万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1054)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(14)―万葉集 巻十一 二五〇〇

●歌は、「朝月の日向黄楊櫛古りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(14)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(14)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽

               (作者未詳 巻十一 二五〇〇)

 

≪書き下し≫朝月(あさづき)の日向(ひむか)黄楊櫛(つげくし)古(ふ)りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ

 

(訳)朝月の日に向かうというではないが、使い古した日向の黄楊櫛のように、私たちの仲はずいぶん古さびてしまったけれど、どうして、あなたは、いくら見ても飽きることがないのでしょうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あさづきの【朝月の】枕: 朝方の月が日と向かい合うところから、地名「日向(ひむか)」にかかる。[補注]万葉例、「朝月日 向」として、「朝づく日」を「向ひ」にかかる枕詞とする説もある。→あさづくひ(朝付日)(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)上二句は序。「古りぬれ」を起こす。

(注)古りぬれ:古い仲になる

(注)なにしか【何しか】分類連語:どうして…か。▽原因・理由についての疑問に用いる。 ⇒なりたち 副詞「なに」+副助詞「し」+係助詞「か」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 逢瀬を楽しんだ後の身づくろいに使う古びた黄楊櫛に自分たちの思いを重ねているのである。

 

 

 万葉集では、ツゲの木そのものよりも、櫛などの調度品の素材に対する認識が強くそういった歌が多い。黄楊を詠った歌をみてみよう。

 

一七七七歌は、播磨娘子は、石川大夫が任により都に戻ることになり、もらった黄楊の櫛がもう手に取ることがなくなる、つまり逢瀬を重ねることがもうないというむなしさを詠っている。

 

◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念

                  (播磨娘子 巻九 一七七七)

 

≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 

(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その691)」で紹介している。

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 次の歌は、黄楊で作った枕であるが、黄楊の枕の主を重ねて待ち焦がれる気持ちを詠っている。

 

◆夕去 床重不去 黄楊枕 何然汝 主待固

               (作者未詳 巻十一 二五〇三)

 

≪書き下し≫夕去れば床(とこ)の辺(へ)去らぬ黄楊枕(つげまくら)何しか汝(な)れが主(ぬし)待ちかたき

 

(訳)夕方になるとかならず床の辺にいついて離れない黄楊の枕よ、お前は、どうしてお前の主人(あるじ)を待ち迎えることができないのか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)主:女の待ち焦がれる男

 

 

 次の歌では「黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押(おさ)へ刺(さ)す うらぐはし子」と、「黄楊の櫛」を持っている、父母にもうち明けられないほどの近寄りがたい女性であると詠っているのである。

 

◆打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀文吾子 諾ゝ名 母者不知 諾ゝ名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 卜細子 彼曽吾孋

               (作者未詳 巻十三 三二九五)

 

≪書き下し≫うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏(ふ)み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押(おさ)へ刺(さ)す うらぐはし子 それぞ我(わ)が妻

 

(訳)うちひさつ三宅の原を、地べたに裸足なんかを踏みこんで、夏草に腰をからませて、まあ、いったいどこのどんな娘御(むすめご)ゆえに通っておいでなのだね、お前。ごもっともごもっとも、母さんはご存じありますまい。ごもっともごもっとも、父さんはご存じありますまい。蜷の腸そっくりの黒々とした髪に、木綿(ゆう)の緒(お)であざさを結わえて垂らし、大和の黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)を押えにさしている妙とも妙ともいうべき子、それが私の相手なのです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは「三宅」にかかっている。

(注)三宅の原:奈良県磯城郡三宅町付近。

(注)ひたつち【直土】名詞:地面に直接接していること。 ※「ひた」は接頭語。(学研)

(注)こしなづむ【腰泥む】分類連語:腰にまつわりついて、行き悩む。難渋する。(学研)

(注)うべなうべな【宜な宜な・諾な諾な】副詞:なるほどなるほど。いかにももっともなことに。(学研)

(注)みなのわた【蜷の腸】分類枕詞:蜷(=かわにな)の肉を焼いたものが黒いことから「か黒し」にかかる。(学研)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)あざさ:ミツガシワ科アサザ属の多年生水草ユーラシア大陸の温帯地域に生息し、日本では本州や九州に生息。5月から10月頃にかけて黄色の花を咲かせる水草。(三宅町HP) ※あざさは三宅町の町花である。現在の植物名は「アサザ」である。

(注)うらぐはし【うら細し・うら麗し】形容詞:心にしみて美しい。見ていて気持ちがよい。すばらしく美しい。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その432)」で紹介している。

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 次の歌は、大伴家持が、高橋虫麻呂田辺福麻呂が詠った「菟原娘子(うなひをとめ)」の伝説歌に後から唱和する形で作った歌である。ここでは、娘子の大切な持ち物であった黄楊の小櫛は、娘子の霊魂の象徴として詠われているのである。

 

長歌(四二一一歌)と短歌(四二一二歌)の題詞は、「追同處女墓歌一首幷短歌」<処女墓(をとめはか)の歌に追同する一首併せて短歌。である。

(注)処女:葦屋の菟原娘子(うなひをとめ)

(注)処女墓の歌:田辺福麻呂(一八〇一~一八〇三歌)、高橋虫麻呂(一八〇九~一八一一歌)などがある。

(注)追同:後から唱和すること

 

◆古尓 有家流和射乃 久須婆之伎 事跡言継 知努乎登古 宇奈比牡子乃 宇都勢美能 名乎競争登 玉剋 壽毛須底弖 相争尓 嬬問為家留 ▼嬬等之 聞者悲左 春花乃 尓太要盛而 秋葉之 尓保比尓照有 惜 身之壮尚 大夫之 語勞美 父母尓 啓別而 離家 海邊尓出立 朝暮尓 滿来潮之 八隔浪尓 靡珠藻乃 節間毛 惜命乎 露霜之 過麻之尓家礼 奥墓乎 此間定而 後代之 聞継人毛 伊也遠尓 思努比尓勢餘等 黄楊小櫛 之賀左志家良之 生而靡有        

               (大伴家持 巻十九 四二一一)

   ※   ▼は、{女偏に感} 「▼嬬」で「をとめ」と読む

 

≪書き下し≫いにしへに ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継(つ)ぐ 茅渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命(いのち)も捨てて 争ひに 妻(つま)どひしける 娘子(をとめ)らが 聞けば悲しさ 春花(はるはな)の にほえ栄(さか)えて 秋の葉の にほひに照れる あたらしき 身の盛りすら ますらをの 言(こと)いたはしみ 父母(ちちはは)に 申(まを)し別れて 家(いへ)離(ざか)り 海辺(うみへ)に出で立ち 朝夕(あさよひ)に 満ち来る潮(しほ)の 八重波(やへなみ)に 靡(なび)く玉藻(たまも)の 節(ふし)の間(ま)も 惜(を)しき命(いのち)を 露霜(つゆしも)の 過ぎましにけれ 奥城(おくつき)を ここと定(さだ)めて 後(のち)の世の 聞き継ぐ人も いや遠(とほ)に 偲(しの)ひにせよと 黄楊(つげ)小櫛(をぐし) しか挿(さ)しけらし 生(お)ひて靡けり

 

(訳)遠き遥かなる世にあったという出来事で、世にも珍しい話と云い伝えている、茅渟壮士(ちぬおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)とが、この世の名誉にかけても負けてなるかと、命がけで先を争って妻どいしたという、その娘子の話は聞くもあわれだ。春の花さながらに照り栄え、秋の葉さながらに光り輝いている、そんなもったいない女盛りの身なのに、二人の壮士の言い寄る言葉をつらいことと思い、父母に暇乞(いとまご)いをして家をあとに海辺に佇(たたず)み、朝に夕に満ちてくる潮の、幾重もの波に靡く玉藻、その玉藻の節(ふし)の間(ま)ほどのあいだも惜しい命なのに、冷たい露の消えるようにはかなくなってしまわれたとは。それでお墓をここと定めて、のちの世の聞き伝える人もいついつまでも偲(しの)ぶよすがにしてほしいと、娘子の黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)をそんなふうに墓に挿したのであるらしい。それが生い茂ってそちらに靡いている。(同上)

(注)くすばし【奇ばし】[形]:珍しい。不思議である。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)名を争ふ:名誉にかけて争うこと

(注)にほえ:つやつやと色香に溢れて。 にほゆの連用形か。

(注)いたはしみ:心を痛めて

(注)ふしのま【節の間】分類連語:(竹・葦(あし)などの)節と節との間。きわめて短い時間。ごくわずかの間。(学研)

(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。(学研)

(注)おくつき【奥つ城】名詞:①墓。墓所。②神霊をまつってある所。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。「き」は構え作ってある所の意。(学研)

(注)黄楊小櫛:黄楊で作った櫛:女の大切な持ち物。娘子の霊魂を象徴している。

 

左注は、「右五月六日依興大伴宿祢家持作之」<右は、五月六日に、興に依りて大伴宿禰家持作る>である。

 

 

◆乎等女等之 後乃表跡 黄楊小櫛 生更生而 靡家良思母

               (大伴家持 巻十九 四二一二)

 

≪書き下し≫娘子らが後(おち)の標(しるし)と黄楊小櫛(つげをぐし)生(お)ひ変(かは)り生(お)ひて靡きけらしも

 

(訳)娘子ののちの世への目じるしにと、黄楊の小櫛、この櫛は木となって生(は)え変わり生い茂って、そちらに靡いたものであるらしい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 四二一一、四二一二歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その947)」で紹介している。

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 このように黄楊の櫛なり枕は逢瀬の必要不可欠な小道具であり、また日常的にも肌身離さずの代物であったが故に、逢瀬の象徴、持つ女性そのもの、いな魂までをも象徴すると考えられ詠まれていたのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「三宅町HP」