●歌は、「我が背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛なり」である。
●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(8)にある。
●歌をみていこう。
◆吾瀬子尓 吾戀良久者 奥山之 馬酔木花之 今盛有
(作者未詳 巻十 一九〇三)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)に我(あ)が恋ふらくは奥山の馬酔木(あしび)の花の今盛(さかり)なり
(訳)いとしいあの方に私がひそかに恋い焦がれる思いは、奥山に人知れず咲き栄えている馬酔木の花のように今真っ盛りだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)「奥山の馬酔木(あしび)の花の」は序。「盛り」を起こす。
万葉集には、「馬酔木(あしび)」を詠った歌が十首収録されている。十首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その204改)」で紹介している。
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我が家には、馬酔木が一本ある。買って来て植えたものではない。どこからか種が飛んできたのであろう。ある日、庭の隅の方で芽が出ているのを見つけ、踏まないように大事に育てたのである。今や1メートル強の低木であるが、春先にはピンクの花を咲かせ、楽しませてくれる。
このような自然の授かりもののように心を和ませてくれる植物もあるが、手を焼かせるのは、雑草の類である。ちょっと油断すると、カラスノエンドウなどが勢力を拡大している。
つる性の雑草は根こそぎ抜かないと、途中で切れてしまい、またいつのまにかはびこっているのである。たくましい生命力である。
その中で、ツルがしっかりしていて、引っぱってもなかなか切れないやっかいものがある。夏には、白い漏斗状の花を着ける。内部は赤紫で可憐な花である。秋には、枯れたツルに褐色の実を鈴なりに着ける。それはそれで絵になるのである。しかし、姿かたちと異なり、取り除こうと手を掛けると、屁のような臭いがするのである。まさに名の通り「ヘクソカズラ」である。古名は「くそかづら」という。
万葉集に、この「くそかづら」を詠んだ歌が一首、収録されている。みてみよう。
題詞は、「高宮王詠數首物歌二首」<高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首>である。
- ▼莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為
(高宮王 巻十六 三八五五)
▼は「草かんむりに『皂』である。「▼+莢」で「ざうけふ」と読む。
≪書き下し≫ざう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやつか)へせむ
(訳)さいかちの木にいたずらに延いまつわるへくそかずら、そのかずらさながらの、こんなつまらぬ身ながらも、絶えることなくいついつまでも宮仕えしたいもの。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)おほとる 自動詞:乱れ広がる。(学研)
(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起こす。
(注)ざう莢(けふ)>さいかち【皂莢】:マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸(せっけん)の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
三八五六歌もみてみよう。
◆波羅門乃 作有流小田乎 喫烏 瞼腫而 幡幢尓居
(高宮王 巻十六 三八五六)
≪書き下し≫波羅門(ばらもに)の作れる小田(をだ)を食(は)む烏(からす)瞼(まなぶた)腫(は)れて幡桙(はたほこ)に居(を)り
(訳)波羅門(ばらもん)様が作っておられる田、手入れの行き届いたその田んぼを食い荒らす烏め、瞼(まぶた)腫(は)らして、幡竿(はたざお)にとまっているわい。(同上)
(注)波羅門:天平八年(736年)、中国から渡来して大安寺に住んだインドの僧。
(注)幡桙:説法など仏事の際に寺の庭に立てる幡(ばん)を支える竿。
(注の注)はた【幡・旗】名詞:①仏・菩薩(ぼさつ)の威徳を示すため、法会(ほうえ)の際に用いる飾り。◇仏教語。②朝廷の儀式や軍陣で、飾りや標識として用いる旗。 ※「ばん」とも。(学研)
この二首も「物名歌」であるので巻十六に収録されているのである。なお高宮王については伝未詳となっている。
四月頃、万葉歌碑を訪ねて山間をぶらつくとピンク色の岩ツツジをみかける。花数はさほど多くはないが、木々の間で、野生っぽさを醸し出している。
気になる存在である。前々から植えてみたいと近くの園芸店などで探してみるがお目にかかったことがなかった。
通販で探してみると販売されていたので、思い切って購入した。熊本県からのお引越しである。来年の花が楽しみである。
「岩ツツジ」を詠んだ歌をみてみよう。
◆山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾来 含流有待
(作者未詳 巻七 一一八八)
≪書き下し≫山越えて遠津(とほつ)の浜の岩つつじ我(わ)が来(く)るまでふふみてあり待て
(訳)山を越えて遠くへ行くというではないが、その遠津の浜に咲く岩つつじよ、われらが再びここに帰って来るまで蕾(つぼみ)のままでいておくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)やまこえて【山越えて】( 枕詞 ):山を越えて遠くの意で、地名「遠津」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)遠津の浜:所在地不明
(注)岩つつじ:岩間に咲くつつじ。土地の娘の譬えであろう。
(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)
一一八八歌に詠まれている「石管自(岩つつじ)」は、岩場に生えていて現在のサツキの原種といわれている。ツツジの仲間のサツキは園芸上改良された種が多く、この種類を単独でサツキと呼ぶようになったという。「サツキ」という名前は、「皐月躑躅(サツキに咲くツツジの意)」からきているようである。
この歌ならびに「サツキとツツジ」の違い等については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その514)」で紹介している。
➡ こちら514
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」