉集に相聞歌が圧倒的に多いのも、人びとの関心は男女問題であるのは今も変わらないことを考えると、受け手側の期待を考えて編集されたのかもしれない。

 

万葉集をこのように見てしまうと、なぜか極めて強い罪悪感にとらわれてしまう。

まだまだ万葉集をつかみきっていない戯言とお見逃し下さい。

 

 

 一五三八歌の「藤袴」が歌われているのは、この歌のみである。

 藤袴は、本来中国原産で、古い時代に薬草として伝来し、広く栽培されたのちに野生化したものと考えられている。藤袴の花は香りが良いので、中国では「蘭草」、「香草」、「香水蘭」と呼んでいたそうである。苛立ちや神経の疲れをいやす効果があったという。

 

 

製薬会社のエーザイ株式会社のHPの「薬草に親しむ」  に次のように書かれている。

「(前略)山上憶良(やまのうえのおくら)が『万葉集』で連続して詠んだこの歌2首が『秋の七草』の始まりです。春の七草七草粥として食することで栄養摂取に用いられて来たのとは対照的に、秋の七草は花を見て楽しむものです。ただ秋の七草でも薬草として用いられてきたものがいくつか含まれています。

 『芹なずな御形(ごぎょう)はこべら仏の座 すずなすずしろこれぞ七草』(四辻左大臣)という春の七草を詠んだ歌の方が『七草粥』とともに一般的にはより親しまれているようです。(後略)」

 

 「秋の七草」の始まりが、万葉集であり、山上憶良であったとは・・・。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉集の心」 上野 誠 著 (角川文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「薬草に親しむ」 (エーザイ株式会社HP)

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市) 

★「天空の楽園 太宰府メモリアルパーク『万葉歌碑めぐり』太宰府悠久の歌碑・句碑」 (太宰府メモリアルパーク