万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その913)―太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(14)―万葉集 巻五 七九七

●歌は、「悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを」である。

 

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太宰府メモリアルパーク(14)万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク(14)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎

               (山上憶良 巻五 七九七)

 

≪書き下し≫悔しかもかく知らませばあをによし国内(くぬち)ことごと見せましものを

 

(訳)ああ残念だ。ここ筑紫の異郷でこんなはかない身になるとあらかじめ知っていたなら、故郷奈良の山や野をくまなく見せておくのだったのに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)くやし【悔し】形容詞:悔しい。後悔される。残念だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ます 助動詞:①〔謙譲〕…申し上げる。お…する。②〔丁寧〕…ます。 ※中世後期以後の語。 ⇒語の歴史 「まゐ(参)らす」が変化した「まらする」からできた語で、現代語の助動詞「ます」につながる。(学研)

(注)あをによし【青丹よし】分類枕詞:奈良坂の付近で「青丹」を産したところから、「奈良(なら)」にかかる。(学研)

(注の注)あをに【青丹】名詞:①顔料や染料に用いられる、青黒い土。岩緑青(いわろくしよう)。②染め色の一つ。濃い青色に、黄色の加わった色。③襲(かさね)の色目の一つ。表裏ともに、濃い青に黄色がかった色。(学研)

(注)くぬち【国内】名詞:国じゅう。国の中。 ※「くにうち」の変化した語。(学研)

 

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歌の解説案内板

 

 日本挽歌ならびに反歌五首は、いずれも旅人の気持ちに立って歌い上げている。

 犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」(新潮文庫)の中で、八〇三歌「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも」の歌に関して。「よく考えると、案外世の人の、世の子供の親というものになり代わってうたっているようにも思われるのです。自己の心でしょうが、一般的な親の心に代わっているようなところもある。」と書かれている。

 

八〇三歌をみてみよう。

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

              (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)

(注)なにせむに【何為むに】分類連語:どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。 ※なりたち代名詞「なに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+格助詞「に」(学研)

 (注)しかめやも【如かめやも】分類連語:及ぼうか、いや、及びはしない。※なりたち動詞「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 この歌は、題詞「思子等歌一首幷序」<子等(こら)を思ふ歌一首幷せて序」の反歌である。これらの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その897)」で紹介している。

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 さらに、犬養氏は前著のなかで、「たとえば、この人の、七夕の歌十二首というのがあります。ちょっと考えたら、憶良があんな彦星と七夕姫(たなばたつめ)の恋愛なんかに興味を持つかと思うでしょう。ところが、彦星の気持ちになって、見事な歌をうたっています。そういうところが、憶良の大事な秘密だと思います。」と書かれている。

 

七夕の歌十二首をみてみよう。

 

題詞は、「山上臣憶良七夕歌十二首」<山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)が七夕(たなばた)の歌十二首>である。

 

◆天漢 相向立而 吾戀之 君来益奈利 紐解設奈 <一云 向河>

                (山上憶良 巻八 一五一八)

 

≪書き下し≫天(あま)の川(がは)相向(あひむ)き立ちて我(あ)が恋ひし君来(き)ますなり紐(ひも)解き設(ま)けな  <一には「川に向ひて」といふ>

 

(訳)天の川、この川に向かい立っては私が恋い焦がれていたあの方がいよいよおいでになるらしい。さあ、衣の紐を解いてお待ちしよう。<その川に向かって>(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

 

左注は、「右養老八年七月七日應令」<右は、養老(やうらう)八年の七月の七日に、令に応(こた)ふ。>である。

 

◆久方之 漢瀬尓 船泛而 今夜可君之 我許来益武

               (山上憶良 巻八 一五一九)

 

≪書き下し≫ひさかたの天(あま)の川瀬に舟浮(う)けて今夜(こよひ)か君が我がり来(き)まさむ

 

(訳)天の川の渡り瀬に船を浮かべて、今夜はあの方が私の所へいらっしゃって下さるだろうか。(同上)

(注)がり【許】名詞:…のもと(へ)。…の所(へ)。▽多くは人を表す名詞・代名詞に格助詞「の」が付いた形に続く。 ⇒参考 上代では「がり」は接尾語の用法のみであったが、中古になると接尾語から変化した名詞の用法が生じた。これをも接尾語とみる説もあるが、格助詞「の」を伴った連体修飾語によって修飾されているところから名詞ととらえる方が自然であろう。(学研)

(注)ます【坐す・座す】補助動詞:〔動詞の連用形に付いて〕…て(で)いらっしゃる。お…になる。▽尊敬の意を表す。(学研)

 

左注は、「右神亀元年七月七日夜左大臣宅」<右は、神亀(じんき)元年の七月の七日の夜に、左大臣の宅(いへ)にして。>である。

(注)左大臣の宅:長屋王の佐保邸

 

◆牽牛者 織女等 天地之 別時由 伊奈宇之呂 河向立 思空 不安久尓 嘆空 不安久尓 青浪尓 望者多要奴 白雲尓 渧者盡奴 如是耳也 伊伎都枳乎良牟 如是耳也 戀都追安良牟 佐丹塗之 小船毛賀茂 玉纒之 真可伊毛我母 <一云 小棹毛何毛> 朝奈藝尓 伊可伎渡 夕塩尓<一云 夕倍尓毛> 伊許藝渡 久方之 天河原尓 天飛也 領巾可多思吉 真玉手乃 玉手指更 餘宿毛 寐而師可聞 <一云 伊毛左祢而師加> 秋尓安良受登母 <一云 秋不待登毛>

               (山上憶良 巻八 一五二〇)

 

≪書き下し≫彦星(ひこほし)は 織女(たなばたつめ)と 天地(あめつち)の 別れし時ゆ いなむしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波(あおなみ)に 望(のぞみ)は絶えぬ 白雲に 涙(なみた)は尽きぬ かくのみや 息(いき)づき居(を)らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹(に)塗(ぬ)りの 小舟(をぶね)もがも 玉巻(たまま)きの 真櫂(まかい)もがも <一には「小棹もがも」といふ> 朝なぎに い掻(か)き渡り 夕潮(ゆふしほ)に <一には、「夕にも」といふ> い漕(こ)ぎ渡り ひさかたの 天(あま)の川原(かはら)に 天飛(あまと)ぶや 領巾(ひれ)片敷き 真玉手(またまで)の 玉手さし交(か)へ あまた夜(よ)も 寐(い)ねてしかも <一には「寐もさ寝てしか」といふ> 秋にあらずとも <一には、「秋待たずとも」といふ>

 

(訳)彦星は織女と、天と地とが別れた遠い昔から天の川に向かい立って、思う心のうちも安らかでなく、嘆く心のうちも苦しくてならないのに、広々と漂う青波に隔てられて織女のいる向こうは見えもしない。はるかにたなびく白雲に仲を遮(さえぎ)られて嘆く涙は涸(か)れてしまった。ああ、こんなにして溜息(ためいき)ばかりついておられようか。こんなにして恋い焦がれてばかりおられようか。赤く塗った舟でもあればなあ。玉をちりばめた櫂(かい)でもあったらな<小さな棹(さお)でもあればなあ>。朝凪(あさなぎ)に水をかいて渡り、夕方の満ち潮に<夕方にでも>乗って漕ぎ渡り、天の川の川原にあの子の領布(ひれ)を敷き、玉のような腕(かいな)をさし交わして、幾晩も幾晩も寝たいものだ。<共寝をしたいものだ>。七夕の秋ではなくとも<七夕の秋を待たなくても>。

 (注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研) ここでは④の意

(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(学研)

(注)領巾(ひれ)片敷き:領布を床として敷いて。「片」は、ここは領布が織女専用のものであることを示す接頭語的用法か。

(注)たまで【玉手】:玉のように美しい手。また、手の美称。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆風雲者 二岸尓 可欲倍杼母 吾遠嬬之 <一云 波之嬬乃> 事曽不通

               (山上憶良 巻八 一五二一)

 

≪書き下し≫風雲(かぜくも)は二つの岸に通(かよ)へども我が遠妻(とほづま)の <一には、「愛(は)し妻の」といふ> 言(こと)ぞ通はぬ

 

(訳)風や雲は天の川の両岸に自由自在に往き来するけれども、私の遠くにいる妻の<私のかわいい妻の>言(こと)の便りは何一つ通ってこない。(同上)

(注)遠妻:長歌の天の川の広さに応じた表現。遠く離れる織女星をいう。

 

 

◆多夫手二毛 投越都倍吉 天漢 敝太而礼婆可母 安麻多須辨奈吉

               (山上憶良 巻八 一五二二)

 

≪書き下し≫たぶてにも投げ越しつべき天(あま)の川(がわ)隔(へだ)てればかもあまたすべなき

 

(訳)考えてみれば、年に一度しか逢えぬ宿命が遠く遥かに感じさせるだけで、実際には、小石を放り投げても向こう岸に届きそうな天の川なのだ、そんな天の川なのに、そいつが仲を隔てているばっかりに、こんなにもひどく、処置なき苦しみを味わわねばならぬというのか。生きて行くということは何とせつないことか。(同上)

(注)たぶて【礫・飛礫】名詞:「つぶて」に同じ。 ※「つぶて」の古形。(学研)

(注)つべし 分類連語:①〔「べし」が推量の意の場合〕きっと…てしまうだろう。…てしまうにちがいない。②〔「べし」が可能の意の場合〕…てしまうことができるだろう。③〔「べし」が意志の意の場合〕…てしまいたい。…てしまおう。 注意⇒「つ」はこの場合は、確述(強意)を表す。 なりたち 完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「べし」(学研)

 

左注は、「右天平元年七月七日夜憶良仰觀天河<一云 帥家作>」<右は、天平(てんびやう)元年の七月の七日お夜に、憶良、天の川を仰ぎ観(み)る。≪一には「帥の家にして作る」といふ≫>である。

 

 

◆秋風之 吹尓之日従 何時可登 吾待戀之 君曽来座流

               (山上憶良 巻八 一五二三)

 

≪書き下し≫秋風の吹きにし日よりいつしかと我(あ)が待ち恋ひし君ぞ来(き)ませる

 

(訳)秋風の吹き始めた日から、いついらっしゃって下さるかと私の待ち焦がれていたあなたが、今こそおいで下さいました。(同上)

 

 

◆天漢 伊刀河浪者 多々祢杼母 伺候難之 近此瀬呼

               (山上憶良 巻八 一五二四)

 

≪書き下し≫天(あま)の川(がは)いと川波は立たねどもさもらひかたし近きこの瀬を

 

(訳)天の川、この川にはそんなにひどく川波は立たないのだが、舟出の機会を窺(うかが)うことも許されないのです。こんなに間近い渡り瀬なのに。(同上)

(注)さもらふ【候ふ・侍ふ】自動詞:①ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。②貴人のそばに仕える。伺候する。 ※「さ」は接頭語。(学研)

 

 

◆袖振者 見毛可波之都倍久 雖近 度為便無 秋西安良祢波

             (山上憶良 巻八 一五二五)

 

≪書き下し≫袖振らば見も交(かは)しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば

 

(訳)袖を振ったら。見交わすことができそうなほど近いのに、渡るすべも私にはない。七夕の秋ではないので。(同上)

 

 

◆玉蜻蜒 髣髴所見而 別去者 毛等奈也戀牟 相時麻而波

               (山上憶良 巻八 一五二六)

 

≪書き下し≫玉かぎるほのかに見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは

 

(訳)ほんのちょっとお逢いしただけで今お別れしてしまったら、むやみやたらと恋い焦がれることでしょう。またお逢いする時まで。(同上)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。※上代語。(学研)

 

 

左注は、「右天平二年七月八日夜帥家集會」<右は、天平二年の七月の八日の夜に、帥(そち)の家に集会(つど)ふ。>である。

 

 

◆牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 天漢原尓 霧之立波

                                        (山上憶良 巻八 一五二七)

 

≪書き下し≫彦星(ひこぼし)の妻迎(むか)へ舟(ぶね)漕(こ)ぎ出(づ)らし天(あま)の川原(かはら)に霧(きり)の立てるは

 

(訳)彦星の妻を迎えに行く舟、その舟が今漕ぎ出したらしい。天の川原に霧がかかっているところから推すと。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その390)」で紹介している。

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◆霞立 天河原尓 待君登 伊往還尓 裳裾所沾

              (山上憶良 巻八 一五二八)

 

≪書き下し≫霞(かすみ)立つ天の川原に君待つとい行き帰るに裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れる

 

(訳)霧のかかっている天の川の川原で、あの方のおいでを待ちあぐんで行きつ戻りつしているうちに、裳の裾がすっかり濡れてしまった。(同上)

 

 

◆天河 浮津之浪音 佐和久奈里 吾待君思 舟出為良之母

              (山上憶良 巻八 一五二九)

 

≪書き下し≫天の川(あまのがは)浮津(うきつ)の波音(なみおと)騒(さわ)くなり我が待つ君し舟出(ふなで)すらしも

 

(訳)天の川の浮津の波音が、音高く聞こえてくる。私がお迎えを待っているあの方が、今しも舟出をなさるらしい。(同上)

 

 

 七夕の夜の、二人の思いを、それぞれの気持ちになり代わって歌い上げている。

 一五一八歌の「紐解き設けな」、一五二〇歌の「あまた夜も寐ねてしかも」という言い方は、ドキッとするものもあるが、万葉集ならではのおおらかさである。山上憶良がこのような表現をとるところに意外性を感じるが、ある意味、憶良らしく素直に歌っている。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市

★「天空の楽園 太宰府メモリアルパーク『万葉歌碑めぐり』太宰府悠久の歌碑・句碑」 (太宰府メモリアルパーク