万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その939)―一宮市萩原町 萬葉公園(10)―万葉集 巻八 一五八一

●歌は、「手折らずて散りなば惜しと我が思ひし秋の黄葉をかざしつるかも」である。

 

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一宮市萩原町 萬葉公園(10)万葉歌碑(プレート)<橘奈良麻呂

●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(10)にある。

 

●歌をみていこう。

 

一五八一から一五九一歌の歌群の題詞は、「橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首」である。

 

◆不手折而 落者惜常 我念之 秋黄葉乎 挿頭鶴鴨

                (橘奈良麻呂 巻八 一五八一)

 

≪書き下し≫手折(たを)らずて散りなば惜しと我(あ)が思(も)ひし秋の黄葉(もみち)

をかざしつるかも

 

(訳)手折って賞(め)でる前に散ってしまったら惜しいと、私が思っていた秋のもみじ、このもみじを、今このようにかざすことができました。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

 

次の一五八二歌も奈良麻呂の歌である。こちらもみてみよう。

 

◆希将見 人尓令見跡 黄葉乎 手折曽我来師 雨零久仁

              (橘奈良麻呂 巻八 一五八二)

 

≪書き下し≫めづらしき人に見せむと黄葉(もみちば)を手折(たを)りぞ我が来(こ)し雨の降らくに

 

(訳)お珍しい方にお見せしようと、もみじをこうし私は手折って来ました。雨が降っているのもかまわずに。(同上)

(注)-く 接尾語〔四段・ラ変動詞の未然形、形容詞の古い未然形「け」「しけ」、助動詞「けり」「り」「む」「ず」の未然形「けら」「ら」「ま」「な」、「き」の連体形「し」に付いて〕①…こと。…すること。▽上に接する活用語を名詞化する。②…ことに。…ことには。▽「思ふ」「言ふ」「語る」などの語に付いて、その後に引用文があることを示す。③…ことよ。…ことだなあ。▽文末に用い、体言止めと同じように詠嘆の意を表す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 大伴家持は、天平十年(738年)内舎人(うどねり)に任官され、右大臣橘諸兄に接近するようになり、同冬十月、長子の奈良麻呂の主催する宴に招かれたのである。この宴のメンバーには、大伴家持、弟の書持、歌友の大伴池主がいた。この時奈良麻呂は十七歳か十八歳。家持二十一歳である。

天平十八年(746年)弟の書持が亡くなっている。

 さらに、後の橘奈良麻呂の変という歴史の波に飲み込まれるとは誰が想像しえたであろうか。

 

 この宴の歌をすべてみてみよう。

 

◆黄葉乎 令落鍾礼尓 所沾而来而 君之黄葉乎 挿頭鶴鴨

              (久米女王 巻八 一五八三)

 

≪書き下し≫黄葉(もみちば)を散らすしぐれに濡(ぬ)れて来て君が黄葉(もみち)をかざしつるかも

 

(訳)もみじを散らすしぐれの雨に濡れながらやって来ましたが、そのかいあって、あなたが手折って来て下さった美しいもみじをかざすことができました。(同上)

 

左注は、「右一首久米女王」<右の一首は久米女王(くめのおほきみ)>

 

◆希将見跡 吾念君者 秋山乃 始黄葉尓 似許曽有家礼

               (長忌寸娘 巻八 一五八四)

 

≪書き下し≫めづらしと我(あ)が思ふ君は秋山の初黄葉(はつもみちば)に似てこそありけれ

 

(訳)私がお慕い申し上げているあなた様は、秋の山の色づきはじめたこのもみじに、ほんとうによく似ていらっしゃいます。(同上)

(注)めづらし【珍し】形容詞:①愛すべきだ。賞美すべきだ。すばらしい。②見慣れない。今までに例がない。③新鮮だ。清新だ。目新しい。(学研)

(注)初黄葉:若い奈良麻呂を讃えたもの。

 

左注は、「右一首長忌寸娘」<右の一首は長忌寸(ながのいみき)が娘>である。

 

 

◆平山乃 峯之黄葉 取者落 鍾礼能雨師 無間零良志

               (犬養吉男 巻八 一五八五)

 

≪書き下し≫奈良山の嶺(みね)の黄葉(もみちば)取れば散るしぐれの雨し間(ま)なく降るらし

 

(訳)奈良山の峰から持ち帰ったもみじ、このもみじは、手に取ればはらはらと散る。これはしぐれの雨に濡れたからだが、山では今でもしぐれが絶え間なく降っているらしい。(同上)

 

左注は、「右一首内舎人縣犬養宿祢吉男」<右の一首は内舎人(うどねり)県犬養宿禰吉男(あがたのいぬかひのすくねよしを)>である。

 

 

◆黄葉乎 落巻惜見 手折来而 今夜挿頭津 何物可将念

               (犬養持男 巻八 一五八六)

 

≪書き下し≫黄葉を散らまく惜しみ手折り来て今夜(こよひ)かざしつ何(なに)か思はむ

 

(訳)もみじが散るのを惜しんで、手折って来て、今夜それをかざしにした。今はもう何の心残りもない。(同上)

(注)まく:…だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。語法活用語の未然形に付く。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研) 

 

左注は、「右一首縣犬養宿祢持男」<右の一首は県犬養宿禰持男( あがたのいぬかひすくねもちを)>である。

 

 

◆足引乃 山之黄葉 今夜毛加 浮去良武 山河之瀬尓

                (大伴書持 巻八 一五八七)

 

≪書き下し≫あしひきの山の黄葉今日(こよひ)もか浮かび行くらむ山川(やまがは)の瀬に

 

(訳)あしひきの山からのもみじ葉、このもみじ葉は、今夜もまた、はらはらと散っては浮かんで流れていることであろう。山あいの川の瀬の上に(同上)

 

左注は、「右一首大伴宿祢書持」<右の一首は大伴宿禰書持(ふみもち)>である。

 

 

◆平山乎 令丹黄葉 手折来而 今夜挿頭都 落者雖落

               (三手代人名 巻八 一五八八)

 

≪書き下し>奈良山をにほはす黄葉手折り来て今夜かざしつ散らば散るとも

 

(訳)奈良山を色あざやかに染めているもみじ、そのもみじを折り取って来て、今夜かざしにすることができた。あとは散るなら散ってもかまわない(同上)

 

左注は、「右一首三手代人名」<右の一首は三手代人名(みてしろのひとな)>である。

 

 

◆露霜尓 逢有黄葉乎 手折来而 妹挿頭都 後者落十方

            (秦許遍麻呂 巻八 一五八九)

 

≪書き下し≫露霜(つゆしも)にあへる黄葉を手折り来て妹(いも)はかざしつ後(のち)は散るとも

 

(訳)露に出逢って美しく染まったもみじ、そのもみじを折り取って来て、いとしいお方はかざしにしました。後は散ってもかまわない。(同上)

 

左注は、「右一首秦許遍麻呂」<右の一首は秦許遍麻呂(はだのこへまろ)>である。

 

 

◆十月 鍾礼尓相有 黄葉乃 吹者将落 風之随

               (大伴池主 巻八 一五九〇)

 

≪書き下し≫十月(かむなづき)しぐれにあへる黄葉の吹かば散りなむ風のまにまに

 

(訳)十月のしぐれに出逢って色づいたもみじ、これと同じ山のもみじの葉は、風が吹いたら散ってしまうことであろう。その風の吹くままに。(同上)

 

左注は、「右一首大伴宿祢池主」<右の一首は大伴宿禰池主(いけぬし)>である。

 

 

◆黄葉乃 過麻久惜美 思共 遊今夜者 不開毛有奴香

               (大伴家持 巻八 一五九一)

 

≪書き下し≫黄葉の過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜(こよひ)は明けずもあらぬか

 

(訳)もみじが散ってゆくのを惜しんで、気の合うもの同士で遊ぶ今夜は、このまま明けずにいてはくれないものか。(同上)

(注)おもふどち【思ふどち】名詞:気の合う者同士。仲間。(学研)

 

左注は、「右一首内舎人大伴宿祢家持」< 右の一首は内舎人(うどねり)大伴宿禰家持>である。

 

歌群の左注は、「以前冬十月十七日集於右大臣橘卿之舊宅宴飲也」<以前(さき)は、冬の十月の十七日い、右大臣橘卿が旧宅に集(つど)ひて宴飲(えんいん)す。>である。

(注)旧宅:橘諸兄の奈良の旧宅か。

 

 十一首すべてに「黄葉」が詠み込まれている。若い人たちが集まって、わいわいがやがや、黄葉ひとつで盛り上がっている雰囲気が伝わってくる。若さが全体の場を支えている微笑ましさが感じられる。

 先にも述べたが、この場の若者が、後々「橘奈良麻呂の変」という歴史的な大事件にのまれていくとは・・・。

 

 家持が兵部少輔の任にあった時、防人達の歌を集めていた折、「拙劣歌不取載之」と選別していた。

万葉集編纂にあたり、家持は、この歌群を目にした時、若き日の思い出が走馬灯のように駆け巡り、どうしても収録しておきたいと思ったのかもしれない。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」