万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その909)―太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(10)―万葉集 巻五 七九三

●歌は、「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりける」である。

 

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太宰府メモリアルパーク(10)万葉歌碑(大伴旅人

●歌碑は、太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(10)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大宰帥大伴卿報凶問歌一首」<大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、凶問(きょうもん)に報(こた)ふる歌一首>である。

(注)凶問(きょうもん)〘名〙: 凶事の知らせ。死去の知らせ。凶音。一説に、凶事を慰問すること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

前文は、「禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳<  筆不盡言 古今所歎>」である。

 

≪前文の書き下し≫禍故重疊(くわこちようでふ)し、凶問累集(るいじふ)す。永(ひたふる)に崩心(ほうしん)の悲しびを懐(むだ)き、獨(もは)ら断腸(だんちやう)の泣(なみた)を流す。ただ、両君の大助(たいじよ)によりて、傾命(けいめい)をわづかに継げらくのみ。    <筆の言を盡さぬは、古今歎くところ>

 

≪前文訳≫不幸が重なり、悪い報(しら)せが続きます。ひたすら崩心の悲しみに沈み、ひとり断腸の涙を流しています。ただただ、両君のこの上ないお力添えによって、いくばくもない余命をようやく繋ぎ留めているばかりです。<筆では言いたいことも尽くせないのは、昔も今も一様に嘆くところです。>(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)禍故重疊:不幸が重なる。

(注)ひたぶるなり【頓なり・一向なり】形容動詞:①ひたすらだ。いちずだ。②〔連用形の形で、下に打消の語を伴って〕いっこうに。まったく。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)両君:庶弟稲公と甥胡麻呂か。

(注)傾命:余命

 

◆余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理

                (大伴旅人 巻五 七九三)

 

≪書き下し≫世の中は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

 

(訳)世の中とは空しいものだと思い知るにつけ、さらにいっそう深い悲しみがこみあげてきてしまうのです。(同上)

(注)上二句は「世間空」の翻案。

(注)いよよ【愈】副詞:なおその上に。いよいよ。いっそう。(学研)

 

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歌の解説案内板

 

 林田正男氏は、「大伴旅人―人と作品」(中西 進 編 祥伝社新書)の中で、「短歌の『世間は空し』は仏教語の『世間虚仮(せけんこけ)』(この世は仮の世でむなしいものだ)による。この仏教思想の無常の観念は、今まで旅人は単に知識として知っていた。しかしそれが都からの凶事の知らせや現実に妻を失ったなまなましい体験により、それをつくづく思い知らされたのである。『知る時し』の『し』の強意の助詞の使用は実体験として知ったことを強調し、その現実の認識が『いよよますます 悲しかりけり』という嘆きの声調としてにじみ出たのである。」とわかりやすく解説されている。

 

 前文では、「断腸(だんちやう)の泣(なみた)を流す」、「傾命(けいめい)をわづかに継げらくのみ」、「筆の言を盡さぬは、古今歎くところ」と、悲しみを吐露しているが、七九三歌では、「いよよますます悲しかりけり」と、超然とした思いで「悲しかりけり」と言い切り、そこに新たな自己を生み出しているのである。

 

書簡の日付は、「神亀五年六月二十三日」<神亀(じんき)五年六月二十三日>である。

(注)神亀五年:728年

 

 

 大伴家持の三九六三歌をみてみよう。

 

題詞は、「忽沈枉疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首 幷短歌」<たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み、ほとほとに泉路(せんろ)に臨(のぞ)む。 よりて、歌詞を作り、もちて悲緒(ひしょ)を申(の)ぶる一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み:思いもかけずよこしまな病気にかかり

 

◆世間波 加受奈枳物能可 春花乃 知里能麻我比尓 思奴倍吉於母倍婆

                (大伴家持 巻十七 三九六三)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)は数なきものか春花(はるはな)の散りのまがひに死ぬべき思へば

 

(訳)生きてこの世に在る人間というのもは何とまあ定まりのないものであることか。春の花の散り交うのにまぎれて、はかなく死んでしまうのかと思うと。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かずなし【数無し】形容詞:①物の数にも入らない。はかない。②数えきれないほど多い。無数である。(学研) ここでは①の意

(注)まがひ【紛ひ】名詞:(いろいろのものが)入りまじること。まじり乱れること。また、入りまじって見分けがつかないこと。(学研)

 

 旅人の悲しみは、カラッとし悟った感があるが、家持は、病にかかったばかりで、不安感が支配的であるので、ジメッとした感が否めない。

 

 長歌の三九六二歌の「書き下し」と訳もみてみよう。

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに ますらをの 心振り起(おこ)し あしひきの 山坂(やまさか)越えて 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に下(くだ)り来(き) 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡(なび)き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくし 日に異(け)に増(ま)さる たらちねの 母の命(みこと)の 大船の ゆくらゆくらに 下恋(したごひ)に いつかも来(こ)むと 待たすらむ 心寂(あぶ)しく はしきよし 妻の命(みこと)も 明けくれば 門(かど)に寄り立ち 衣手(ころもで)を 折り返しつつ 夕されば 床(とこ)打ち払(はら)ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 妹(いも)も兄(せ)も 若き子どもは をちこちに 騒(さわ)き泣くらむ 玉桙(たまぼこ)の 道をた遠(どほ)み 間使(まつかひ)も 遺(や)るよしもなし 思ほしき 言伝(ことづ)て遣(や)らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命(いのち)惜(お)しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに かくしてや 荒(あら)し男(を)すらに 嘆(なげ)き伏せらむ

 

(訳)大君の仰せに従って、ますらおの雄々しい心を奮い起こして、山を越え坂を越え、はるばるこの遠い鄙の地に下って来て、まだ息も休めず年月もどれほども経っていないのに、はかない世に住む人間のこととて、ぐったりと病の床に横たわってしまって、苦しみは日に日につのるばかりだ。懐かしい母君が、大船の揺れるようにゆらゆらと落ち着かず、心待ちにいつ帰ることかと恋い焦がれておられるお気持ちは、思いやるだけでさびしいし、いとしくてならない大事な妻も、夜が明けてくると門に寄り添って立ち、夕ともなると袖を折り返しては床を払い清めて、独りさびしく黒髪を靡かせて伏し、早く帰って来てほしいと嘆いてくれていることであろう。女の子も男の子も幼い子どもたちは、あっちこっちで騒いだり泣いたりしていることであろう。とはいえ、道のりははるかに遠く、ちょいちょい使いをやる手だてもない。言いたいことを言ってやることもできずに恋い慕うにつけても、心は熱く燃え上がるばかりだ。限りある命は惜しく何とかしたいと思うけれど、どうしたらよいのか手がかりもわからず、こうして豪胆であるべき男子たるものが、ただめめしく嘆き臥(ふ)してばかりいなければならぬというのか。

 

三九六四歌もみてみよう。

 

◆山河乃 曽伎敝乎登保美 波之吉余思 伊母乎安比見受 可久夜奈氣加牟

               (大伴家持 巻十七 三九六四)

 

≪書き下し≫山川(やまかは)のそきへを遠みはしきよし妹(いも)を相見ずかくや嘆かむ

 

(訳)山や川を隔ててはるか遠くに離れているので、いとしいあの人に逢(あ)うこともできず、こうして独り嘆いていなければならないのか。(同上)

(注)そきへ【退き方】名詞:遠く離れたほう。遠方。果て。「そくへ」とも。(学研)

(注)はしきよし【愛しきよし】分類連語:「はしきやし」に同じ。「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒なりたち 形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「よし」

(注の注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒ 参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。

 

左注は、「右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌」<右は、天平(てんびやう)十九年の春の二月の二十日に、越中の国の守が館(たち)に病(やまひ)に臥(ふ)して悲傷(かな)しび、いささかにこの歌を作る>である。

 

 

 

 上述の歌の解説の中で、仏教思想に触れていたが、日本に仏教が伝わったのは、六世紀舒明天皇の時代と言われている。

 百済から大和川をさかのぼり、桜井市金屋の河川敷のあたりの地に上陸し、仏教を伝えたと言われている。現在は、金屋河川敷公園が整備され、「佛教伝来之地」の碑が建てられている。

 

 奈良県桜井市HPの「はじまりの街桜井物語」によると、桜井の地は、①万葉集の巻頭の歌が詠まれた地、②相撲発祥の地、③芸能発祥の地、④仏教伝来の地、であると書かれている。

 これらにゆかりの万葉歌碑は巡っており、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その79)」で紹介している。初期のブログですので、朝食のサンドイッチやデザートの写真が掲載されていますがご容赦下さい。

 ➡ こちら79

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社新書)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「はじまりの街桜井物語」 (奈良県桜井市HP)

★「太宰府万葉歌碑巡り」 (太宰府市

★「天空の楽園 太宰府メモリアルパーク『万葉歌碑めぐり』太宰府悠久の歌碑・句碑」 (太宰府メモリアルパーク