万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その990)―名古屋市千種区東山元町 東山植物園(9)―万葉集 巻十 一八九五

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

 

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名古屋市千種区東山元町 東山植物園(9)万葉歌碑<柿本人麻呂歌集>

●歌碑は、名古屋市千種区東山元町 東山植物園(9)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

               (柿本朝臣人麿歌集 巻十  一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。

参考(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その494)」で紹介している。

➡ 

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 この歌は、巻十の部立「春相聞」の先頭歌一八九〇から一八九六歌の歌群に収録されている。この歌群の左注は、「右は、柿本人麻呂が歌集に出づ」である。

 

 今回は、この「柿本人麻呂歌集」について考えてみよう。

 手っ取り早く、「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」をみてみると、次のように書かれている。

「《万葉集》成立以前の和歌集。人麻呂が2巻に編集したものか。春秋冬の季節で分類した部分をもつ〈非略体歌部〉と,神天地人の物象で分類した部分をもつ〈略体歌部〉とから成っていたらしい。表意的な訓字を主として比較的に少ない字数で書かれている〈略体歌〉には,676年(天武5)ころ以後の宮廷の宴席で歌われたと思われる男女の恋歌が多い。いっぽう助詞などを表音的な漢字で書き加えて比較的に多い字数で書かれている〈非略体歌〉には,680‐701年ころの皇子たちを中心とする季節行事,宴会,出遊などで作られた季節歌,詠物歌,旅の歌が多い。」

 

柿本人麻呂歌集は、現存するものはなく、万葉集に上記のように「柿本人麻呂が歌集に出づ」といった文言から、柿本人麻呂歌集が存在しそこから万葉集編者は引用していることが分かる。

万葉集の巻毎に「柿本人麻呂歌集」から収録された歌の数をみてみると、第二に一首、巻七に五六首、巻九に四四首、巻十に六八首、巻十一に一六一首、巻十二に二十七首、巻十三に三首、巻十四に四首であり、二十巻四五一六首中、八巻三六四首に上るのである。

左注には、「右柿本人麻呂之歌集出」や「右〇首柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあり、単に「右」とあるのは、当該歌の左注のみで、一首と数えるか、右歌群の左注と考えるかによって歌数は変わってくる。

 一八九五歌を含む巻十の部立「春相聞」の先頭歌一八九〇から一八九六歌の歌群の左注は、「右は、柿本人麻呂が歌集に出づ」であるが、この歌群はすべて特異な「略体」で書かれていることから人麻呂歌集からの収録であると判断されるのである。

 典型的な「略体」で書かれた歌は、巻十一の二四五三歌である。

 この歌をみてみよう。

 

◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念

                                  (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四五三)

 

≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)春柳(読み)ハルヤナギ:①[名]春、芽を出し始めたころの柳。②[枕]芽を出し始めた柳の枝をかずらに挿す意から、「かづら」「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)上三句は序、「立ち」を起こす。

 

 この歌ならびに、この十文字の歌をどう紐解くかについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 柿本人麻呂歌集から収録した歌数の多さや、「万葉集巻一から巻六」と「巻七から巻十二」と巻十三以降の段差を考えた時に「巻七から巻十二」における柿本人麻呂歌集の万葉集における位置づけなどからこれまでいろいろな議論が展開されてきた。

 万葉集から切り出した柿本人麻呂歌集を基に人麻呂歌集の姿を探る研究もなされてきた。

 あたかも埋蔵されていた土器の破片等から器などを再現させるように。

 

 神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、「『人麻呂歌集』という歌集があったであろうことは否定されないとして、その歌集そのものを考えることはできない(中略)あたりまえのことですが、わたしたちが見ているもの、正確に言えば、見ることができるものは、『万葉集』としてあるものしかないからです。」と書かれている。さらに、「略体」・「非略体」書記についても、「『略体』であれ、そうでないものであれ、人麻呂歌集歌の書記は、『万葉集』のなかでの問題であり、その特異さにおいて『万葉集』にあることの意味を見なければならないのです。そして・・・その人麻呂歌集歌を核として構成する巻々が、巻一~六の『歴史』とあいまって、『万葉集』としてなにを実現しているかということです。」と書かれている。

 

 柿本人麻呂歌集以外にも高橋虫麻呂歌集、笠金村歌集、田辺福麻呂歌集等からも収録されており、歌集をもすべてではないにしろ収録したという事実は、万葉集が壮大な構想の下に構築されていったと考えることができよう。とてつもない万葉集のパワーに圧倒されたのである。

 これらの歌集との位置づけなども今後の課題としてのしかかってきたように思える。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉