万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1051)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(11)―万葉集 巻十 一九七二

●歌は、「野辺見ればなでしこの花咲にけり我が待つ秋は近づくらしも」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(11)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆野邊見者 瞿麦之花 咲家里 吾待秋者 近就良思母

               (作者未詳 巻十 一九七二)

 

≪書き下し≫野辺(のへ)見ればなでしこの花咲きにけり我(わ)が待つ秋は近づくらしも

 

(訳)野辺を見やると、なでしこの花がもう一面に咲いている。私が待ちに待っている秋は、すぐそこまで来ているらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)らし 助動詞特殊型 《接続》活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型活用の語には連体形に付く。:①〔推定〕…らしい。きっと…しているだろう。…にちがいない。▽現在の事態について、根拠に基づいて推定する。②〔原因・理由の推定〕(…であるのは)…であるかららしい。(…しているのは)きっと…というわけだろう。(…ということで)…らしい。▽明らかな事態を表す語に付いて、その原因・理由となる事柄を推定する。

助動詞特殊型語法(1)連体形と已然形の「らし」(2)上代の連体形「らしき」 上代の連体形には「らしき」があったが、係助詞「か」「こそ」の結びのみで、しかも用例は少ない。係助詞「こそ」の結びの場合、上代では、形容詞型活用の語の結びはすべて連体形であるので、これも連体形とされる。(3)「らむ」との違い⇒らむ(4)主として上代に用いられ、中古には和歌に見られるだけである。(5)ラ変型活用の語の連体形に付く場合、活用語尾の「る」が省略されて、「あらし」「けらし」「ならし」などの形になる傾向が強い。

⇒注意「らし」が用いられるときには、常に、推定の根拠が示されるので、その根拠を的確にとらえることである。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)も 終助詞:《接続》文末、文節末の種々の語に付く。〔詠嘆〕…なあ。…ね。…ことよ。 ※上代語。(学研)

 

 なでしこは、河原に多く自生していることから「カワラナデシコ」の別名で呼ばれている。渡来した「唐ナデシコ」に対し「大和ナデシコ」と呼ばれ、つつましさと美しさを具えた日本女性の象徴的意味合いでも使われている。

 

 なでしこは、山上憶良の「秋の七種の花」にも詠われている。

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花

                  (山上憶良 巻八 一五三八)

   ▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

 この「秋の七種の花」の歌ならびにそれぞれの花について、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1027)」で紹介している。

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 「その1027」でも紹介していたが、家持(十五歳)は坂上大嬢になでしこを詠んだ歌を贈っている。天平四年(732年)頃と思われる。

 

 題詞は、「大伴宿祢家持贈坂上家之大嬢歌一首」<大伴宿禰家持、坂上家(さかのうえのいへ)の大嬢(おほいらつめ)に贈る歌一首>である。

 

◆吾屋外尓 蒔之瞿麦 何時毛 花尓咲奈武 名蘇経乍見武

                (大伴家持 巻八 一四四八)

 

≪書き下し≫我がやどに蒔(ま)きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む

 

(訳)我が家の庭に蒔いたなでしこ、このなでしこはいつになったら花として咲き出るのであろうか。咲き出たならいつもあなただと思って眺めように。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)いつしかも【何時しかも】分類連語:〔下に願望の表現を伴って〕早く(…したい)。今すぐにも(…したい)。 ⇒ なりたち副詞「いつしか」+係助詞「も」(学研)

(注)なそふ【準ふ・擬ふ】他動詞:なぞらえる。他の物に見立てる。 ※後には「なぞふ」とも。(学研)

 「いつしかも花に咲きなむなそへつつ見む」と早く坂上大嬢が成長することを願いつつ、なでしこの花そのものを大嬢として見ているとの意

 

天平五年(733年)、大伴坂上郎女と家持の間で、「三日月」を詠題とする宴歌が交わされている。この歌のなかでも、家持は大嬢への思いを詠っている。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その7改)」で郎女の歌を、「同(その8改)」で家持の歌を紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部訂正してあります。ご容赦下さい。)

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大嬢の年令(十三歳に達していなかったと思われる)を考え、まだ郎女は大嬢を家持に嫁がせることをしなかったのであろう。

天平十一年(739年)秋、家持二十二歳の時に大嬢と結婚したと思われる。

 

 同年の六月に、家持は「亡妾(ぼうせふ)を悲傷(かな)しびて」歌(四六二歌)を詠んでいる。妾を亡くした時期ははっきりしていないが、大嬢との結婚話が進む中で、改めて亡くした当時の気持ちに立ち帰り詠んだものと思われる。長歌を含み、四六二から四七四歌までが収録されている。四六三歌は、家持の四六二歌に和(こた)えた弟書持(ふみもち)の歌である。

(注)妾:妻のひとり、正妻に次ぐもの。

 

四六四歌は、「なでしこ」を詠んでいるのである。

四六二、四六四歌をみてみよう。

 

 四六二歌の題詞は、「十一年己卯夏六月大伴宿祢家持悲傷亡妾作歌一首」<十一年己卯(つちのとう)の夏の六月に、大伴宿禰家持、亡妾(ぼうせふ)を悲傷(かな)しびて作る歌一首>である。

 

◆従今者 秋風寒 将吹焉 如何獨 長夜乎将宿

               (大友家持 巻三 四六二)

 

≪書き下し≫今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜(よ)を寝(ね)む

 

(訳)今からは秋風がさぞ寒々と吹くであろうに、どのようにしてたった一人で、その秋の夜長を寝ようというのか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)陰暦の夏の六月は秋七月の直前であるのでこのように詠っている。

 

 

四六四歌をみてみよう。

 

題詞は、「又家持見砌上瞿麦花作歌一首」<また、家持、砌(みぎり)の上(うへ)の瞿麦(なでしこ)の花を見て作る歌一首>である。

 

◆秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞

               (大伴家持 巻三 四六四)

 

≪書き下し≫秋さらば見つつ偲へと妹(いも)が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも

 

(訳)「秋になったら、花を見ながらいつもいつも私を偲(しの)んで下さいね」と、いとしい人が植えた庭のなでしこ、そのなでしこの花はもう咲き始めてしまった。(同上)

(注)咲きにけるかも:早くも夏のうちに咲いたことを述べ、秋の悲しみが一層増すことを予感している。

 

 妾は、家持がなでしこをこよなく愛していることを知っているので、自分の思いをなでしこに託したのであろう。

 

 家持は、越中時代、今でいう地方単身赴任のうっぷんをぶちまけた長歌(巻十八 四一一三)と短歌二首(同四一一四、四一一五)を詠っている。その中で「なでしこがその花妻に・・・」と都の大嬢への思いを詠っている。

 この長歌については、2020年11月4日に訪れた富山県氷見市臼が峰往来入口の歌碑に刻されており、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その810)」で紹介している。

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 家持にとって、なでしこはいとしい人そのものなのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」