●歌は、「春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ」である。
●歌をみていこう。
◆波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武 [筑前守山上大夫]
(山上憶良 巻八 八一八)
≪書き下し≫春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日(はるひ)暮らさむ [筑前守(つくしのみちのくちのかみ)山上大夫(やまのうへのまへつきみ)]
(訳)春が来るとまっ先に咲く庭前の梅の花、この花を、ただひとり見ながら長い春の一日を暮らすことであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫)
「梅花の歌三十二首」の一首である。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その902)」他で紹介している。
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憶良と言えば旅人、旅人と言えば憶良と筑紫歌壇に関しての結びつきはこれまでにも紹介してきた。憶良と家持についても、家持が年少のころ過ごした大宰府において、憶良の歌や人となりは旅人を通じていろいろな意味で影響を受けて来たのである。
家持が憶良に追和する歌からもそのことはうかがえるのである。
この追和する歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その919)」で紹介している。
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コロナ禍であるので外出がままならない。
機会をみて、少ないチャンスを活かそうと植物園等を巡ると、歌が重複してくる。毎日ブログを書いているので、手持ちの歌碑のストックの在庫がつきてくる。
ついつい愚痴が出てしまう。
インスタグラムで仁徳天皇陵の遊歩道の歌碑が掲載されていた。
磐姫皇后の歌なのでこれまでにも歌として何度か紹介しているが、少しでも見ておきたいとこの歌碑を軸に計画をたてる。
奈良県生駒郡三郷町の大伴家持の歌碑を前回はスルーしたので計画に織り込もうと、検索していると、奈良テレビがYouTubeにアップロードした「三郷町信貴山下駅前に『龍田古道』ゆかりの万葉歌碑設置」のタイトルが目に飛び込んできた。
三月末に除幕式を行ったばかり。
山上憶良の巻五 八七七歌である。
心を躍らせながらYouTubeをみたり、他の新聞社などの記事に目を通す。
大伴家持の歌碑についても検索し、「三室山遊歩道」入口近くの広場と特定する。
JR三郷駅からの徒歩ルートも印刷する。
さらに、前回撮りこぼした大和川堤防にある、高橋虫麻呂の歌碑も織り込む。問題は駐車場である。最寄りの駅は、近鉄道明寺線「柏原南口」駅と近鉄大阪線「安堂」駅である。コインパーキングは安堂駅近くにあることがわかった。これで大まかな計画ができあがる。
仁徳陵から足を伸ばし、方違神社と陶荒田神社もネット検索で情報集めである。ありがたいことに両神社とも駐車場は完備されている。
こうしてたてた計画に基づき下記の歌碑巡りを行ったのである。
「信貴山下駅前(山上憶良 巻五 八七七歌)」➡「三室山遊歩道(大伴家持 巻二十 四三九五歌」➡「大和川治水記念公園(高橋虫麻呂 巻九 一七四二、一七四三歌」➡「仁徳天皇陵(磐姫皇后 巻二 八五、八六、八七、八八、八九歌」➡「方違神社(作者未詳 巻七 一三六七歌)」➡「陶荒田神社(作者未詳 巻十一 二六三八)」
ほぼ半日で巡り終えたのである。
歌の解説などは、後日改めて紹介させていただきます。
歌碑は「信貴山駅前ロータリー」に建てられたと書かれていた。
改札を出た左側にケーブルカーのモニュメントがあり、その裏手に広場がある。そこに真新しい歌碑が建てられていた。
■三室山遊歩道
JR三郷駅前のコインパーキングに車を留め、「徒歩ルート」地図に従って、三室山遊歩道を目指す。「龍田古道 三室山」という案内板が随所に設けられている。結構登り坂はきつかった。池があり、そこからちょっとした山登りである。池を左手に見下ろしながら上って行くと遊歩道の入り口がある。そこから少し登ったところに広場があり、そこに歌碑が建てられていた。ヤマツツジが可憐な花をつけており歓迎してくれたのである。
■大和川治水記念公園
近鉄大阪線「安堂駅」近くのコインパーキングに行くべく、柏原市役所前を通り「安堂交差点」を右折する時に、大和側堤防上の公園に設けられた歌碑を見つける。堤防にそった細長い治水記念公園である。江戸時代に、しばしば氾濫する大和川の付け替えに尽力した「中 甚兵衛」の立像や石碑、「西暦1703年代大和川流域の図」などが建てられていた。
歌碑は、交差点に一番近い所である。
「大仙公園第3駐車場」に車を留める。仁徳陵に一番近いからである。(土日祝日の場合は「西駐車場」が便利である)
陵の周りに遊歩道があり、ところどころに、位置と陵の正面からの距離が書かれている目印が設けられている。歌碑は、西側遊歩道、正面から650mの目印の近くにあった。
磐姫皇后の巻二 八七歌の石碑を真ん中に左右に2基づつ御影石の石柱碑が建てられている。歌碑の説明案内板によると、石碑は平成7年に、御影石の石柱碑は平成19年に建てられたとある。石碑の裏面に由来文が、石柱碑の表面には、読み下し文と訳文が、裏面には由来文が書かれている旨の説明が書かれていた。(向かって右から、八五、八六の順に八九歌までの碑になっている。)
■方違神社
鳥居をくぐるとすぐ駐車場である。
歌碑を探しながら境内をぶらつく。社殿の裏側も探すも見つからず。社務所に行き、飛沫防止の透明軟質ビニールカーテン越しに巫女さんに尋ねる。なんと鳥居の外、道路際にある。「方違神社」名碑の側面に歌は刻されていた。
■陶荒田神社
広々とした駐車場が設けられている。鳥居をくぐった参道右の御影石の石柱で囲まれたスペースに歌碑と歌碑の説明案内板が建てられていた。案内板には「石ぶみ建立趣旨書」と書かれているが、風化して判読が難しい状態であった。
予定をこなしたので帰路につく。もっとゆっくりと見て周りたいのであるが、何か急かされているように感じてしまう。
コロナが早く収束してほしいものである。
「コロナにかからないことも社会貢献のひとつ」とFB上で書かれている人がいらっしゃったがまさにそうである。
またしばらく巣ごもりである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)