万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その927、928)―福岡市中央区 大濠公園―万葉集 巻十二 三二一五、三二一六

―その927―

 ●歌は、「白栲の袖の別れを難みして荒津の浜に宿りするかも」である。

 

f:id:tom101010:20210224155008j:plain

大濠公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、福岡市中央区 大濠公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆白妙乃 袖之別乎 難見為而 荒津之濱 屋取為鴨

               (作者未詳 巻十二 三二一五)

 

≪書き下し≫白栲(しろたへ)の袖(そで)の別れを難(かた)みして荒津(あらつ)の浜に宿りするかも

 

(訳)このまま着物の袂(たもと)を分かって離れ離れになること、そんな気にはついになれず、船出を延ばし、荒津の浜で一夜の宿を取ることになってしまった。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)しろたへの【白栲の・白妙の】分類枕詞:①白栲(しろたえ)で衣服を作ることから、衣服に関する語「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「帯」「紐(ひも)」「たすき」などにかかる。②白栲は白いことから、「月」「雲」「雪」「波」など、白いものを表す語にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)そでのわかれ【袖の別れ】分類連語:袖を重ねて共寝した男女が袖を解いて別れること。(学研)

(注)かたみす【難みす】[動]:困難に思う。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)荒津の浜:福岡市中央区西公園付近にあった港。大宰府の外港で官船が発着した。

f:id:tom101010:20210224155246j:plain

歌の解説案内板

 

 

 三二一五、三二一六歌は、巻十二の問答歌の一対になっている。

 続いて三二一六歌もみていこう。

 

―その928―

●歌は、「草枕旅行く君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ」である。

 

f:id:tom101010:20210224155505j:plain

西公園入口万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、福岡市中央区 西公園入口にある。(「西公園入口碑」の裏面に歌が刻されている)

 

●歌をみていこう。

 

草枕 羈行君乎 荒津左右 送来飽 不足社

               (作者未詳 巻十二 三二一六)

 

≪書き下し≫草枕(くさまくら)旅行く君を荒津まで送りぞ来(い)ぬる飽(あ)き足(だ)らねこそ

 

(訳)遠く旅立って行かれるあなた、そのあなたを見送って、荒津まで、とうとう来てしまいました。いつまでも心残りでございますので。

(注)飽き足らねこそ:とても満足ができないので

 

f:id:tom101010:20210224160020j:plain

歌の解説案内板

 

 分類的題詞は、「問答歌」となっている。巻十二の、三二一一から三二二〇歌までの一対は、左注がすべて、「右二首」となっている。

(注)問答歌:和歌の一種。問いかけの歌と、それに答える歌、すなわち問歌と答歌によって構成される唱和形式の和歌。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 三二一五歌は、大宰府官人、三二一六歌は、遊行婦女が詠った悲別の問答歌である。

 この二人は、別れる時が来たが、別れづらく、とうとう荒津まで一緒に来てしまい最後の一夜を共にしたのであろう。

f:id:tom101010:20210224155758j:plain

「西公園入口」の碑(この裏面に三二一六歌が刻されている)

 

 

 大伴旅人が都に戻ることになり児島娘子との悲別の歌も心打つものがある。旅人の人となりがでているドライでウェットな歌がまた魅力的である。

 この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(801)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 大濠公園の池の中央部は橋と島でつながれ遊歩道になっている。松島に三二一五歌の歌碑が、橋を渡った北側、明治通りを挟んだところの「西公園入口の碑」があり、この裏面に三二一六歌が刻されている。離れて向かい合った形で、時を越えて悲別した状態で建てられている。

 

 大濠公園について、福岡市中央区HPに次のように書かれている。

大濠公園がある場所はその昔、博多湾の入り海でした。日本最古の歌集『万葉集』には『草香江の入江』としてその名が挙がっています。その後、福岡藩初代藩主・黒田長政福岡城を築く際、この入り海を浚渫し、一部を埋め立て、福岡城の西側を守る『大堀』としました。

 この福岡城の大堀の改良工事に福岡県が着工したのは、大正15年のことです。東京帝国大学本多静六博士が『大堀を公園にすれば良い』と考えられ、中国・杭州の西湖を模した公園の設計図を作りました。池の中に柳島、松島、菖蒲島の3つの島を造り、その間を北から順に観月橋、松月橋、茶村橋、皐月橋の4つの橋でつなぎました。(後略)」

 

 中央区HPにある「草香江の入江」については、大伴旅人の歌とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(916)」に紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 いよいよ、太宰府を中核とした九州万葉歌碑巡りの最終日である

 

振り返って見ると、京都から一気に九州までというのは、行って行けないことはないが、安全を考え、往きは、宇部、帰りは尾道と中継地を計画に組み込み、メインの大宰府は3日目に設定した。

 

 11月15日は宇部泊、2日目の16日は、

福岡県京都郡みやこ町 豊前国府政庁址➡北九州市小倉北区 貴布祢神社北九州市小倉北区 勝山公園北九州市戸畑区 夜宮公園➡北九州市八幡区 岡田宮➡遠賀郡芦屋町 国民宿舎マリンテラス芦屋横魚見公園を巡り、博多泊であった。

 

 17日は、太宰府歴史スポーツ公園➡太宰府メモリアルパーク九州国立博物館太宰府天満宮大宰府市役所➡観世音寺大宰府政庁址周辺➡坂本八幡宮➡朱雀門礎石を巡り、博多で連泊した。駆け足であったが、五十八基の万葉歌碑に巡り逢うことができた。

 

 18日は、大濠公園➡西公園入口➡宗像大社を巡り、中継地、尾道泊である。

 

 現地に行って見て初めて分かることも多く、見落しもあり、またブログを書いていて謎が解けることも。

 機会があれば、今回の経験を活かして深堀した歌碑めぐりをもう一度行いたいと思った。

 太宰府よありがとう。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「福岡市中央区HP」