万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その910)―太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(11)―万葉集 巻五 七九四

●歌は、「大君の遠の朝廷としらぬひ筑紫の国に泣く子なす慕ひ来まして・・・」である。

 

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太宰府メモリアルパーク(11)万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

七九四から七九九歌の歌群は、「 漢文の前文、漢詩、七九四歌(長歌)、反歌五首(七九五から七九九歌)」から成り立っている。

 

 漢文の前文ならびに漢詩からみてみよう。

 

◆(前文ならびに漢詩)「盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来二鼠競走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖 偕老違於要期獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩、無由再見 嗚呼哀哉

 

愛河波浪已先滅

苦海煩悩亦無結

従来厭離此穢土

本願託生彼浄刹」

 

 ≪漢文の前文の書き下し≫けだし聞く、四生(ししやう)の起滅(きめつ)は夢(いめ)のみな空(むな)しきがごとく、三界(さんがい)の漂流(へうる)は環(わ)の息(とど)まらぬがごとし。このゆゑに、維摩大士(ゆいまだいじ)も方丈(はうじやう)に在(あ)りて染疾(ぜんしつ)の患(うれへ)を懐(むだ)くことあり、釈迦(しゃか)能仁(のうにん)は、双林(さうりん)に坐(ざ)して泥洹(ないをん)の苦しびを免(まぬか)れたまふことなし、と。故(そゑ)に知りぬ、二聖(にしやう)の至極(しごく)すらに力負(りきふ)の尋(たづ)ね至ることを払(はら)ふことあたはず、三千世界に誰(た)れかよく黒闇(こくあん)の捜(たづ)ね来(きた)ることを逃(のが)れむ、といふことを。二鼠(にそ)競(きほ)ひ走りて、度目(ともく)の鳥旦(あした)に飛ぶ、四蛇(しだ)争(いそ)ひ侵(をか)して、過隙(くわげき)の駒夕(ゆふへ)に走る。ああ痛きかも。紅顏(こうがん)は三従(さんじう)とともに長逝(ちやうせい)す、素質(そしつ)は四徳(しとく)とともに永滅(えいめつ)す。何ぞ図(はか)りきや、偕老(かいらう)は要期(えうご)に違(たが)ひ、独飛(どくひ)して半路(はんろ)に生(い)かむとは。蘭室(らんしつ)には屏風(へいふう)いたづらに張り、断腸(だんちゆう)の哀(かな)しびいよよ痛し、枕頭(しんとう)には明鏡(めいきゃう)空(むな)しく懸(か)かり、染筠 (ぜんゐん)の涙(なみた)いよよ落つ。泉門(せんもん)ひとたび掩(と)ざされて、また見るに由(よし)なし。ああ哀(かな)しきかも。

 

漢詩の書き下し≫

愛河(あいが)の波浪はすでにして滅ぶ、

苦海(くがい)の煩悩(ぼんなう)もまた結ぼほることなし。

従来(もとより)この穢土(ゑど)を厭離(えんり)す、

本願(ほんぐわん)生(しやう)をその浄刹(じやうせつ)に託(よ)せむ。

 

(注)四生(ししょう)〘仏〙: 迷いの世界の生物をその生まれ方によって分けたもの。胎生・卵生・湿生・化生(けしよう)の四種。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)三界(さんがい)〘仏〙: 心をもつものの存在する欲界・色界・無色界の三つの世界。仏以外の全世界。(三省堂

(注)維摩(読み)ゆいま:大乗仏教経典の一つである『維摩経』の主人公の名。維摩詰 (きつ) ともいう。大乗仏教の空思想の立場に立って部派仏教の修行者を批判する在家仏教者の理想像として描かれている。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

(注)方丈(読み)ほうじょう:1丈 (約 3m) 四方の部屋の意で,禅宗寺院の住持や長老の居室をさす。『維摩経』に,維摩居士の室が1丈四方の広さであったという故事に由来する。転じて住職をも意味する。さらに一般的に師の尊称として用いられた。(ブリタニカ)

(注)能仁(読み)のうにん:能忍とも書かれ釈尊を意味する。能仁寂黙 (じゃくもく) とは,サンスクリット語 Śākyamuniの訳語で,聖者を意味する muniを mauna (沈黙の意) と結びつけた,いわば通俗語源解釈に立つ訳語で同じく釈尊をさす。(ブリタニカ)

(注)双林(読み)そうりん : 沙羅双樹(さらそうじゅ)の林。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)泥洹(読み)ないおん:⇒ 涅槃ねはん(コトバンク 大辞林 第三版)

(注)力負(りきふ):力ありて負い行く者。死の魔手。

(注)黒闇(読み)コクアン: くらやみ。暗黒。また、仏教で、迷いの闇。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)二鼠(読み)ニソ:仏語。白・黒の2匹のネズミ。昼夜・日月などにたとえる(コトバンク デジタル大辞泉

(注)四蛇(読み)シダ:天地や肉体を形成している地・水・火・風の4要素を、4匹の毒蛇にたとえた語。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)紅顔:麗しい顔色。「素質」(白い肌)とともに老妻への哀切を深める文飾。

(注)三従(読み)サンジウ《「儀礼」喪服から》昔、婦人の守るべきものとされた三つの事柄。結婚前には父に、結婚後は夫に、夫の死後は子に従うということ(コトバンク デジタル大辞泉

(注)四徳(読み)シトク: 《「礼記」昏義から》婦人のもつべき四つの徳。婦徳・婦言・婦功・婦容。四行。四教。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)偕老(読み)カイロウ:《老いを偕(とも)にする意》夫婦が、年をとるまで仲よく一緒に暮らすこと(コトバンク デジタル大辞泉

(注)独飛:連れを失った鳥が独り飛ぶこと。

(注)染筠 (ぜんゐん)の涙:青竹の肌をも染める涙

 

(注)愛河:愛欲を川に喩えた仏教語

(注)苦海:俗世の苦悩を海に喩えた仏教語

(注)穢土(ゑど):穢れた地上。人間世界

(注)厭離(読み)エンリ:仏語。けがれた現世を嫌い離れること。おんり(コトバンク デジタル大辞泉

(注)浄刹(読み)ジョウセツ:① 清浄な国土。浄土。② 清浄な寺院。また、その境内。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 

(漢文の序の訳)聞くところによれば、万物の生死は夢がすべてはかないのと似ており、全世界の流転は輪が繋がって終わることがないのに似ている。こういうわけで、維摩大士も方丈の室(しつ)で病気の憂いを抱くことがあったし、釈迦能仁も沙羅(さら)双樹の林で死滅の苦しみから逃れることができなかった、とのことである。かくして知ることができる。この無上の二聖人でさえも、死の魔手の訪れを払いのけることはできず、この全世界の間、死神が尋ねてくるのをかわすことは誰にもできないということが。この世では、昼と夜とが先を争って進み、時は、朝に飛ぶ鳥が飛ぶ鳥が眼前を横切るように一瞬にして過ぎてしまうし、人体を構成する地水火風が互いにせめぎあって、身は、夕べに走る駒が隙間を通り過ぎるように瞬間にして消えてしまうのである。ああ、せつない。

こうして世の中の理(ことわり)のままに、妻の麗(うるわ)しい顔色は三従の婦徳とともに永遠に消え行き、その白い肌は四徳の婦道とともに永遠に飛び去ってしまった。誰が思い設けたことか、夫婦共白髪の契りは空しむも果たされず、まるではぐれ鳥のように人生半ばにして独りわびしく取り残されようとは。かぐわしい閨(ねや)には屏風(びょうぶ)が空しく張られたままで、腸もちぎれるばかりの悲しみはいよいよ深まるばかり、枕元には明鏡が空しく懸ったままで、青竹の皮をも染める涙がいよいよ流れ落ちる。しかし、黄泉(よみ)の門がいったん閉ざされたからには、もう二度と見る手立てはない。ああ、悲しい。

 

いとしい妻はすでに死んでしまって、身を襲う煩悩も結ばれることなくただ揺れ動くばかり。私は前々からこの穢(けが)れた地上から逃れたいと思っていた。乞い願わくは、仏の本願にすがって、妻のいるかの極楽浄土に命を寄せたいものだ。(同上)

 

 歌碑の七九四歌をみていこう。

 

題詞は、「日本挽歌一首」<日本挽歌(にほんばんか)一首>である。

 

◆大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陁尓母伊摩陁夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許ゝ呂由母 於母波奴阿比陁尓 宇知那毗枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良毗為 加多良比斯 許ゝ呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須

               (山上憶良 巻五 七九四)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕(した)ひ来(き)まして 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あひだ)に うち靡(なび)き 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 石木(いはき)をも 問(と)ひ放(さ)け知らず 家(いへ)ならば かたちはあらむを 恨(うら)めしき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あ)れをばも いかにせよとか にほ鳥(どり)の ふたり並び居(ゐ) 語らひし 心背(そむ)きて 家離(ざか)りいます

 

(訳)都遠く離れた大君の政庁だからと、この筑紫の国に、泣く子のようにむりやり付いて来て、息すら休める間もなく年月もいくらも経たないのに、思いもかけぬ間(ま)にぐったりと臥(ふ)してしまわれたので、どう言手だてもわからず、せめて庭の岩や木に問いかけて心を晴らそうとするがそれもかなわず、途方にくれるばかりだ。ああ、あのまま奈良の家にいたなら、しゃんとしていられたろうに、恨めしい妻だが、この私にどうせよという気なのか、かいつぶりのように二人並んで夫婦の語らいを交わしたその心に背いて、家を離れて行ってしまわれた。(同上)

(注)しらぬひ 分類枕詞:語義・かかる理由未詳。地名「筑紫(つくし)」にかかる。「しらぬひ筑紫」。 ※中古以降「しらぬひの」とも。(学研)

 (注)したふ【慕ふ】他動詞:①(心引かれて)あとを追う。ついて行く。②恋しく思う。愛惜する。慕う。(学研) ここでは①の意

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歌の解説案内板


 

 

 七九四歌の「日本挽歌」の「日本」を冠する意味について、江戸時代以来、漢詩に対して「日本」というのだとする考えが一般的であったが、現在は、前の漢文・漢詩に対してではなく、中国の挽歌に対して日本における挽歌を意味したものと見る見方が有力と言われている。

 神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」の中で、「漢文・漢詩とともに展示されて、『雑歌』の標題のもとにおかれているのは、挽歌の伝統などというものではなく、日本語によって挽歌・挽歌詩とおなじものを実現したと示すのです。歌の可能性を、その環境においてあらわしだしたものだというべきです。」と書いておられる。さらに「現在の注釈にあっては、新大系新日本古典文学大系万葉集』>が、『中国の挽歌に対して、日本における葬送の歌の意』であって『葬送の道における悲嘆の心を』『日本語で表現しようとするもの』だというのが。もっとも明快に、日本語による『挽歌』の実現という本質をいいあてています。」と述べられている。

 山上憶良ならではの強いメッセージといえよう。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社新書)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市

★「天空の楽園 太宰府メモリアルパーク『万葉歌碑めぐり』太宰府悠久の歌碑・句碑」 (太宰府メモリアルパーク