●歌は、「栲領巾の鷺坂山の白つつじ我れににほはに妹に示さむ」である。
●歌をみていこう。
◆細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波尼 妹尓示
(柿本人麻呂歌集 巻九 一六九四)
≪書き下し≫栲領布(たくひれ)の鷺坂山の白(しら)つつじ我(わ)れににほはに妹(いも)に示(しめ)さむ
(訳)栲領布(たくひれ)のように白い鳥、鷺の名の鷺坂山の白つつじの花よ、お前の汚れのない色を私に染め付けておくれ。帰ってあの子の見せてやろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)たくひれ【栲領巾】〘名〙 :楮(こうぞ)などの繊維で織った栲布(たくぬの)で作った領巾(ひれ)。女子の肩にかける飾り布。
(注)たくひれの【栲領巾の】( 枕詞 ):① 栲領巾をかけることから、「かけ」にかかる。② 栲領巾の白いことから、「白」または地名「鷺坂さぎさか山」にかかる。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)
(注)領布(ひれ): 古代の服飾具の一。女性が首から肩にかけ、左右に垂らして飾りとした布帛(ふはく)。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)にほふ【匂ふ】自動詞:美しく染まる。(草木などの色に)染まる。(学研)
「領巾(ひれ)」を詠った歌は、万葉集には三首収録されている。この歌を含め三首、ならびに「領巾(ひれ)」の画像(「コトバンク 小学館デジタル大辞泉」より引用させていただいたもの)については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その219改)」で紹介している。
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◆山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来
(作者未詳 巻九 一七〇七)
≪書き下し≫山背(やましろ)の久世(くせ)の鷺坂(さぎさか)神代(かみよ)より春は萌(は)りつつ秋は散りけり
(訳)山背の久世の鷺坂、この坂では、遠い神代の昔から、春には木々が芽吹き、秋には散って来たのである。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)はる【張る】①(氷が)はる。一面に広がる。②(芽が)ふくらむ。出る。芽ぐむ。
※ここでは②の意(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)さぎざか【鷺坂】: 京都府城陽市久世を南北に走る旧大和街道の坂。坂のある台地が鷺坂山であり、丘上に久世神社がある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
題詞は、「鷺坂作歌一首」<鷺坂にして作る歌一首>である。なお、巻九には、この題詞と同じ歌が三首収録されている。
久世神社横の「鷺坂」の歌碑(一七〇七歌)ならびに他の歌二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その195改)」で紹介している。
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東京都文京区にも「鷺坂」がある。文京区の鷺坂の碑の側にある案内板によると、この坂の高台は、徳川幕府の老中職をつとめた、旧関宿藩主の久世大和守(くぜやまとのかみ)の下屋敷があり、地元の人たちは、「久世山」と呼んでいた。この久世山も大正以降住宅地となり、ここに住んでいた堀口大学・三好達治・佐藤春夫らが山城国の久世の「鷺坂」と結びつけて称していたところ、自然に定着していったとある。文学愛好者の発案による「昭和の坂名」として異色を放っている。
文京区の「鷺坂」の歌も一七〇七歌である。
こちらについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その366)」で紹介している。
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巻九には「鷺坂作歌一首」と同様に、題詞が同じものがある。万葉集編纂時資料として集められた歌集が異なるものの題詞が同じであったか、編纂者がつけたとも考えられる。
こちらに関しては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その555)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」