万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1020)―愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(2)―万葉集 巻三 三八七

●歌は、「いにしへに梁打つ人のなかりせばここにもあらまし柘の枝はも」である。

 

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愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(2)万葉歌碑(若宮年魚麻呂)

●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古尓 樑打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳

              (若宮年魚麻呂 巻三 三八七)

 

≪書き下し≫いにしへに梁(やな)打つ人のなかりせばここにもあらまし柘(つみ)の枝(えだ)はも

 

(訳)遠い遠いずっと以前、この川辺で梁を仕掛けた味稲(うましね)という人がいなかったら、ひょっとして今もここにあるかもしれないな、ああその柘の枝よ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あらまし【有らまし】分類連語:あろう。…であろうに。…であればよいのに。 ⇒なりたち ラ変動詞「あり」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)柘(つみ):現在のヤマグワ(クワ科)、ハリグワ(クワ科)、ヤマボウシ(ミズキ科)の諸説がある。ヤマグワもハリグワも蚕の飼料として使われる。神話説話の対象となる植物としてはクワ科の方に、また、仙女の化身としては、枝に棘をもつハリグワの方に軍配が上がると考えられている。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

 

この歌は、三八五~三八七歌の題詞「仙柘枝歌三首」<仙柘枝(やまびめつみのえ)の歌三首>のうちの一首である。他の二首もみてみよう。

(注)仙柘枝(やまびめつみのえ)の歌:吉野の漁夫味稲(うましね)が谷川で山桑を拾った、桑の枝は仙女と化して味稲の妻になったという話が伝わる(懐風藻他)。その仙女に関する歌。三首とも宴会歌であろう。

 

 

◆霰零 吉志美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取

               (作者未詳 巻三 三八五)

 

≪書き下し≫霰(あられ)降り吉志美(きしみ)が岳(たけ)をさがしみと草取りかなわ妹(いも)が手を取る

 

(訳)霰が降ってかしましというではないが、吉志美(きしみ)が岳、この岳が険しいので、私は草を取りそこなっていとしい子の手を取る。(同上)

(注)あられふり【霰降り】:[枕]あられの降る音がかしましい意、また、その音を「きしきし」「とほとほ」と聞くところから、地名の「鹿島(かしま)」「杵島(きしみ)」「遠江(とほつあふみ)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)さがし【険し・嶮し】形容詞:①(山などが)険(けわ)しい。②危ない。危険である。(学研)

(注)かなわ:「かねて」と同じ意か。

 

 

左注は、「右一首或云 吉野人味稲与柘枝仙媛歌也 但見柘枝傳無有此歌」<右の一首は、或(ある)いは「吉野の人味稲(うましお)、柘枝仙媛(つみのえやまびめ)に与ふる歌」といふ。ただし、柘枝伝(しやしでん)を見るに、この歌あることなし。>である。

 

 

◆此暮 柘之左枝乃 流来者 樑者不打而 不取香聞将有

               (作者未詳 巻三 三八六)

 

≪書き下し≫この夕(ゆうへ)柘(つみ)のさ枝(えだ)の流れ来(こ)ば梁(やな)は打たずて取らずかもあらむ

 

(訳)今宵(こよい)、もし仙女に化した柘(つみ)の枝が流れてきたならば、梁(やな)は仕掛けてないので、枝を取らずじまいになるのではなかろうか。(同上)

(注)やなうつ【梁打つ】分類連語:「梁(やな)」を仕掛ける。くいを打って梁を構え作る。(学研)

 

 全体図をもう少し知りたく「柘枝伝説(つみのえでんせつ)」を検索してみた。次の通りである。

柘枝仙媛(やまびめ)と吉野の漁師味稲(うましね)との神婚譚。ツミの枝(山桑の類)が味稲の梁(やな)にかかって,美女と化し,やがて彼と同棲し,後に昇天するという筋であったらしいが,全貌を知り得る資料に欠ける。《万葉集》巻3の左注に〈柘枝伝〉と記され,《懐風藻》《続日本後紀》にも関連の記載がある。本来は神仙趣味の漢文伝であったらしい。(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

三八六、三八七歌は、伝説を踏まえて、仮定の思いを歌にしたものでたわいのない内容である。万葉集巻三の流れからみて、ここに収録されていることが不思議に思える。

万葉集という歌の娯楽性をちらつかせたのであろうか。

 

作者の名前が「若宮年魚麻呂(あゆまろ)」とあるので、伝説に絡んで梁と年魚(あゆ)と絡めた名前を附したのかと思ったが、三八八、三八九歌の左注に「右歌若宮年魚麻呂誦之」、一四二九、一四三〇歌の左注に「右二首若宮年魚麻呂誦之」したとある。どうも古歌の伝承に長けた人のようである。

 

 

万葉集には、「柘」を詠んだ歌がもう一首ある。こちらもみてみよう。

 

◆大夫丹 出立向 故郷之 神名備山尓 明来者 柘之左枝尓 暮去者 小松之若末尓 里人之 聞戀麻田 山彦乃 答響萬田 霍公鳥 都麻戀為良思 左夜中尓鳴

              (作者未詳 巻十 一九三七)

 

≪書き下し≫ますらをの 出(い)で立ち向ふ 故郷(ふるさと)の 神(かむ)なび山に 明けくれば 柘(つみ)のさ枝(えだ)に 夕(ゆふ)されば 小松(こまつ)が末(うれ)に 里人(さとびと)の 聞き恋ふるまで 山彦(やまびこ)の 相(あひ)響(とよ)むまで ほととぎす 妻恋(つまごひ)すらし さ夜中(よなか)に鳴く

 

(訳)ますらをが家を出て立って相向かう、この故郷(ふるさと)の神なび山に、明け方がやって来ると柘(つみ)の枝で、夕方になると松の梢(こずえ)で、里人が聞いて懐かしがるほどに、山彦が響いて返ってくるほどに、―妻を求めているらしく―、時鳥(ほととぎす)が、今このま夜中にしきりに鳴き立てている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 万葉集には、「昔話」「伝説」に基づく歌が収録されている。水江浦島子や竹取翁のように、昔話が伝説化され説話的に変貌しているものもある。

 万葉集のある意味、懐の深さに驚くと同時にますます魅了されてくる。

 

 「昔話」や「伝説」に絡んだ歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1016)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」

★「コトバンク デジタル大辞泉