●歌は、「我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(6)にある。
●歌をみていこう。
◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無
(大伴田村大嬢 巻八 一六二三)
≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし
(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。
(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹
題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。
もう一首もみてみよう。
◆吾屋戸乃 秋之芽子開 夕影尓 今毛見師香 妹之光儀乎
(大伴田村大嬢 巻八 一六二二)
≪書き下し≫我がやどの秋の萩咲く夕影(ゆふかげ)に今も見てしか妹(いも)が姿を
(訳)私の家の庭の。秋萩の咲き匂うこの夕光の中で、今すぐにも見たいものです。あなたの姿を。(同上)
(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。※ [反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。
この二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その308)」で紹介している。
➡ こちら308
「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」と同じような題詞の歌が、七五六~七五九、一四四九、一五〇六、一六六二歌である。
これらについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)「で紹介している。
大伴田村大嬢と妹坂上大嬢については、七五九歌の左注に次のように書かれている。
「右田村大嬢坂上大嬢並是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也 卿居田村里号曰田村大嬢 但妹坂上大嬢者母居坂上里 仍曰坂上大嬢 于時姉妹諮問以歌贈答」<右、田村大嬢、坂上大嬢は、ともにこれ右大弁(うだいべん)大伴宿奈麻呂卿(おほとものすくなまろのまへつきみ)が女(むすめ)なり。 卿、田村の里に居(を)れば、号(なづ)けて田村大嬢といふ。ただし妹(いもひと)坂上大嬢は、母、坂上の里に居る。よりて坂上大嬢といふ。時に姉妹、諮問(とぶら)ふに歌をもちて贈答す>である。」
(注)田村の里:佐保の西、法華寺付近という。
(注)坂上の里:田村の里を北西に遡った歌姫越えあたりか。
奈良と京都の国境付近の峠に添御縣坐神社(そうのみあがたにますじんじゃ・奈良市歌姫町999)がある。ここは、奈良市北部、平城宮跡から北に1キロ程度の場所に広がる農村集落「歌姫の里」である。
坂上の里はこのあたりか。ロマンが広がる。
添御縣坐神社には、長屋王の歌碑が建っている。
同神社、長屋王の歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その5改)」で紹介している。(初期も初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)
➡
万葉集には、大伴稲公(いなきみ)が大伴田村大嬢に贈った歌が収録されている。こちらもみてみよう。
題詞は、「大伴宿祢稲公贈田村大嬢歌一首 大伴宿奈麻呂卿之女也」<大伴宿禰稲公(いなきみ)、田村大嬢(たむらのおほいらつめ)に贈る歌一首 大伴宿奈麻呂卿が女(むすめ)なり>
◆不相見者 不戀有益乎 妹乎見而 本名如此耳 戀者奈何将為
(大伴稲公 巻四 五八六)
≪書き下し≫相見(あひみ)ずは恋ひずあらましを妹(いも)を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ
(訳)なまじ逢ったりしなかったらこんなにもせつない思いに責め立てられることはなかったろうに、あなたにお逢いしてからむやみやたらとこうも苦しむばかりでは、これから先どうしたらよいだろう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)
左注は、「右一首姉坂上郎女作」<右の一首は姉坂上郎女が作なり。」である。
大伴宿奈麻呂と坂上郎女との娘が、家持の正妻になった坂上大嬢であり、田村大嬢は宿奈麻呂の母違いの娘である。稲公と坂上郎女は兄妹である。
稲公が田村大嬢に贈った歌は郎女が代作している。
しかも、歌の内容は「恋歌」そのものである。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」でも引用させていただいたが、伊藤 博氏はその著「萬葉集相聞の世界」(塙書房)のなかで、次のように述べられている。「相聞歌一七五〇首の中には、男女性愛以外の歌が、およそ七〇余首ほどある。その性関係は、男女間・男同士・女同士など、さまざまであるが、親族、朋友間のものが大部分で、そこにはいわゆる恋愛関係は認められない。けれども、これらの歌には、一貫した特色がある。すなわち、それは、どれも、親愛・悲別・思慕などの個人感情をうたったもので、男女性愛の歌と質を等しうするという共通点を持つ。つまり、作歌事情によって、歌作者の関係が性愛関係にないということが知られるだけのことで、歌の内容は、いわゆる恋歌と、すこしも変わらないのである。」「今日の我々は『恋』というコトバは、性愛に限って使用する傾向がつよい。しかしそれでも、『故郷が恋しい』『父母が恋しい』という表現がいくらもあって、『恋』はかならずしも異性間に限定されない。この傾向は、萬葉時代においては、もっと顕著であった(後略)」
五八六歌を詠み、大伴家の系図をみて、どう解釈してよいのか迷ったが、伊藤博氏の上述の内容ですっきりしたのである。
三大部立「雑歌」、「挽歌」、のもう一つを「恋歌」でも「相聞歌」でもなく「相聞」としたことについて、伊藤博氏は前術の著で「『男女間を主とする個人間の私情伝達の歌』という性格的または内容的意義の部立であった」と書かれているのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」