万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その972)―一宮市萩原町 高松分園(44)―万葉集 巻十八 四〇三五

●歌は、「ほととぎすいとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ」である。

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一宮市萩原町 萬葉公園(44)万葉歌碑(プレート)<田辺福麻呂・誦>



 

●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 高松分園(44)にある。

歌碑(プレート)には、大伴家持と書かれているが、家持の館にて、題詞にあるように「ここに新(あらた)しき歌を作り、幷(あは)せて古き詠(うた)を誦(うた)ひ」とあり、四〇三二から四〇三五歌四首の左注は「右の四首は田辺史福麻呂」とある。福麻呂は四〇三二から四〇三四歌を作り。四〇三五歌は、古歌(一九五五歌)を利用して誦(うた)ったのであろう。ここでは、「田辺福麻呂<誦>」と記しておく。

 

●歌をみていこう。

 

◆保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓勢武日 許由奈伎和多礼

               (田辺福麻呂<誦> 巻十八 四〇三五)

 

≪書き下し≫ほととぎすいとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ

 

(訳)時鳥よ、来てくれていやな時などありはせぬ。だけど、菖蒲草(あやめぐさ)を縵(かうら)に着ける日、その日だけはかならずここを鳴いて渡っておくれ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

古歌(巻十 一九五五)を利用したもの。

 ※一九五五歌と同じ。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(843)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 菖蒲草(あやめぐさ)は、現在の「菖蒲(しょうぶ)」と同じである。高松分園は「はなしょうぶ苑」がメインである。それにちなんで、万葉集で詠われている菖蒲草の歌をみてみよう。万葉集では十二首詠まれている。

 

 

◆「・・・行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月(さつき)にはあやめぐさ 花橘(はなたちばな)を 玉に貫(ぬ)き かづらにせむと・・・

                (山前王 巻三 四二三)

 

(訳)・・・道すがらさぞや思われたであろうことは、ほととぎすの鳴く五月には、ともにあやめ草や花橘を玉のように糸に通して 髪飾りにしようと・・・(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌ならびに一四九〇、四一〇一、四一〇二歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(286)」で紹介している。

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◆ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ玉に貫(ぬ)く日をいまだ遠みか

                (大伴家持 巻八 一四九〇)

 

(訳)時鳥は、待っているけれどいっこうに来て鳴こうとはしないのか。あやめ草を薬玉(くすだま)にさし通す日が、まだ遠い先の日のせいであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)あやめぐさ:菖蒲のこと。邪気を払うものとして、五月五日に薬玉に混えて貫いた。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(286)」<前出>で紹介している。

 

 

◆・・・めづらしく 鳴くほととぎす あやめぐさ 玉貫くまでに 昼暮らし 夜わたし聞けど・・・

               (大伴家持 巻十八 四〇八九)

 

(訳)・・・懐かしくも鳴く時鳥、その時鳥の声は、菖蒲(あやめ)を薬玉に通す五月まで、昼はひねもす、夜は夜通し聞くけれど・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)めづらし【珍し】形容詞:①愛すべきだ。賞美すべきだ。すばらしい②見慣れない。今までに例がない。③新鮮だ。清新だ。目新しい。(学研)

(注)よわたし【夜渡し】[副]:一晩中。夜どおし。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆・・・出(い)でて来(こ)し 月日数(よ)みつつ 嘆くらむ 心(こころ)なぐさに ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 花橘(はなたちばな)に 貫(ぬ)き交(まじ)へ かづらにせよと 包(つつ)みて(や)遣らむ

              (大伴家持 巻十八 四一〇一)

 

(訳)・・・私が都を出て来てからの月日を指折り数えて嘆いているにちがいない。そんな心のせめてもの慰めに、時鳥の来て鳴く五月の菖蒲草や橘の花に緒を通して蘰にしなさいと、その真珠をたいせつに包んで送ってやりたい。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その286)」<前出>で紹介している。

 

 

◆白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫くがね

               (大伴家持 巻十八 四一〇二)

 

(訳)神の島の真珠を、大切に包んで送ってやったなら、あの子は、それをそのまま菖蒲草や橘の花に交えて通しもするだろうに。(同上)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その286)」<前出>で紹介している。

 

 

 

◆・・・ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 蓬(よもぎ)かづらき・・・

                (大伴家持 巻十八 四一一六)

 

(訳)・・・時鳥の来て鳴く五月の菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を縵(かずら)にし・・・

 

 

◆・・・うぐひすの 現(うつ)し真子(まこ)かも あやめぐさ 花橘(はなたちばな)を 娘子(をとめ)らが 玉貫(ぬ)くまでに・・・

 

(訳)・・・まさしく鴬(うぐいす)のいとし子なのだな、菖蒲(あやめ)や花橘をおとめらが薬玉(くすだま)に通す五月まで・・・(同上)

 

 

◆ほととぎす今来鳴(きな)きそむあやめぐさかづらくまでに離(か)るる日あらめや  <も・の・は、三つの辞は欠く>

大伴家持 巻十九 四一七五)

 

(訳)時鳥が今やっと来て鳴きはじめた。菖蒲草(ああやめぐさ)を縵(かずら)にする五月の節句まで、声の途絶える日などあるものか。<「も・の・は」の三つの辞は省いてある。>(同上)

(注)-そむ【初む】接尾語〔動詞の連用形に付いて〕:…し始める。初めて…する。「言ひそむ」「聞きそむ」「咲きそむ」「立ちそむ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あやめぐさかづらくまでに:菖蒲を縵にする五月の節句まで

(注)離(か)るる日あらめや:ここを離れてどこかへ行ってしまう日などあるものか。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(840)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

◆・・・明け立てば 松のさ枝に 夕さらば 月に向ひて あやめぐさ 玉貫(ぬ)くまでに 鳴き響(とよ)め・・・

                (大伴家持 巻十九 四一七七)

 

(訳)・・・夜が明けそめたなら庭の松のさ枝に止まり、夕方になったら月に立ち向かって、菖蒲を薬玉(くすだま)に通す五月になるまで、鳴き立てて・・・(同上)

 

 

◆・・・さ夜中(よなか)に 鳴くほととぎす 初声(はつこゑ)を 聞けばなつかし あやめぐさ 花橘を 貫(ぬ)き交(まじ)へ・・・

                (大伴家持 巻十九 四一八〇)

 

(訳)・・・ま夜中に鳴く時鳥、その初声を聞くとやたらに心が浮かれる。鳥は、菖蒲や花橘なんぞを、混ぜて糸に通し・・・(同上)

(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。 (学研)

 

 

 あやめ草を詠んだ歌十二首のうち九首が大伴家持の歌である。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」