万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その948)―一宮市萩原町 萬葉公園(19)―万葉集 巻十 二一〇七

●歌は、「ことさらに衣は摺らじをみなへし佐紀野の萩ににほいて居らむ」である。

 

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一宮市萩原町 萬葉公園(19)万葉歌碑<作者未詳>

●歌碑は、一宮市萩原町 萬葉公園(19)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆事更尓 衣者不揩 佳人部為 咲野之芽子尓 丹穂日而将居

              (作者未詳 巻十 二一〇七)

 

≪書き下し≫ことさらに衣(ころも)は摺(す)らじをみなへし佐紀野の萩ににほひて居らむ

 

(訳)わざわざこの着物は摺染めにはすまい。一面に咲き誇るこの佐紀野の萩に染まっていよう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ことさらなり【殊更なり】形容動詞①意図的だ。②格別だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)をみなへし 枕詞:「佐紀(現奈良市北西部・佐保川西岸の地名)」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary)

(注)佐紀野:平城京北部の野

 

「佐紀」を詠んだ歌をみてみよう。

 

◆春日在 三笠乃山尓 月母出奴可母 佐紀山尓 開有櫻之 花乃可見

                  {作者未詳 巻十 一八八七)

 

≪書き下し≫春日(かすが)にある御笠(みかさ)の山に月も出(い)でぬかも佐紀山(さきやま)に咲ける桜の花の見ゆべく

 

(訳)東の方春日に聳(そび)える御笠の山に早く月が出てくれないものか。西の方佐紀山に咲いている桜の花がよく見えるように。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫

 

次に長皇子の歌をみてみよう。

 

題詞は、「長皇子與志貴皇子於佐紀宮俱宴歌」<長皇子(ながのみこ)、志貴皇子(しきのみこ)と佐紀(さき)の宮(みや)にしてともに宴(うたげ)する歌>である。

 

 

◆秋去者 今毛見如 妻戀尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍

                  (長皇子 巻一 八四)

 

≪書き下し≫秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿(か)鳴かむ山ぞ高野原(たかのはら)の上(うへ)

(訳)秋になったら、今もわれらが見ているように、妻に恋い焦がれて雄鹿がしきりに泣いてほしいと思う山です。あの高野原の上は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首長皇子」 とある。

 

 この歌は、万葉集巻一の締めの歌である。

 

こららの二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その25の1,2改)」で紹介している。

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もう一首、中臣女郎の歌もみてみよう。

 

題詞は、「中臣女郎(なかとみのいらつめ)贈大伴宿祢家持歌五首」<中臣女郎(なかとみのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌五首>である。

 

◆娘子部四(をみなえし) 咲澤二生流(さきさわにおふる) 花勝見(はなかつみ) 都毛不知(かつてもしらぬ) 戀裳摺可聞(こひもするかも)

                  (中臣女郎 巻四 六七五)

 

≪書き下し≫をみなへし佐紀沢(さきさわ)に生(お)ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも

 

(訳)おみなえしが咲くという佐紀沢(さきさわ)に生い茂る花かつみではないが、かつて味わったこともないせつない恋をしています。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)をみなへし 枕詞:「佐紀(現奈良市北西部・佐保川西岸の地名)」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary)

(注)さきさわ(佐紀沢):平城京北一帯の水上池あたりが湿地帯であったところから

このように呼ばれていた。

(注)はなかつみ【花かつみ】名詞:水辺に生える草の名。野生のはなしょうぶの一種か。歌では、序詞(じよことば)の末にあって「かつ」を導くために用いられることが多い。「はながつみ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典より)

(注)かつて【曾て・嘗て】副詞:〔下に打消の語を伴って〕①今まで一度も。ついぞ。②決して。まったく。 ⇒参考 中古には漢文訓読系の文章にのみ用いられ、和文には出てこない。「かって」と促音にも発音されるようになったのは近世以降。(学研)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その30改)」で紹介している。

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 萩といえば、「萩の寺」として有名なのは、高円山麓の白毫寺である。白毫寺にあるあひもみてみよう。

 

この歌は、題詞「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」<霊亀元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月い、志貴親王(しきのみこ)の薨ぜし時に作る歌一首幷(あは)せて短歌>の短歌二首のうちの一首である。

 

◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓

                 (笠金村 巻二 二三一)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

 

(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなく咲いては散っていることであろうか。見る人もいなくて(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 (注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:①つまらない。むなしい。②無駄だ。無意味だ。③手持ちぶさただ。ひまだ。④何もない。空だ。(学研)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その19改)で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

weblio辞書 Wiktionary)

 

 上記過去のブログについては、初期のものであり、朝食のサンドイッチの写真など掲載しておりましたが、削除して改訂しております。タイトルの写真は従来のままになっていたり、内容に置いても御見苦しい点が多々ありますが、ご容赦下さい。