万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その979,980,981)―一宮市萩原町 高松分園(51,52,53)―万葉集 巻十 二一〇七、二一九一、巻三 二六六

―その979―

●歌は、「ことさらに衣は摺らじをみなへし佐紀野の萩ににほいて居らむ」である。

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一宮市萩原町 高松分園(51)万葉歌碑<作者未詳>


 

 

●歌碑は、一宮市萩原町 高松分園(51)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆事更尓 衣者不揩 佳人部為 咲野之芽子尓 丹穂日而将居

              (作者未詳 巻十 二一〇七)

 

≪書き下し≫ことさらに衣(ころも)は摺(す)らじをみなへし佐紀野の萩ににほひて居らむ

 

(訳)わざわざこの着物は摺染めにはすまい。一面に咲き誇るこの佐紀野の萩に染まっていよう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ことさらなり【殊更なり】形容動詞①意図的だ。②格別だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)をみなへし 枕詞:「佐紀(現奈良市北西部・佐保川西岸の地名)」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary)

(注)佐紀野:平城京北部の野

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その948)」で紹介している。

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―その980―

●歌は、「雁が音を聞きつるなへに高松の野の上の草ぞ色づきにける」である。

 

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一宮市萩原町 高松分園(52)万葉歌碑<作者未詳>

●歌碑は、一宮市萩原町 高松分園(52)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆鴈之鳴乎 聞鶴奈倍尓 高松之 野上乃草曽 色付尓家里

                (作者未詳 巻十 二一九一)

 

≪書き下し≫雁(かり)が音(ね)を聞きつるなへに高松(たかまつ)の野(の)の上(うへ)の草ぞ色づきにける

 

(訳)雁の声を聞いた折しも、高松の野辺一帯の草は色づいてきた。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)なへに 分類連語:「なへ」に同じ。 ※上代語。 ⇒なりたち接続助詞「なへ」+格助詞「に」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。(学研)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その946)」で紹介している。

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―その981―

●歌は、「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」である。

 

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一宮市萩原町 高松分園(53)万葉歌碑<柿本人麻呂

●歌碑は、一宮市萩原町 高松分園(53)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念

                (柿本人麻呂    巻三 二六六)

 

≪書き下し≫近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

 

(訳)近江の海、この海の夕波千鳥よ、お前がそんなに鳴くと、心も撓(たわ)み萎(な)えて、いにしえのことが偲ばれてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふなみちどり【夕波千鳥】名詞:夕方に打ち寄せる波の上を群れ飛ぶちどり。

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。③しげく。しきりに。

(注)いにしへ:ここでは、天智天皇の近江京の昔のこと

 

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その949)」で紹介している。

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 「高松」を詠んだ歌は、巻十に収録されており、巻十他、巻七、巻十一~十四は、「作者未詳歌巻」であることならびに「作者未詳」について前回のブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その976,077,978)」でふれた。

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 作者未詳巻の巻頭歌をみてみよう。

 

【巻七巻頭歌】部立は「雑歌」、題詞は「詠天」である。

 

◆天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見

              (作者未詳 巻七 一〇六八)

 

≪書き下し≫天(あめ)の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕(こ)ぎ隠(かく)る見(み)ゆ

 

(訳)天空の海に白雲の波が立って、月の舟が、星の林の中に、今しも漕ぎ隠れて行く。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首柿本朝臣人麻呂歌集出」である。

 

 巻七は、雑歌・譬喩歌・挽歌の部立構成になっており、作者、作歌事情、作歌年代はほとんど記されていない。

 

 

 

【巻十巻頭歌】部立は「春雑歌」である。

 

◆久方之 天芳山 此夕 霞霏▼ 春立下

              (作者未詳 巻十 一八一二)

 ▼は、「あめかんむり」に「微」である。 →「霏▼」=「たなびく」

 

≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)の香具山(かぐやま)この夕(ゆうへ)霞(かすみ)たなびく春立つらしも

 

(訳)ひさかたの天の香具山に、この夕べ、霞がたなびいている。まさしく春になったらしい。(同上)

 

一八一二~一八一八歌の左注は、「右柿本朝臣人麻呂歌集出」である。

 

 巻十は、人麻呂歌集ならびに古歌集と出典未詳歌が中心で、雑貨・相聞を四季に分けている。

 

 

【巻十一巻頭歌】題詞は「旋頭歌」である。

 

◆新室 壁草苅迩 御座給根 草如 依逢未通女者 公随

              (作者未詳 巻十一 二三五一)

 

≪書き下し≫新室(にひむろ)の壁(かべ)草刈(くさか)りにいましたまはね 草のごと寄り合う娘子(をとめ)は君がまにまに

 

(訳)今新しく建てている家の壁草を刈りにいらっしゃいな、その草の靡(なび)くようにここに寄り集まる娘子(おとめ)たちは、あなたの思(おぼ)し召しのまま。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

二三五一から二三六二歌の左注は、「右十二首柿本朝臣人麻呂之歌集出」である。

 

 巻十一は、人麻呂歌集・古歌集ならびに出典未詳歌の恋歌からなる。目録によれば、「古今相聞往来歌類の上」となっている。

 

 

【巻十二巻頭歌】部立は、「正述心緒」である。

 

◆我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨

              (作者未詳 巻十二 二八四一)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が朝明(あさけ)の姿(すがた)よく見ずて今日(けふ)の間(あひだ)を恋ひ暮らすかも

 

(訳)あの方が明け方帰って行かれる姿、っその姿をはっきりと見とどけることができなくて、今日一日中、恋しさにうち沈んでいる。(同上)

 

二八四一から二八六三歌の左注は、「右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出」である。

 

巻十二は、目録によれば「古今相聞往来歌類の下」となっており、巻十一と姉妹巻になっている。

 

 

【巻十三巻頭歌】部立は、「雑歌」である。

 

◆冬木成 春去来者 朝尓波 白露置 夕尓波 霞多奈妣久 汗瑞能振樹奴礼我之多尓 鸎鳴母

               (作者未詳 巻十三 三二二一)

 

≪書き下し≫冬木も茂る春がやって来ると、朝方には白露が置き、夕方には霞がたなびく。そして、嵐の吹く山の梢(こずえ)の下では、鴬(うぐいす)がしきりに鳴き立てている。(同上)

 

 巻十三は、万葉集唯一の長歌集。

 

 

【巻十四巻頭歌】「東歌」

 

◆奈都素妣久 宇奈加美我多能 於伎都渚尓 布袮波等<杼>米牟 佐欲布氣尓家里

               (作者未詳 巻十四 三三四八)

 

≪書き下し≫夏麻(なつそ)引(び)く海上潟(うなかみがた)の沖つ洲(す)に舟は留(とど)めむさ夜更(よふ)けにけり

 

(訳)夏麻(なつそ)を引き抜く畝(うね)というではないが、海上潟(うなかみがた)の沖の砂州(さす)に、この舟はもう泊めることにしよう。夜もとっぷり更けてきた。(同上)

 

左注は、「右一首上総國歌」である。

 

 巻十四の総題は「東歌」である。

 

 これで、萩原町万葉公園ならびに同高松分園の歌碑の紹介は終わりである。

 次は、東山動植物園の歌碑めぐりである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集講義 最古の歌集の素顔」 上野 誠 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 Wiktionary