●歌は、「五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山植物園(10)にある。
●歌をみていこう。
(作者未詳 巻十 一九五三)
≪書き下し≫五月山(さつきやま)卯(う)の花月夜(づくよ)ほととぎす聞けども飽かずまた鳴くぬかも
(訳)五月の山に卯の花が咲いている月の美しい夜、こんな夜の時鳥は、いくら聞いても聞き飽きることがない。もう一度鳴いてくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)うのはなづくよ【卯の花月夜】:卯の花の白く咲いている月夜。うのはなづきよ。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
月夜の情景を美しく詠っているが、月夜には男女の逢瀬が考えられる。そういった充実した心情が研ぎ澄まされた歌になったと考えられる。
この歌ならびに、逢瀬に関する月夜の歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その528)で紹介している。
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題詞は、「同坂上大嬢贈家持歌一首」<同じき坂上大嬢、家持に贈る歌一首>である。
(注)同じき:同じ大伴の、の意
◆春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念
(坂上大嬢 巻四 七三五)
≪書き下し≫春日山(かすがやま)霞たなびき心ぐく照れる月夜(つくよ)にひとりかも寝む
(訳)春日山に霞(かすみ)がたなびいて、うっとうしく月が照っている今宵(こよい)、こんな宵に私はたった一人で寝ることになるのであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)こころぐし【心ぐし】形容詞ク活用:心が晴れない。せつなく苦しい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌に対する家持の歌をみてみよう。
題詞は、「又家持和坂上大嬢歌一首」<また家持、坂上大嬢に和(こた)ふる歌一首>である。
◆月夜尓波 門尓出立 夕占問 足卜乎曽為之 行乎欲焉
(大伴家持 巻四 七三六)
≪書き下し≫月夜(つくよ)には門(かど)に出で立ち夕占(ゆふけ)問ひ足占(あしうら)をぞせし行かまくを欲(ほ)り
(訳)あなたが言われるその月夜の暁には、門(かど)の外に出(い)で立って、夕方の辻占(つじうら)をしたり足占(あしうら)をしたりしたのですよ。あなたのところへ行きたいと思って(同上)
(注)ゆふけ【夕占・夕卜】名詞:夕方、道ばたに立って、道行く人の言葉を聞いて吉凶を占うこと。夕方の辻占(つじうら)。「ゆふうら」とも。 ※上代語。(学研)
(注)あしうら【足占】名詞:「あうら」に同じ。
(注の注)あうら【足占】名詞:古代の占いの一つ。目標の地点まで歩いて行って、右足で着くか左足で着くかによって恋などの吉凶を占ったといわれる。「あしうら」とも。(学研)
月夜が詠われるのは、特殊な夜つまり逢引は原則的には月夜になされていたと考えられる。
七三五歌で、大嬢は、月の夜にひとり寝しなければならない嘆きを詠っている。これに対して家持は、月の夜だからあなたに逢いに行こうとしたとしきりに弁解しているのである。
紀女郎の歌もみてみよう。
題詞は、「紀女郎歌一首 名日小鹿也」<紀女郎(きのいらつめ)が歌一首 名を小鹿といふ>である。
◆闇夜有者 宇倍毛不来座 梅花 開月夜尓 所念可聞
(紀女郎 巻八 一四五二)
≪書き下し≫闇(やみ)ならばうべも来(き)まさじ梅の花咲ける月夜(つくよ)に出(い)でまさじとや
(訳)闇夜ならばおいでにならないのもごもっともなことです。が、梅の花の咲いているこんな月夜の晩にも、お出ましにならないというのですか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)うべも【宜も】分類連語:まことにもっともなことに。ほんとうに。なるほど。道理で。 ⇒なりたち 副詞「うべ」+係助詞「も」(学研)
(注)とや 分類連語〔文末の場合〕:(ア)…とかいうことだ。▽伝聞あるいは不確実な内容であることを表す。(イ)…というのだな。…というのか。▽相手に問い返したり確認したりする意を表す。 ⇒ なりたち 格助詞「と」+係助詞「や」(古語)ここでは(イ)の意(学研)
「梅の花咲ける月夜(つくよ)に出(い)でまさじとや」には、梅の花が美しく見えるこんな月の夜にも来ないことを非難している。「とや」に強い気持ちが出ている。紀女郎は、名を小鹿というが、なかなかに気の強い女性のようである。
月の夜から脱線するが、大伴家持と紀女郎のやりとりにも彼女の性格が出ている。
家持の、「鶉(うづら)鳴く古(ふ)りにし里ゆ思へども何(なみ)ぞも妹(いも)に逢ふよしもなき(巻四 七七五歌)に対して、紀女郎は、「言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか小山田(をだやま)の苗代水(なはしろみず)の中淀にして(巻四 七七六歌)」と和(こた)えている。
「言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか」の「か」に強い気持ちが表れている。書き手の遊び心であろうか、この「か」を「鹿」と書いているのである。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その945)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」