万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その983)―名古屋市千種区東山元町 東山植物園(2)―万葉集 巻二十 四三八七

●歌は、「千葉の野の子手柏のほほまれどあやに愛しみ置きてたか来ぬ」である。

 

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名古屋市千種区東山元町 東山植物園(2)万葉歌碑(プレート)<作者未詳>

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山植物園(2)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆知波乃奴乃 古乃弖加之波能 保ゝ麻例等 阿夜尓加奈之美 於枳弖他加枳奴

               (作者未詳 巻二十 四三八七)

 

≪書き下し≫千葉(ちば)の野(ぬ)の子手柏(このてかしは)のほほまれどあやに愛(かな)しみ置きてたか来(き)ぬ

 

(訳)千葉の野の児手柏の若葉のように、まだ蕾(つぼみ)のままだが、やたらにかわいくてならない。そのままにしてはるばるとやって来た、おれは。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ほほまる【含まる】自動詞:つぼみのままでいる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たか-【高】接頭語:〔名詞や動詞などに付いて〕高い。大きい。立派な。「たか嶺(ね)」「たか殿」「たか知る」「たか敷く」(同上)

 

左注は、「右一首千葉郡大田部足人」<右の一首は千葉(ちば)の郡(こほり)の大田部足人(おほたべのたりひと)>である。

 

「防人歌」である。

 

 この「児の手柏」は、文字通り椎葉を子供の掌に見立てたもので、ブナ科のカシワの若葉と考えられている。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(310)」で紹介している。

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 一方、ヒノキ科のコノテカシワを詠んだ歌がある。こちらもみてみよう。

題詞は、「謗佞人歌一首」<佞人(ねいじん)を謗(そし)る歌一首>である。

 

◆奈良山乃 兒手柏之 兩面尓 左毛右毛 ▼人之友

               (消奈行文大夫 巻十六 三八三六)

 ※ ▼は、「イ+妾」となっているが、「佞」が正しい表記である。➡以下、「佞人」と書く。読みは、「こびひと」あるいは「ねぢけびと」➡以下、「こびひと」と書く。

 

≪書き下し≫奈良山(ならやま)の児手柏(このてかしは)の両面(ふたおも)にかにもかくにも佞人(こびひと)が伴(とも)

 

(訳)まるで奈良山にある児手柏(このてかしわ)のように、表の顔と裏の顔とで、あっちにもこっちにもいい顔をして、いずれにしても始末の悪いおべっか使いの輩よ。(「「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「奈良山乃 兒手柏之」は、「兩面尓」を起こす序。

(注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

(注)ねいじん【佞人】:心がよこしまで人にへつらう人。(weblio辞書 三省堂大辞林 第三版)

 

 左注は、「右歌一首博士消奈行文大夫之」<右の歌一首は、博士(はかせ)、消奈行文大夫(せなのかうぶんのまへつきみ)作る>である。

(注)博士:大学寮の大先生が残した教訓なのだという気持ちがこもる。

(注)消奈行文:奈良時代の官吏。高倉福信(たかくらのふくしん)の伯父。幼少より学をこのみ明経第二博士となり、養老5年(721)学業優秀として賞された。神亀(じんき)4年従五位下。「万葉集」に1首とられている。また「懐風藻」に従五位下大学助、年62とあり、五言詩2首がのる。武蔵(むさし)高麗郡(埼玉県)出身。(コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 

 こちらの歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その540)」で紹介している。

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四三八七歌の「子手柏(このてかしは)のほほまれどあやに愛(かな)しみ」と若葉を「児手柏の若葉のように、まだ蕾(つぼみ)のままだが、やたらにかわいくてならない。」と詠い、

三八三六歌の「児手柏(このてかしは)の両面(ふたおも)」と「表の顔と裏の顔とで、あっちにもこっちにもいい顔をして」と詠う、自然の植物に対する観察力の鋭さから生まれた詠み込みに驚かされる。

 

 巻十六の三八三四歌のように、即興にその場の植物、或は題として出された植物を、或る種、掛詞も駆使し詠うという自然観察力と作歌力、宴会などの場を盛り上げる軽妙洒脱さには舌を巻く。

 三八三四歌をみてみよう。

 

◆成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲

               (作者未詳 巻十六 三八三四)

 

≪書き下し≫梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く

 

(訳)梨、棗、黍(きび)、それに粟(あわ)と次々に実っても、早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続ける葛のようにのちにでも逢うことができようと、葵(逢ふ日)の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)はふくずの「延(は)ふ葛(くず)の」枕詞:延びていく葛が今は別れていても先で逢うことがあるように、の意で「後も逢はむ」の枕詞になっている。

 

 この歌には、植物の名前にかけた言葉遊びが隠されている。「黍(きみ)」は「君(きみ)」に、「粟(あは)」は「逢(あ)ふ」に、そして「葵(あふひ)」には「逢(あ)ふ日(ひ)」の意味が込められている。このような言葉遊びは、後の時代に「掛詞(かけことば)」という和歌の技法として発展していくのである。

 

 この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その667)」で紹介している。

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 植物園で万葉植物とそれにちなんだ万葉歌の歌碑やプレートが建てられている。歌を通して、今とちがう植物との接し方と、作者の思いをもっと深く探っていきたい。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus」