万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1033)―大阪府柏原市上市 大和川治水記念公園―万葉集 巻九 一七四二

●歌は、長歌「しなでる 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の ひとりか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく」と、短歌「大橋の頭に家あらばま悲しくひとり行く子にやど貸さましを」である。

 

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大阪府柏原市上市 大和川治水記念公園万葉歌碑(高橋虫麻呂

●歌碑は、大阪府柏原市上市 大和川治水記念公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

                 (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集柏原市HP)

(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)

(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くれないの【紅の】[枕]① 色の美しく、浅い意から、「色」「あさ」にかかる。② 紅花の汁の染料を「うつし」といい、また、紅を水に振り出して染め、灰汁(あく)で洗う意から、「うつし」「ふりいづ」「飽く」などにかかる。

(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)

 

この歌の題詞は、「見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌」<河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

短歌もみてみよう。

 

◆大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾

               (高橋虫麻呂 巻九 一七四三)

 

≪書き下し≫大橋の頭(つめ)にあらば悲しくひとり行く子に宿貸さましを

 

(訳)大橋のたもとに私の家があったらわびしげに一人行くあの子に宿を貸してあげたいのだが・・・。(同上)

(注)頭>つめ【詰め】名詞:端(はし)。きわ。橋のたもと。(学研)

 

山藍は、青といっても色は薄く野生の藍をいったもので、中国等から渡来した藍染用の藍とは異なる。歌の「さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て」の箇所は、さながら色鮮やかな絵画である。

 

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その346)」で紹介している。

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高橋虫麻呂については、奈良時代の下級官人で、歌人であるが、閲歴・作歌活動の時期など確かでない。確認できるのは、万葉集巻六の九七一、九七二歌の題詞に「四年壬申(みづのえさる)に、藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、西海道(さいかいだう)の節度使(せつどし)に遣(つか)はさゆる時に、高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)が作る歌一首幷(あは)せて短歌」とあることである。

九七一、九七二歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その512)」で紹介している。

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宇合が常陸守であった時に属官として『常陸国風土記(ふどき)』の編纂(へんさん)に関わっていたのではないかと言われている。伝説歌人とも呼ばれ、上総の珠名(たまな)、住吉の浦島、下総の葛飾真間手児名(ままのてこな)、菟原処女(うないおとめ)伝説歌を詠んでいる。また、地方の土地の歌を作っているのが特色として挙げられるのである。

 

中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、一七四二歌に関して「虫麻呂の夢想なのである。・・・虫麻呂の世界が多く夢想の非現実であるにもかかわらず、その描写は精彩をきわめる。(中略)この夢想の精彩さは、非現実が確かな事実だったからであり、非現実を現実としてそこに住んでいたのが虫麻呂だったといえる。虫麻呂にとって、現実など確かではないのだ。確かだと思っていた現実が確かでなくなったら、われわれは何を基準として生きてゆくのだろう。うつろな不安、虫麻呂につきまとうそれは、ここに生じたものであった。」と書かれている。

 

 高橋虫麻呂が下級官人として藤原宇合の庇護を受けていた。このような歌人万葉集に登場するのも万葉集万葉集たる所以でもあろう。

 山部赤人藤原不比等田辺福麻呂橘諸兄山上憶良大伴旅人の関係も然りである。

 

 高橋虫麻呂が詠んだ藤原宇合の同行歌をみてみよう。

 

 題詞「春の三月に、諸卿大夫等(まへつきみたち)が難波(なには)に下(くだ)る時の歌二首幷(あは)せて短歌」(一七四七・一七四八歌、一七四九・一七五〇歌)については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その188改)」で紹介している。

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題詞「難波(なには)に経宿(やど)りて明日(あくるひ)に還(かへ)り来(く)る時の歌一首幷(あは)せて短歌」一七五一・一七五二歌)については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その187改)」で紹介している。

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 大和川治水記念公園の万葉歌碑は、国道25号線の「安堂交差点」北西角にある。

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「安堂交差点」と大和川

 同公園は、堤防にそった細長いモニュメントゾーンになっており、江戸時代に、しばしば氾濫する大和川の付け替えに尽力した「中 甚兵衛」の立像や石碑、「西暦1703年代大和川流域の図」などが、立ち並んでいる。

 

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「中甚兵衛」の立像

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「西暦1703年代大和川流域の図」


 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「goo辞書」