万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1048)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(8)―万葉集 巻三 三八七

●歌は、「いにしへに梁打つ人のなかりせばここにもあらまし柘の枝はも」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(8)万葉歌碑<プレート>(若宮年魚麻呂)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(8)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古尓 樑打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳

              (若宮年魚麻呂 巻三 三八七)

 

≪書き下し≫いにしへに梁(やな)打つ人のなかりせばここにもあらまし柘(つみ)の枝(えだ)はも

 

(訳)遠い遠いずっと以前、この川辺で梁を仕掛けた味稲(うましね)という人がいなかったら、ひょっとして今もここにあるかもしれないな、ああその柘の枝よ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やな【梁・簗】名詞:川にくいを打ち並べて流れをせきとめ、一か所だけあけて竹簀(たけす)を斜めに張り、そこに流れ込む魚を捕らえる仕掛け。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あらまし【有らまし】分類連語:あろう。…であろうに。…であればよいのに。 ⇒なりたち ラ変動詞「あり」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」(学研)

(注)柘(つみ):現在のヤマグワ(クワ科)、ハリグワ(クワ科)、ヤマボウシ(ミズキ科)の諸説がある。ヤマグワもハリグワも蚕の飼料として使われる。神話説話の対象となる植物としてはクワ科の方に、また、仙女の化身としては、枝に棘をもつハリグワの方に軍配が上がると考えられている。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

 

 春日大社の植物解説板には、柘(つみ)とは、「蚕が葉を摘み取って食すゆえの名前である」と書かれている。

 

この歌は、三八五~三八七歌の題詞「仙柘枝歌三首」<仙柘枝(やまびめつみのえ)の歌三首>のうちの一首である。

この三首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1020)」で紹介している。

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 「柘(つみ)」を詠った歌は、万葉集には三首収録されている。三八五~三八七歌の題詞「仙柘枝歌三首」の三八六歌と一九三七歌である。

 

 三八六歌をみてみよう。

 

◆此暮 柘之左枝乃 流来者 樑者不打而 不取香聞将有

               (作者未詳 巻三 三八六)

 

≪書き下し≫この夕(ゆうへ)柘(つみ)のさ枝(えだ)の流れ来(こ)ば梁(やな)は打たずて取らずかもあらむ

 

(訳)今宵(こよい)、もし仙女に化した柘(つみ)の枝が流れてきたならば、梁(やな)は仕掛けてないので、枝を取らずじまいになるのではなかろうか。(同上)

(注)やなうつ【梁打つ】分類連語:「梁(やな)」を仕掛ける。くいを打って梁を構え作る。(学研)

 

次は一九三七歌である。

 

◆大夫之 出立向 故郷之 神名備山尓 明来者 柘之左枝尓 暮去者 小松之若末尓 里人之 聞戀麻田 山彦乃 答響萬田 霍公鳥 都麻戀為良思 左夜中尓鳴

                (作者未詳 巻十 一九三七)

 

≪書き下し≫ますらをの 出(い)で立ち向ふ 故郷(ふるさと)の 神なび山に 明けくれば 柘(つみ)のさ枝(えだ)に 夕(ゆふ)されば 小松(こまつ)が末(うれ)に 里人(さとびと)の 聞き恋ふるまで 山彦(やまびこ)の 相(あひ)響(とよ)むまで ほととぎす 妻恋(つまごひ)すらし さ夜中(よなか)に鳴く

 

(訳)ますらをが家を出で立って相向かう、この故郷(ふるさと)の神なび山に、明け方がやって来ると柘(つみ)の枝で、夕方になると松の梢(こずえ)で、里人が聞いて懐かしがるほどに、山彦が響いて返ってくるほどに、―――妻を求めているらしく―――、時鳥(ほととぎす)が、今このま夜中にしきりに鳴き立てている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)神なび山:古京明日香の神のこもる山。ここは、橘寺東南のミハ山か。

 

 

 歌碑(プレート)の歌の「いにしへに梁(やな)打つ人」は、吉野の漁夫「味稲(うましね)」のことであるが、吉野の梁漁を詠った歌をみてみよう。

 

◆安太人乃 八名打度 瀬速 意者雖念 直不相鴨

               (作者未詳 巻十一 二六九九)

 

≪書き下し≫阿太人(あだひと)の梁(やな)打ち渡す瀬を早み心は思へど直(ただ)に逢はぬかも

 

(訳)阿太人が梁を掛け渡す川瀬、その瀬が早くて渡れないように逢瀬(おうせ)が妨げられているので、心の中だは思っているけれど、じかには逢(あ)うことができない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)阿太:奈良県五條市阿太

(注)上三句は周囲がうるさくて逢い難いことの譬え

 

「阿太」を詠った歌もみてみよう。

 

◆真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散

               (作者未詳 巻十 二〇九六)

 

≪書き下し≫真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野(おほの)の萩の花散る

 

(訳)葛が一面に生い茂る原、その原を押し靡かせる秋の風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花がはらはらと散る。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)阿太の大野:奈良県五條市阿太付近の野。大野は原野の意。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その442)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」