万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1010)―春日井市東野町 万葉の小道(7)―万葉集 巻二十 四一四〇

●歌は、「我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも」である。

 

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春日井市東野町 万葉の小道(7)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、春日井市東野町 万葉の小道(7)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母

              (大伴家持 巻二〇 四一四〇)

 

≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも

 

(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)はだれゆき【斑雪】名詞:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。(学研)

 

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歌の解説案内板

 

 家持は天平十八年(746年)から天平勝宝三年(751年)まで、越中国守ととして越中生活を送るのである。この間、中国文学や歌の勉強を行い歌人大伴家持が形成されていったといっても過言ではないといわれている。

 

 題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る二首>である。四一三九、四一四〇歌の二首である。四一三九歌は「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。いずれも、家持が目の前の実景を踏まえて詠んだ歌と言うより「漢詩的風景」を頭の中に描き詠んだものと思われる。

 

 この歌についてはこれまでに何回も紹介している。直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1001)」他である。 

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 この歌で詠われている「はだれ」を使った歌をみてみよう。

題詞は、「獻弓削皇子歌一首」<弓削皇子に献る歌一首>である。

 

◆御食向 南淵山之 巖者 落波太列可 削遺有

             (柿本人麻呂歌集    巻九 一七〇九)

 

≪書き下し≫御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる

 

(訳)南淵山の山肌には、いつぞや降った薄ら雪が消え残っているのであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みけむかふ【御食向かふ】分類枕詞:食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むことから、「味原(あぢふ)」「淡路(あはぢ)」「城(き)の上(へ)」「南淵(みなぶち)」などの地名にかかる。

(注)はだれ 【斑】名詞:斑雪(はだれゆき)の略。(学研)

 

左注は、「右柿本朝臣人麻呂之歌集所出」<右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づるところなり>である

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その160)」で紹介している。

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 題詞は、「駿河采女歌一首」<駿河采女(するがうねめ)が歌一首>である。

 (注)駿河采女駿河出身の采女

 

◆沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛

               (駿河采女 巻八 一四二〇)

 

≪書き下し≫沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何(なに)の花ぞも

 

(訳)泡雪がはらはらと降ってくるかと見まごうばかりに、流れて散ってくるのは、何の花なのであろうか。(同上)

(注)はだれなり【斑なり】形容動詞:(雪が降るさまが)まばらだ。まだらだ。(雪や霜などのおりたさまが)薄い。「はだらなり」とも(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆天雲之 外鴈鳴 従聞之 薄垂霜零 寒此夜者 <一云 弥益ゝ尓戀許曽増焉>

               (作者未詳 巻十 二一三二)

 

≪書き下し≫天雲(あまくも)の外(よそ)に雁が音(ね)聞きしよりはだれ霜降り寒しこの夜は<一には「いやますますに恋こそまされ」といふ>

 

(訳)天雲のはるか彼方に雁の鳴き声を聞いたその日から、薄霜が置いて寒い。このごろの夜は。<いよいよますます恋しさがつのるばかりだ>(同上)

(注)はだれ霜:うっすらと降り置いた霜

 

◆小竹葉尓 薄太礼零覆 消名羽鴨 将忘云者 益所念

            (作者未詳 巻十 二三三七)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉にはだれ降り覆(おほ)ひ消(け)なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ。

 

(訳)笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように、私の命が消えでもすればあなたを忘れることもありましょう、などとあの子が言ったりするものだから、さらにいっそういとしく思われる。(同上)

(注)上二句は序。「消な」を起こす。

(注)はだれ:うっすらと置いた雪

 

 

◆夜乎寒三 朝戸乎開 出見者 庭毛薄太良尓 三雪落有<一云 庭裳保杼呂尓 雪曽零而有>

               (作者未詳 巻十 二三一八)

 

≪書き下し≫夜(よ)を寒(さむ)み朝戸(あさと)を開き出(い)で見れば庭もはだらにみ雪降りたり<一には「庭もほどろに雪ぞ降りたる」といふ>

 

(訳)夜を通して寒かったので、朝、戸を開けて外に出て見ると、何と庭中うっすらと雪が降り積もっている。<何と庭中まだらに雪が降り積もっている>(同上)

(注)はだらなり【斑なり】形容動詞:「はだれなり」に同じ。(学研)

 

「はだれ」の場合は「はだれ雪」の意味で使われているのが、四一四〇歌(波太礼)、一七〇九歌(波太列)、二三三七歌(薄太礼)である。二一三二歌では、「はだれ霜」(薄垂霜)」と使われている。形容動詞として「はだれに」が使われているのは、一四二〇歌(薄太礼尓)と二三一八歌(薄太良尓)である。

 いずれも、「落」「零」(散る、降る)の漢字とともに使われている。

 「薄太」と表記するのは「斑(まだら)」の戯書であるかもしれない。

 

 「はだれ」に関して、朴炳植氏が、その著「『万葉集』は韓国語で歌われた 万葉集の発見」(学習研究社)の中で「花びらの散り行くさま、または、そのように降る雪のようすを形容する韓国語「ハヌル ハヌル(HANEUL HANEUL)」の変形である。すなわち、ナ行→タ行変化した(例:内=ナイ→境内=ケイダイ)「ダ・ド」に、子音Lにア・エ・オがプラスした「ラ・レ・ロ」がついたのが「ハダレ・ハダラ・ホドロ」の形なのである。」と書かれているが、なるほどと納得させられる指摘である。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「『万葉集』は韓国語で歌われた 万葉集の発見」 朴 炳植 著 (学習研究社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」