●歌は、「外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山植物園(11)にある。
●歌をみていこう。
◆外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友
(作者未詳 巻十 一九九三)
≪書き下し≫外(よそ)のみに見つつ恋ひなむ紅(くれなゐ)の末摘花(すゑつむはな)の色に出(い)でずとも
(訳)遠くよそながらお姿を見つつお慕いしよう。紅花の末摘花のように、あの方がはっきりと私への思いを面(おもて)に出して下さらなくても。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)三・四句は序。「色の出づ」をおこす。
(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)すゑつむはな【末摘花】名詞:草花の名。べにばなの別名。花を紅色の染料にする。 ⇒ 参考 べにばなは、茎の先端(=末)に花がつき、それを摘み取ることから「末摘花」という(学研)
「くれなゐ」とは紅花(べにばな)のことで「末摘花」とも呼ばれる。花は紅色の染料として使われる。万葉集では、花そのものを詠んだ歌よりも紅色や染色した「紅染の衣など」を詠んだ歌が多い。
「くれなゐ」を詠んだ歌をいくつかみてみよう。
◆春者毛要 夏者緑丹 紅之 綵色尓所見 秋山可聞
(作者未詳 巻十 二一七七)
≪書き下し≫春は萌え夏は緑に紅(くれなゐ)のまだらに見ゆる秋の山かも
(訳)春は木々がいっせいに芽を吹き、夏は一面の緑に色取られたが、今は紅がまだら模様に見える、こよなくすばらしい秋の山だ。(同上)
春は萌えぎ色、夏は緑、秋は紅と自然の色の移り変わりを詠んでいる。
◆紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念
(作者未詳 巻十一 二八二七)
≪書き下し≫紅(くれなゐ)の花にしあらば衣手(ころもで)に染(そ)め付け持ちて行くべく思ほゆ
(訳)お前さんがもし紅の花ででもあったなら、着物の袖に染め付けて持って行きたいほどに思っているのだよ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ころもで【衣手】名詞:袖(そで)。(学研)
文字通り紅の花を詠んでいる。
遣新羅使人等の歌から、題詞「竹敷の浦に船泊(ふなどま)りする時に、おのもおのも心緒(しんしよ)を陳べて作る歌十八首」の内の一首をみてみよう。
(注)竹敷の浦:浅茅湾南部の竹敷の入海。
◆多可思吉能 宇敝可多山者 久礼奈為能 也之保能伊呂尓 奈里尓家流香聞
(大判官 巻十五 三七〇三)
≪書き下し≫竹敷(たかしき)の宇敝可多山(うへかた)山は紅(くれなゐ)の八(や)しおの色になりにけるかも
(訳)竹敷(たかしき)の宇敝可多山(うへかた)山は、紅花(べにばな)染の八しおの色になってきたな(同上)
(注)宇敝可多山(うへかた)山:竹敷西方の城山か。
(注)やしほ【八入】名詞:幾度も染め汁に浸して、よく染めること。また、その染めた物。 ※「や」は多い意、「しほ」は布を染め汁に浸す度数を表す接尾語。上代語。(学研)
(注)紅の八しおの色:紅花で何回も染めた色
ここは、「紅の」で色にかかる枕詞として使われている。紅の八しおの色の鮮やかさに対し、遣新羅使たちの、これまで幾たびも味わって来た苦難をにじませているのである。
家持が部下の尾張少咋(おはりのをくひ)の不倫を染色に喩えて諭した歌をみてみよう。
◆久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母
(大伴家持 巻十八 四一〇九)
≪書き下し≫紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも
(訳)見た目鮮やかでも紅は色の褪(や)せやすいもの。地味な橡(つるばみ)色の着古した着物に、やっぱりかなうはずがあるものか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)紅:紅花染。ここでは、遊女「左夫流子」の譬え
(注)橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ):橡染の着古した着物。妻の譬え
(注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※ 古くは「つるはみ」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
ここでは、不倫相手の佐夫流子を「紅花染めの衣」に喩え、古女房のことを「橡染の着古した着物」に喩えている。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その834)」で紹介している。
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◆黒牛乃海 紅丹穂経 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜
(藤原卿 巻七 一二一八)
(注)藤原卿:藤原不比等のことか
≪書き下し≫黒牛(くろうし)の海(うみ)紅(くれなゐ)にほふももしきの大宮人(おおみやひと)しあさりすらしも
(訳)黒牛の海が紅に照り映えている。大宮に使える女官たちが浜辺で漁(すなど)りしているらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)黒牛の海:海南市黒江・船尾あたりの海。
(注)あさり【漁り】名詞 <※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる>:①えさを探すこと。②魚介や海藻をとること。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
赤裳ではしゃぐ女官たちを詠った歌である。色っぽさを感じさせる。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その744)」で紹介している。
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「紅(くれなゐ)」というと家持のこの歌は外せない。
◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬
(大伴家持 巻十九 四一三九)
※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」
≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)
(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
この歌はの題詞は、「天平勝寳二年三月一日之暮眺曯春苑桃李花作二首」<天平(てんぴやう)勝宝(しようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺曯(なが)めて作る歌二首>である。
鮮やかな紅色の桃の花に照らし娘子(おとめ)たちのはつらつとした躍動感を詠っている。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その956)」で紹介している。
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万葉びとの、植物に対する細やかな観察力やそこに重ねる己の心情から巧みな歌を詠いあげているのにはいつもながら驚かされるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」