―その937―
●歌は、「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」である。
●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(8)にある。
●歌をみていこう。
◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陁飛那久尓
(山上憶良 巻五 七九八)
≪書き下し≫妹(いも)が見し棟(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに
(訳)妻が好んで見た棟(おうち)の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。妻を悲しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)楝は、陰暦の三月下旬に咲く、花期は二週間程度。筑紫の楝の花散りゆく様を見て、奈良の楝に思いを馳せて詠っている。
この七九八歌は、歌群の左注「神亀(じんき)五年七月二十一日 筑前(つくしのみちのくち)の国守(くにつかみ)山上憶良 上」とあるように、妻を亡くした大伴旅人に奉った七九四歌(長歌「日本挽歌」一首)と七九五から七九九歌(反歌五首)の歌群の一首である。
この歌群には、漢語による前文と漢詩が備わっている。
この歌が収録されている「巻五」は、①大伴旅人と山上憶良の作品が中心、②神亀五年(728年)から天平五年(733年)という短期間の歌が収録されている、③大宰府を場とする歌が中心、④漢文の手紙、前文や漢詩とともに歌がある、といった他の巻にない特徴を有している。
巻五の巻頭歌は、旅人の「大宰帥(だざいのそち)大伴卿、凶問に報(こた)ふる歌一首」(七九三歌)であり、漢文の書簡と歌から構成されている。
旅人の七九三歌「世の中は空しきものと・・・」から憶良の七九九歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて489」」で紹介している。
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万葉集には、楝(あふち)を詠んだ歌は四首収録されている。四首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その893)」で紹介している。
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―その938―
●歌は、「児毛知山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ」である。
●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(9)にある。
●歌をみてみよう。
◆兒毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布
(作者未詳 巻十四 三四九四)
≪書き下し≫児毛知山(こもちやま)若(わか)かへるでのもみつまで寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思(も)ふ
(訳)児毛知山、この山の楓(かえで)の若葉がもみじするまで、ずっと寝たいと俺は思う。お前さんはどう思うかね。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)児毛知山:上野国(群馬県)の子持山をさす。陸奥国とする説も。
(注)かへるで:楓(かえで)は、葉がカエルの手に似ていることから、古くは「かへるで」と呼ばれていた。(「植物で見る万葉の世界」)
(注)寝も:「寝む」の東国形
(注)あど 副詞:どのように。どうして。 ※「など」の上代の東国方言か。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)もふ【思ふ】他動詞:思う。 ※「おもふ」の変化した語。(学研)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その468)」で紹介している。
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三四九四歌の「宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布」というストレートな表現が、「東歌」らしくおおらかさを秘めている。どこか民謡調であり、色っぽさも感じさせている。
巻十四は「東歌」のみで構成されている。このこと自体が他の巻と大きく違った特徴を有しているといえる。さらに「一字一音」で書記されている。
「東歌」を定義していくにはハードルがいくつもあるようである。
ベースとなる考え方を、「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」で検索してみると次のように書かれている。
「東歌 分類文芸:上代の東国地方の、民謡風の和歌。『万葉集』巻十四や、『古今和歌集』巻二十に収められている。『万葉集』のものは、東国地方の農民の素朴な生活感情を、日常の言葉で率直に歌っている。当時の東国方言が含まれている。」
東歌は、万葉集では、「五七五七七」という短歌形式で収録されているので、元々は民謡や歌謡を集め、収録されるまで今の形に手が加えられ型にはめられていったという考え方もある。
神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、「決定的なのは、東歌が定型短歌に統一されているという動かしがたい事実」と、ズバッと言い切られ、労働に結びついた、あるいは素朴な性愛表現や方言などを有していることについては、「古代宮廷が、世界の組織の証として東国の風俗歌舞をもとめたものであって、東国性をよそおうことがそこでは必要だった」(同著)と書かれておられる。
労働に結びついた等の特異な内容に、東国の地名、さらには方言といった要素を「東国の在地性」という言葉で表現されている。
そして、万葉集における「巻十四の位置づけ」について、「東国にも定型の短歌が浸透しているのを示すということです。それは中央の歌とは異なるかたちであらわれて東国性を示しますが、東歌によって、東国までも中央とおなじ定型短歌におおわれて、ひとつの歌の世界をつくるものとして確認されることとなります。そうした歌の世界をあらしめるものとして東歌の本質を見るべきです。それが『万葉集』における巻十四なのです」と述べられている。
東歌というと、ついついその内容の特異性の注目してしまうが、そこに東歌の本質があり、それを収録した万葉集として意義が見いだせるという鋭い指摘には驚かされる。
またしても万葉集に押しつぶされそうな感覚にとらわれるのである。
ああ、万葉集とは・・・
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」