万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1043)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(3)―万葉集 巻十 一八三〇

●歌は、「うち靡く春さり来れば小竹の末に尾羽打ち触れてうぐひす鳴くも」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(3)万葉歌碑<プレート向かって右>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(3)である。

 

●歌をみてみよう。

 

◆打靡 春去来者 小竹之末丹 尾羽打觸而 鸎之音

               (作者未詳 巻十 一八三〇)

 

≪書き下し≫うち靡(なび)く春さり来(く)れば小竹(しの)の末(うれ)に尾羽(をは)打ち触(ふ)れてうぐひす鳴くも

 

(訳)草木の靡く春がやって来たので、篠(しの)の梢に尾羽(おばね)を打ち触れて、鶯がしきりにさえずっている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。

 

「しの」には「小竹」「細竹」の字をあてている。文字通り、稈(茎)が細くて群がって生えている小形の竹類の総称で、メダケ、ヤダケ、ネザサなどがあてはまる。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その352)」で紹介している。

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 「うち靡く春」と詠いだす歌を拾ってみよう。八首が収録されている。他の七首をみてみよう。

 

◆有知奈▼久 波流能也奈宜等 和我夜度能 烏梅能波奈等遠 伊可尓可和可武  [大典史氏大原]               

 ▼「田+比」=び

               (史氏大原 巻八 八二六)

 

≪書き下し≫うち靡(なび)く春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか分(わ)かむ  [大典(だいてん)史氏大原(しじのおほはら)]

 

(訳)しなやかな春の柳とこの我らの庭前の梅の花の趣と、その優劣をそうして分けられようぞ。(同上)

(注)大典:律令制で、大宰府の主典(さかん)で少典の上に位するもの。(コトバンク デジタル大辞泉より)

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(太宰府番外編その3)」で紹介している。

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◆打靡 春来良之 山際 遠木末乃 開徃見者

               (尾張連<名は欠けたり> 巻八 一四二二)

 

≪書き下し≫うち靡く春来るらし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば

 

(訳)草木が芽を出して靡く春が今しもやって来たらしい。山あいの遠くの梢(こずえ)という梢が次々と咲いてゆくのを見ると。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)山の際:山と山の合間

 

 

◆打霏 春立奴良志 吾門之 柳乃宇礼尓 鴬鳴都

               (作者未詳 巻十 一八一九)

 

≪書き下し≫うち靡く春立ちぬらし我が門の柳の末にうぐひす鳴きつ

 

(訳)草木の靡く春がいよいよやって来たらしい。我が家の門の柳の枝先に、鴬が鳴き始めた。(同上)

(注)つ 助動詞:《接続》活用語の連用形に付く。:〔完了〕…た。…てしまう。…てしまった。(学研)

 

 

◆打靡 春去来者 然為蟹 天雲霧相 雪者零管

                (作者未詳 巻十 一八三二)

 

≪書き下し≫うち靡く春さり来(く)ればしかすがに天雲(あまくも)霧(き)らひ雪は降りつつ

 

(訳)草木の靡く春がやって来たというのに、それにもかかわらず、空には雲が立ちこめて、雪は小止みなく降っている。(同上)

(注)しかすがに【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。※上代語。 ⇒参考 副詞「しか」、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」が連なって一語化したもの。中古以降はもっぱら歌語となり、三河の国(愛知県東部)の歌枕(うたまくら)「志賀須賀(しかすが)の渡り」と掛けて用いることも多い。一般には「しか」が「さ」に代わった「さすがに」が多く用いられるようになる。(学研)

 

 

◆打靡 春避来之 山際 最木末乃 咲徃見者

               (作者未詳 巻十 一八六五)

 

≪書き下し≫うち靡く春さり来らし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば

             

(訳)草木の靡く春がとうとうやって来たらしい。山あいの遠くの梢(こずえ)梢が、次々と咲いてゆくのを見ると。(同上)

 

 

◆宇知奈婢久 波流乎知可美加 奴婆玉乃 己与比能都久欲 可須美多流良牟

               (甘南備伊香真人 巻二十 四四八九)

 

≪書き下し≫うち靡く春を近みかぬばたまの今夜(こよい)の月夜(つくよ)霞(かす)みたるらむ

 

(訳)暦の春も迫りうららかな春がもうすぐそこに来ているせいでしょうか、今夜の月空はこんなに薄ぼんやりと霞んでいます。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆打奈婢久 波流等毛之流久 宇具比須波 宇恵木之樹間乎 奈枳和多良奈牟

              (大伴家持 巻二十 四四九五)

 

≪書き下し≫うち靡く春ともしるくうぐひすは植木(うゑき)の木間(こま)を鳴き渡らなむ

 

(訳)草木一面に靡く、待ちにまった春がやって来たとはっきりわかるように、鴬よ、この植木の木の間を鳴き渡っておくれ、(同上)

(注)しるし【著し】形容詞:①はっきりわかる。明白である。②〔「…もしるし」の形で〕まさにそのとおりだ。予想どおりだ。(学研)

(注)なむ 終助詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てもらいたい。 ⇒参考 上代には「なむ」と同じ意味で「なも」を用いた。「なん」とも表記される。(学研)

 

 一四二二歌と一八六五歌を並べてみると「類歌」である。

 

◆打靡 春来良之 山際 遠木末乃 開徃見者

               (尾張連<名は欠けたり> 巻八 一四二二)

◆打靡 春避来之 山際 最木末乃 咲徃見者

               (作者未詳 巻十 一八六五)

 

 

「しの」を詠った歌と「しめ」を詠った「類歌」をみてみよう。

 

◆如是為而也 尚哉将老 三雪零 大荒木野乃 小竹尓不有九二

                (作者未詳 巻七 一三四九)

 

◆如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之社之 標尓不有尓

                                    (作者未詳 巻十一 二八三九)

 

一三四九歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その516)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

二八三九歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その444)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」