万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1023)―愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(5)―万葉集 巻八 一六五六

●歌は、「酒坏に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし」である。

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愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(5)万葉歌碑(大伴坂上郎女


 

●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(5)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴坂上郎女歌一首」<大伴坂上郎女が歌一首>である。

 

◆酒坏尓 梅花浮 念共 飲而後者 落去登母与之

               (大伴坂上郎女 巻八 一六五六)

 

≪書き下し≫酒坏(さかづき)に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後(のち)は散りぬともよし

 

(訳)盃(さかずき)に梅の花を浮かべて、気心合った者同士で飲み合ったあとならば、梅など散ってしまってもかまわない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)おもふどち【思ふどち】名詞:気の合う者同士。仲間。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 一六五七歌は、大伴坂上郎女の歌に「和(こた)ふる歌一首」である。こちらもみてみよう。

 

◆官尓毛 縦賜有 今夜耳 将欲酒可毛 散許須奈由米

 

≪書き下し≫官(つかさ)にも許(ゆる)したまへり今夜(こよい)のみ飲まむ酒かも散りこすなゆめ

 

(訳)お上(かみ)からお許しが出ている。今夜だけしか飲めない酒ではないはずだ。だから、梅の花よ、散らないでおくれ、けっして。(同上)

(注)官(つかさ)にも:お役所でも

(注)かも 終助詞:《接続》体言や活用語の連体形などに付く。〔詠嘆を含んだ反語〕…だろうか、いや…ではない。▽形式名詞「もの」に付いた「ものかも」、助動詞「む」の已然形「め」に付いた「めかも」の形で。(学研)

 

左注は、「右酒者官禁制偁 京中閭里不得集宴 但親ゝ一二飲樂聴許者 縁此和人作此發句焉」<右は、酒は官に禁制して「京中の(りより)、集宴(うたげ)すること得ず。ただし、 親々(はらから)一二(ひとりふたり)飲楽(いんらく)することは聴許(ゆる)す」といふ。これによりて和(こた)ふる人この発句(ほっく)を作る>である。

(注)天平四年(732年)の禁酒令らしい。

(注)りょり【閭里】:村里。村落。里閭。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 「酒坏(さかづき)に梅の花浮かべ」るのは風流な遊びとされたようである。「梅花の歌三十二首」にも次のように詠われている。

 

◆波流楊那宜 可豆良尓乎利志 烏梅能波奈 多礼可有可倍志 佐加豆岐能倍尓  [壹岐目村氏彼方]

               (村氏彼方 巻八 八四〇)

 

≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)かづらに折りし梅の花誰(た)れか浮かべし酒坏(さかづき)の上(へ)に  [壹岐目(いきのさくわん)村氏彼方(そんじのをちかた)]

 

(訳)春柳、この柳のかづらに挿そうと、みんながせっかく手折った梅の花、その花を誰が浮かべたのか。めぐる盃の上に。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(太宰府番外編その5)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 また、題詞「後(のち)に梅の歌に追和(ついわ)する四首」の八五二歌にも歌われている。こちらもみてみよう。

 

◆烏梅能波奈 伊米尓加多良久 美也備多流 波奈阿例母布 左氣尓于可倍許曽 <一云 伊多豆良尓 阿例乎知良須奈 左氣尓于可倍許曽>

                (作者未詳 巻五 八五二)

 

≪書き下し≫梅の花夢(いめ)に語らくみやびたる花と我(あ)れ思(も)ふ酒に浮かべこそ<一には「いたづらに我(あ)れを散らすな酒に浮かべこそ」といふ>

 

(訳)梅の花が夢の中でこう語った。“私は風雅な花だと自負しています。どうか酒の上に浮かべて下さい”と。<“むなしく私を散らさないでほしい。どうか酒の上に浮かべて下さい”と>(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)こそ 終助詞《接続》動詞の連用形に付く。:〔他に対する願望〕…てほしい。…てくれ。 ※上代語。助動詞「こす」の命令形とする説もある。(学研)

 

 この歌は、大伴旅人の作と考えられている。

 

 大伴坂上郎女の歌に「酒坏(さかづき)」という漢字が使われているが、万葉の時代の杯(さかづき)は、今でいう「かわらけ」のようなものであったと思われる。材質が土であることから「土へん」に「付く」の音「ふ」で構成されている。

ちなみに「盃」と書くが、これは和製漢字である。土器であれ須恵器であれ、食べ物の器として使えば、その味や匂いが染みこんでくる。「かわらけ」は、皿の形をしているので、お酒を飲む器は単なる「皿に不ず」としたのである。万葉集の書き手の「戯書」ではないが、うまく作ったものである。

 酒飲みは味にうるさいと言うが、まさに器をきちんと分けて酒の味を楽しむというまさに風雅のなせる業である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」