―その940―
●歌は、「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」である。
●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(11)にある。
●歌をみていこう。
◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
(坂門人足 巻一 五四)
≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。(学研)
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。
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万葉集には、椿の歌は、九首収録されている。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(223)で紹介している。
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五四から五六歌の題詞は、「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌>である。但し、五六歌には、「或本の歌」として、五四歌の原歌とされる歌が収録されている。
左注は「右一首坂門人足」<右の一首は坂門人足(さかとのひとたり)>である。
五五歌をみてみよう。
◆朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母
(調首淡海 巻一 五五)
≪書き下し≫あさもよし紀伊人(きひと)羨(とも)しも真土山(まつちやま)行き来(く)と見らむ紀伊人羨しも
(訳)麻裳(あさも)の国、紀伊(き)の人びとは羨ましいな。この真土山を行くとて来(く)とていつもいつも眺められる、紀伊の人びとは羨ましいな。(『万葉集 一』 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)あさもよし【麻裳よし】分類枕詞:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。(学研)
(注)ともし【羨し】 形容詞: ①慕わしい。心引かれる。②うらやましい。(学研)
(注)真土山:大和・紀伊の国境、紀ノ川右岸にある山。飛鳥から一泊目の地。
(注)ゆきく【行き来】自動詞:行ったり来たりする。往来する。(学研)
左注は、「右一首調首淡海」<右の一首は調首淡海(つきのおびとあふみ)>である。
五四、五五歌ともに、持統上皇の紀伊行幸に従った時の歌であるが、「つらつら椿つらつらに」、「紀伊人羨しも」の繰り返しという快い語調が、行幸の晴れやかさを歌い上げている。
題詞にあるように、「秋九月」であるが、目の前に広がる椿の木の群生をみて、坂門人足は、春日蔵首老の歌を基に、つらつら椿の花を「偲びつつ」即興的に歌ったのであろう。また、調首淡海もつらつら椿を行き帰りに見られる紀伊人は羨ましいなあ、と詠ったのである。
持統上皇が椿の季節であればすばらしい光景であろうな、と言葉を発する前に、慮ってつらつらっと詠ったのであろう。そう考えるとなかなか微笑ましい行幸であると思えてくるのである。
五六歌もみてみよう。
題詞は、「或本の歌」である。
◆河上乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 雖見安可受 巨勢能春野者
(春日蔵首老 巻一 五六)
≪書き下し≫川の上(うへ)のつらつら椿(つばき)つらつらに見れども飽(あ)かず巨勢の春野は
(訳)川のほとりに咲くつらつら椿よ、つらつらに見ても見飽きはしない。椿花咲くこの巨勢の春野は。伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)この歌、五四歌の原歌か。(伊藤脚注)
左注は、「右一首春日蔵首老」<右の一首は春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)>である。
(注)春日蔵首老:もと僧弁基で、大宝元年(701年)に還俗している。
―その941―
●歌は、「梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く」である。
●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(12)にある。
●歌をみていこう。
◆成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲
(作者未詳 巻十六 三八三四)
≪書き下し≫梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く
(訳)梨、棗、黍(きび)、それに粟(あわ)と次々に実っても、早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続ける葛のようにのちにでも逢うことができようと、葵(逢ふ日)の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)はふくずの【這ふ葛の】分類枕詞:葛のつるが長くはうようにのびることから「いや遠し」「後(のち)も逢(あ)はむ」「絶えず」などにかかる。(学研)
この歌には、「梨」、「棗」、「黍」、「粟」、「葛」、「葵」の六つの植物が詠み込まれている。しかも、この植物の名にかけた言葉遊びが仕掛けられている。「黍(きみ)」は「君(きみ)」に、「粟(あは)」は「逢(あ)ふ」に、そして「はふ葛」のような長い先での「葵(あふひ)」には「逢(あ)ふ日(ひ)」と、作者未詳であるがユーモアあふれる言葉遊びの歌となっている。
この歌、さらには巻十六「有由縁幷雑歌」の特異性については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(209)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」