万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1030)―愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(12)―万葉集 巻三 三三〇

●歌は、「藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君」である。

 

f:id:tom101010:20210516143322j:plain

愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(12)万葉歌碑(大伴四綱)

●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(12)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君

                 (大伴四綱 巻三 三三〇)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

 

(訳)ここ大宰府では、藤の花が真っ盛りになりました。奈良の都、あの都を懐かしく思われますか、あなたさまも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「思ほすや君」:大伴旅人への問いかけ

 

この歌の題詞は、「防人司佑大伴四綱歌二首」<防人司佑(さきもりのつかさのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)が歌二首>である。

 

先の一首をみてみよう。

 

◆安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念

               (大伴四綱 巻三 三二九)

 

≪書き下し≫やすみしし我(わ)が大君(おほきみ)の敷きませる国の中(うち)には都し思ほゆ

 

(訳)安らかに見そなわす我が大君がお治めになっている国、その国々の中では、私はやはり都が一番懐かしい。(同上)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)

 

 まず四綱が私は、「都し思ほゆ」と述べて三三〇歌で旅人に問いかけている。

 

 

 これに対して、旅人は、次の三三一歌で答えているのである。

 

 

◆吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成

              (大伴旅人 巻三 三三一)

 

≪書き下し≫我(わ)が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ

 

(訳)私の盛りの時がまた返ってくるだろうか、いやそんなことは考えられない、ひょっとして、奈良の都、あの都を見ないまま終わってしまうのではなかろうか。(同上)

(注)をつ【復つ】自動詞タ:元に戻る。若返る。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

(注)ほとほと(に)【殆と(に)・幾と(に)】副詞:①もう少しで。すんでのところで。危うく。②おおかた。だいたい。 ※「ほとど」とも。 ➡語の歴史:平安時代末期には、「ほとほど」または「ほとをと」と発音されていたらしい。のちに「ほとんど」となり、現在に至る。(学研)

 

 旅人のイメージとは程遠い、弱気ともとれる内容の歌である。それだけに「奈良の都」を何としても見たいとの強い気持ちが心底にあるのだろう。

 

 そして、吉野や飛鳥に気持ちを移し一層の憧れを詠うのである。

 

◆吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為

               (大伴旅人 巻三 三三二)

 

≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)も常にあらぬか昔見し象(きさ)の小川(をがわ)を行きて見むため

 

(訳)私の命、この命もずっと変わらずにあってくれないものか。その昔見た象の小川、あの清らかな流れを、もう一度行って見るために。(同上)

 

 

◆淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞

               (大伴旅人 巻三 三三三)

 

≪書き下し≫浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも

 

(訳)浅茅原(あさじはら)のチハラではないが、つらつらと物思いに耽っていると、若き日を過ごしたあのふるさと明日香がしみじみと想い出される。(同上)

(注)あさぢはら【浅茅原】分類枕詞:「ちはら」と音が似ていることから「つばら」にかかる(学研)

(注)つばらつばらに【委曲委曲に】副詞:つくづく。しみじみ。よくよく。(学研)

 

 

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

                (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(同上)

 

 

◆吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有毛

               (大伴旅人 巻三 三三五)

 

≪書き下し≫我(わ)が行きは久(ひさ)にはあらじ夢(いめ)のわだ瀬にはならずて淵(ふち)しありこそ

 

(訳)私の筑紫在任はそんなに長くはあるまい。あの吉野のわだよ、浅瀬なんかにならず深い淵のままであっておくれ。(同上)

(注)「我(わ)が行き」:私の旅、大宰府在任をいう。

(注) わだ【曲】名詞:入り江など、曲がった地形の所。(学研)

 

 弱弱しいとまで思える気持ちをさらけだしているのも、気の許す仲間たちの宴席であるので、さすがの旅人も場に甘えてしまったのだろう。

 

 大宰帥としての立場を貫き、大宰少貮(だざいのせうに)石川朝臣足人(いしかはのあそみたるひと)の「さす竹の大宮人(おほみやひと)の家と住む佐保(さほ)の山をば思(おも)ふやも君(巻六 九五五)」に対して、「やすみしし我(わ)が大君(おほきみ)の食(を)す国は大和(やまと)もここも同(おな)じとぞ思ふ(巻六 九五六)」と毅然と答えた旅人の姿はここにはない。

 

 この大伴旅人の「本音と建前」的な歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その921)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

大伴四綱ならびに旅人の歌を含む三二八から三三七歌までの歌群は、小野老が従五位上になったことを契機に大宰府で宴席が設けられ、その折の歌といわれている。このすべての歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社新書)

★「万葉集講義 最古の歌集の素顔」 上野 誠 著 (中公新書

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」