万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その961)―一宮市萩原町 萬葉公園(33)―万葉集 巻十七 三九四二

●歌は、「松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ」である。

 

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一宮市萩原町 萬葉公園(33)万葉歌碑(プレート)<平群氏女郎>

●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(33)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追

              (平群氏女郎 巻十七 三九四二)

 

≪書き下し≫松の花花数(はなかず)にしも我が背子(せこ)が思へらなくにもとな咲きつつ

 

(訳)ひっそりとお帰りを待つ松の花、その花を花の数のうちともあなたが思っていらっしゃらないのに、穴はいたずらに咲き続けていて・・・。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)「松」に「待つ」を懸ける

(注)なくに 分類連語:①…ないことだなあ。▽文末に用いて、打消に詠嘆の意を込めて言い切る。②…ないことなのに。…ないのに。▽文末・文中で用いて、打消に、逆接の意を込めて言い切ったり下に続けたりする。③…ないのだから。…ない以上は。▽倒置表現の和歌の末尾に用いて、打消に理由の意を添える。 ⇒語法 活用語の未然形に付く。

参考(1)上代に盛んに用いられたが、中古以降は衰えた。主として和歌に用いられる。(2)「なくに」の「に」については、格助詞とする説、接続助詞とする説、間投助詞とする説などがある。

なりたち打消の助動詞「ず」の上代の未然形+接尾語「く」+助詞「に」

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

三九三一から三九四二歌の題詞は、「平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首」<平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)越中守(こしのみちのかみ)大伴宿禰家持に贈る歌十二首>である。

この歌群の歌すべて、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その841)」で紹介している。

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 平群氏女郎は越中まで、歌での「追っかけ」をしていたのである。家持はこの十二首を受け取り、万葉集編纂時、収録したと思われるが、その心境や如何にである。

 

 防人の歌ではないが、拙劣の歌ではないので収録したのであろう。

 

 平群氏女郎の三九三一歌の「二重の序」について調べてみよう。

 

◆吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母

               (平群氏女郎 巻十七 三九三一)

 

≪書き下し≫君により我が名はすでに竜田山(たつたやま)絶ちたる恋の繁(しげ)きころかも

 

(訳)我が君のせいで私の浮名はとっくに立ってしまったという名の竜田山、その名のように絶ちきったはずの恋心が、しきりにつのるこのごろです。(同上)

 

 上三句「君により我が名はすでに竜田山(たつたやま)」は、二重の序になっている。上二句「君により我が名はすでに」が「竜田山」を起こしつつ下二句に響き、上三句が「絶ち」を起こしている。

 

 「二重の序」を含む歌をみてみよう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

               (柿本朝臣人麿歌集 巻十 一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。 ⇒参考 (1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(494)」で紹介している。

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もう一首みてみよう。

 

◆未通女等之 袖振山之 水垣之 久時従 憶寸吾者

                (柿本朝臣人麻呂 巻四 五〇一)

 

≪書き下し≫未通女(をとめ)らが袖(そで)布留山(ふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我(わ)れは

 

(訳)おとめが袖を振る、その布留山の瑞々しい垣根が大昔からあるように、ずっとずっと前から久しいこと、あの人のことを思ってきた、この私は。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)「未通女(をとめ)らが袖(そで)」までが「布留」を、上三句が「久しき」を起こす二重の序になっている。

(注)ふるやま【布留山】:石上神宮の東方にある円錐形の山、標高266m。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その50改)」の中で紹介している。(タイトル写真では朝食の写真になっていますが改訂して本文では削除しております。ご容赦下さい)

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 いずれの歌も、言い回しが洒落ている。このような一見手がこんでいるが、洒落のきいた表現というものは、民謡風というか掛けあい的ななかから生まれてきたものである。

 伊藤 博氏は、その著「萬葉集相聞歌の世界」(塙書房)のなかで、柿本人麻呂の五〇一歌、ならびに平群女郎の三九三一歌について、「双方とも、類型をなす近畿歌謡の二重の序の詠風に影響されて成立したものとみられる。複雑な二重序の様式は、さる個人が創始したものではなくて、集団の場から生まれた民謡の一型式であったのである。」と述べておられる。

 歌垣等の掛け合いの中で、目立つ、いまでいう受けを狙う表現技法であったのだろう。

 ちょっとした言い回しで、受けが全く異なるのは、今の世も万葉の世も同じなのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞歌の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」