万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1032)―生駒郡三郷町 三室山遊歩道―万葉集 巻二十 四三九五

●歌は、「竜田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに」である。

 

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生駒郡三郷町 三室山遊歩道万葉歌碑(大友家持)

●歌碑は、生駒郡三郷町 三室山遊歩道にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「獨惜龍田山櫻花歌一首」<独(ひと)り竜田山(たつたやま)の桜花(さくらばな)を惜(を)しむ歌一首>である。

 

◆多都多夜麻 見都ゝ古要許之 佐久良波奈 知利加須疑奈牟 和我可敝流刀尓

               (大伴家持 巻二十 四三九五)

 

≪書き下し≫立田山見つつ越え来(こ)し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに

 

(訳)竜田山、その山を越える時に見つめながらやって来た桜、あの桜の花は散り果ててしまうのではなかろうか。私が帰る頃には。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)竜田山:南の麓の竜田道は大和と難波を結ぶ要路であった。

 

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歌の解説案内

 

 巻十七から巻二十は、大伴家持の「歌日記」と言われている。家持の歌を軸として、日を追うように構成されている。

 歌数でみてみると、巻十七では一四二首のうち家持の歌は七六首、巻十八では、一〇七首のうち六九首、巻十九では、一五四首のうち一〇三首、巻二十では二二四首のうち七八首となっている。

 巻二十では九十首をこえる防人歌が収録されているので家持歌の比重は少なくみえる。家持は、この時は難波の京で兵部少輔であったので、兵務部の仕事をしており、地方から防人部領使(さきもりのことりづかひ)から連れてこられた防人を受け取る仕事をしており、その時に防人達の歌を受取、「拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず」と選別していたので、家持の息がたっぷりとかかっているといっても過言ではない。

 

 四三九五から四三九七歌の左注は、「右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作之」<右の三首は、二月の十七日に兵部少輔大伴家持作る>である。続く四三九八、四三九九歌は、題詞が「防人(さきもり)が情(こころ)のために思ひを陳(の)べて作る歌一首 幷(あは)せ短歌(左注で十九日とわかる)」である。この四三九五から四三九九歌の歌群の前後は、左注にあるように「二月十六日、下総の国の防人部領使云々」、「二月二十二日、信濃の国の防人部領使云々」とあり、家持の歌を軸として「歌日記」として構成されている。

 

 

四三九六ならびに四三九七歌をみてみよう。

 

四三九六歌の題詞は、「獨見江水浮漂糞怨恨貝玉不依作歌一首」<独り江水(かうすい)に浮かび漂(ただよ)ふ木屑(こつみ)を見、貝玉(かひたま)の依(よ)らぬことを怨恨(うら)みて作る歌一首>である。

(注)江水:難波の堀江を揚子江に擬している。

(注)こつみ【木積み・木屑】名詞:木のくず。 ※上代語。(学研)

(注)貝玉:真珠

 

◆保理江欲利 安佐之保美知尓 与流許都美 可比尓安里世波 都刀尓勢麻之乎

               (大伴家持 巻二十 四三九六)

 

≪書き下し≫堀江(ほりえ)より朝潮(あさしほ)満(み)ちに寄る木屑(こつみ)貝にありせばつとにせましを

 

 

(訳)難波堀江を朝の逆(さか)さま潮(しお)に乗って寄せて来る芥(あくた)、これがもし美しい貝であったら、家への帰りの土産にもしように。(同上)

(注)つと【苞・苞苴】名詞:①食品などをわらで包んだもの。わらづと。②贈り物にする土地の産物。みやげ。(学研)

 

四三九七歌の題詞は、「在舘門見江南美女作歌一首」<館(たち)の門(かど)に在(あ)りて、江南(かうなん)の美女を見て作る歌一首>である。

(注)館:兵部省の役人の官舎

(注)江南の美女:堀江の南側の景色を揚子江南部の景色に見なしたもの。

 

 

◆見和多世波 牟加都乎能倍乃 波奈尓保比 弖里氐多弖流波 波之伎多我都麻

               (大伴家持 巻二十 四三九七)

 

≪書き下し≫見わたせば向(むか)つ峰(を)の上(へ)の花にほひ照りて立てるは愛(は)しき誰(た)が妻

 

(訳)見はるかすと、向こうの岡の上に花が一面に咲いていて、その花にほんのり照り映えながら立っている人、あれは、ああかわいい、いったい誰の妻なのか。(同上)

 

 「しなざかる鄙」越中で、中国文学や歌の勉強に勤しみ、何時か都にとの強い気持ちで艱難辛苦していた頃の昇華された伸びやかな華麗な歌とことなり、歴史の流れに押しつぶされんとする精神的圧迫感からの逃避、非現実的な夢を追う弱弱しい歌である。

 

 巻十九の巻頭歌は、「春の園紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(おとめ)」(大伴家持 巻十九 四一三九)である。この題詞は、「天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆふへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首」である。そして四一五一から四一五三歌の歌群の題詞は、「三日に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)にして宴(うたげ)する歌三首」である。

 家持の生涯の歌は四八〇余で、越中時代に二二〇首もの歌を作ったのである。

 さらに驚くことに、三月一日から三日の間に、四一三九から四一五三歌、十五首も作っているのである。

 

 この十五首については、題詞と歌のみであるが、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その819)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 三郷町HPにこの歌碑について。「JR三郷駅から北西方向に10分程歩いたところに三室山遊歩道がある。三室山遊歩道は龍田大社の神様の降臨地である『御座峰』(ござがみね)や元本宮跡とも云われる『磐座』(いわくら)と龍田大社を結ぶ『神降りの道』(かみくだりのみち)であり、古代に大和と難波を結んだ官道『龍田古道』(たつたこどう)の一つといわれている。その三室山遊歩道の入口上がってすぐの平坦地に、平成28年11月に三郷町制施行50周年を記念して万葉歌碑(揮毫、奈良女子大学名誉教授、坂本信幸先生)が建立された。」と書かれている。

 

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JR三郷駅

 前回、JR三郷駅近辺の歌碑巡りを行った時に、この歌碑はパスしているので、今回は入念に検索し、JR三郷駅からの徒歩ルートも印刷し、準備を整えた。

 印刷した地図と現地の「三室山遊歩道の案内板」に助けられ、岩躑躅にも歓迎されながら歌碑に行き着けたのである。

 

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竜田古道案内板

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「三郷町HP」