万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1012)―春日井市東野町 万葉の小道(9)―万葉集 巻二 二三一

●歌は、「高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに」である。

 

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春日井市東野町 万葉の小道(9)万葉歌碑(笠金村)

●歌碑は、春日井市東野町 万葉の小道(9)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓

               (笠金村 巻二 二三一)

 

≪書き下し≫高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

 

(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなくは咲いて散っていることであろうか。見る人もいなくて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:無駄だ。無意味だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)見る人:暗に志貴皇子をさす

 

 題詞は、「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」<霊龜元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月に、志貴皇子(しきのみこ)の薨ぜし時に作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。この歌は、短歌二首の一首である。

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歌の解説案内板



 

この歌と長歌ともう一首の短歌、ならびに「或る本の歌」短歌二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その466)」で紹介している。

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笠金村は、山上憶良山部赤人高橋虫麻呂らと並ぶ万葉第三期の歌人である。

コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」によると次のように書かれている。

「奈良前期の万葉歌人。生没年不詳。715年(霊亀1)作の志貴皇子(しきのみこ)挽歌(巻二)が格別に古く傑作であるが,主な活躍期は723年(養老7)から733年(天平5)までである。作品数は長歌11首,短歌32首,計43首である。金村作とあるもののほか〈金村歌集出〉〈金村歌中出〉との左注のある作品もあるが,すべて金村作と認められる。聖武朝初頭,天皇行幸に従って,吉野,難波,紀州などにおもむき,賛歌などを歌うことが多く,先代の柿本人麻呂の流れをくむ宮廷歌人である。」

 

 笠金村については、手持ちの参考書などをみても、あまり取り上げられていない。

 中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、「志貴親王薨時作歌」について「誄(しのひごと)のように志貴の生前を贊えるでもなく、残された悲しみを歌うのでもなく、彼は一篇のドラマを描いてみせた。高円山に燃える火を見た人が道で出会った人にそのわけを尋ねる。するとその人はこ(・)さ(・)め(・)のような涙に衣を濡らして、むせびながら言う、―あれは皇子の死出の旅の手火(たび)が輝いているにだ、と。そして反歌に述べるものも、主(あるじ)を失った空しい秋萩の姿である。このようなドラマを描写するような挽歌は人麻呂の思いおよぼうともしなかった、別世界の詩である。」と書かれている。

(注)しのびごと【誄】:《「偲び言」の意。上代は「しのひこと」》死者の生前の功徳をたたえて哀悼の意を述べる言葉。(goo辞書)

 

 

 

 これまでの歌碑巡りでは、笠金村の歌は二三一歌が圧倒的に多いが、他の歌碑をみてみよう。

 

 

奈良県高市郡明日香村 万葉文化館にある歌碑である。

 

歌をみていこう。

 

◆人皆之 壽毛吾母 三吉野乃 多吉能床磐乃 常有沼鴨

 

                  (笠金村    巻六 九二二)

 

≪書き下し≫皆人(みなびと)の命(いのち)も我(わ)がもみ吉野の滝の常盤(ときわ)の常(つね)ならぬかも

 

(訳)皆々方の命も、われらの命も、ここみ吉野の滝の常盤(ときわ)のように永久に不変であってくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集二」角川ソフィア文庫より)

(注)皆人:作者よりも上級の官人を意識している

 

 この歌は、題詞「神龜二年乙丑夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首幷短歌」<神龜(じんぎ)二年乙丑(きのとうし)の夏の五月に、吉野の離宮(とつみや)に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>とある、長歌反歌二首の一首である。聖武天皇行幸に随伴した時の歌である。

 

 長歌ならびに反歌二首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その150改)」で紹介している。

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滋賀県長浜市木之本町 長浜市役所・木之本支所にある歌碑である。

 

歌をみていこう。

 

◆伊香山 野邊尓開者 芽子見者 公之家有 尾花之所念

                                   (笠金村    巻八 一五三三)

 

≪書き下し≫伊香山(いかごやま)野辺(のへ)に咲きたる萩見れば君が家なる尾花(をばな)し思ほゆ

 

(訳)伊香山、この山の野辺に咲いている萩を見ると、あなた様のお屋敷の尾花が思い出されます。(同上)

 

題詞は、「笠朝臣金村伊香山作歌二首」<笠朝臣金村、伊香山(いかごやま)にして作る歌二首>である。

 

 二首ともブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その403)」で紹介している。

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明石市魚住町 住吉神社にある歌碑である

 

歌をみていこう。

 

◆徃廻 雖見将飽八 名寸隅乃 船瀬之濱尓 四寸流思良名美

              (笠金村 巻六 九三七)

 

≪書き下し≫行き廻(めぐ)り見とも飽かめや名寸隅(なきすみ)の舟瀬(ふなせ)の浜にしきる白浪

 

(訳)行きつ戻りつして、いくら見ても見飽きることがあろうか。名寸隅の舟着き場の浜に次々とうち寄せるこの白波は。(同上)

(注)ゆきめぐる【行き廻る・行き巡る】自動詞:あちらこちらと歩いてまわる。巡り歩く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)名寸隅:明石市西端の魚住町付近という。

(注)舟瀬:舟着き場

(注)しきる【頻る】自動詞:何度も繰り返す。あとからあとから続く。(学研)

(注)とも 接続助詞《接続》動詞型・形容動詞型活用語の終止形、形容詞型活用語および打消の助動詞「ず」の連用形に付く。①〔逆接の仮定条件〕たとえ…ても。②〔既定の事実を仮定の形で強調〕確かに…ているが。たとえ…でも。

語法(1)上代において、上一段動詞「見る」に付くとき、「見とも」となることがあった。「君が家の池の白波磯(いそ)に寄せしばしば見とも飽かむ君かも」(『万葉集』)〈あなたの家の池の白波が水辺に(しきりに)打ち寄せるように、しばしば会ったとしても飽きるようなあなたであろうか。〉 ※参考 語源については[ア] 格助詞「と」+係助詞「も」、[イ] 接続助詞「と」+係助詞「も」の二説がある。(学研)

 

 長歌(九三五)、反歌(九三六、九三七歌)の題詞は、「三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首并短歌」<三年丙寅(ひのえとら)の秋の九月十五日に、播磨(はりま)の国の印南野(いなみの)に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村が作る歌一首并(あは)せて短歌>である。

(注)三年:神亀三年(726年)

 

 この歌群は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その611)」で紹介している。

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奈良県吉野郡吉野町喜佐谷 喜佐谷公民館駐車場にある歌碑である。

 

歌は、奈良県高市郡明日香村 万葉文化館にある歌碑と同じである。

 

この歌碑については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その778)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」