万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1059)―「奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園  (19)」―万葉集 巻八 一五〇〇

●歌は、「夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋はくるしきものぞ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(19)万葉歌碑<プレート>(大伴坂上郎女

●歌碑(プレート)は、「奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園  (19)」である。

 

●歌をみていこう。

 

◆夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽

              (大伴坂上郎女 巻八 一五〇〇)

 

≪書き下し≫夏の野の茂(しげ)みに咲ける姫(ひめ)百合(ゆり)の知らえぬ恋は苦しきものぞ

 

(訳)夏の野の草むらにひっそりと咲いている姫百合、それが人に気づかれないように、あの人に知ってもらえない恋は、苦しいものです。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「大伴坂上郎女歌一首」<大伴坂上郎女が歌一首>である。

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その329)」で紹介している。

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 大伴坂上郎女のその人となりをたった一回のブログで書き記すことは無謀であるが、万葉集に記された文言を追ってさわりだけでも迫ってみたい。

 

 大伴坂上郎女については、題詞、「大伴郎女和歌四首」<大伴郎女が和(こた)ふる歌四首>(五二五から五二八歌)の左注に、「右郎女者佐保大納言卿之女也 初嫁一品穂積皇子 被寵無儔而皇子薨之後時 藤原麻呂大夫娉之郎女焉 郎女家於坂上里 仍族氏号日坂上郎女也」<右、郎女は佐保大納言卿(さほのだいなごんのまへつきみ)が女(むすめ)なり。初(は)じめ一品(いっぽん)穂積皇子(ほづみのみこ)に嫁(とつ)ぎ、寵(うつくしび)を被(かがふ)ること儔(たぐひ)なし。しかして皇子の薨(こう)ぜし後に、藤原麻呂大夫(ふぢはらのまろのまへつきみ)、郎女を娉(つまど)ふ。郎女、坂上(さかうへ)の里(さと)に家居(いへい)す。よりて族氏(やから)号(なづ)けて坂上郎女といふ。>とある。

(注)佐保大納言卿:大伴安麻呂

(注)一品:皇子皇女の官位四品中の筆頭

(注)坂上の里:佐保西方の歌姫越に近い地らしい。

 

 この歌群の歌(五二五から五二八歌)ならびに左注については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その6改)」で紹介している。

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 「大伴郎女が和(こた)ふる歌四首」とは、題詞 「京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱日麻呂也」<京職(きやうしき)藤原大夫が大伴郎女(おほとものいらつめ)に贈る歌三首 卿、諱(いみな)を麻呂といふ>(五二二から五二四歌)に「和(こた)」えた歌なのである。「藤原大夫」は、藤原不比等の第四子で、前掲の歌群(五二五から五二八歌)の左注にあった郎女の二番目の夫である。(麻呂二十七歳、郎女二十歳ころと言われている。

 

 この歌群の歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その345)」で紹介している。

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三番目の夫は、異母兄の宿奈麻呂(すくなまろ)である。宿奈麻呂との間には、大伴家持の正妻となった坂上大嬢をもうけている。

 

 このことは、題詞、「大伴田村家之大嬢與妹坂上大嬢歌四首」<大伴(おほとも)の田村家(たむらのいへ)の大嬢(おほいらつめ)、妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌四首>(七五六~七五九歌)の左注に書かれている。

左注は、「右田村大嬢坂上大嬢並是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也 卿居田村里号曰田村大嬢 但妹坂上大嬢者母居坂上里 仍曰坂上大嬢 于時姉妹諮問以歌贈答」<右、田村大嬢、坂上大嬢は、ともにこれ右大弁(うだいべん)大伴宿奈麻呂卿(おほとものすくなまろのまへつきみ)が女(むすめ)なり。 卿、田村の里に居(を)れば、号(なづ)けて田村大嬢といふ。ただし妹(いもひと)坂上大嬢は、母、坂上の里に居る。よりて坂上大嬢といふ。時に姉妹、諮問(とぶら)ふに歌をもちて贈答す>である。

宿奈麻呂は、田村の里に住まいし、坂上郎女のいる坂上の里に通っていたようである。

 

 巻四 五八一から五八四歌の歌群の題詞は、「大伴坂上家之大娘報贈大伴宿祢家持歌四首」<大伴坂上家(さかのうえのいへ)の大嬢(おほいらつめ)、大伴宿禰家持に報(こた)へ贈る歌四首>である。

 家持の女性遍歴は有名であるが、初恋の女性はこの大嬢である。湯余曲折を経て正妻に迎えることになるのである。

 「報(こた)へ贈る」とあるから、収録されてはいないが家持は歌を大嬢に贈っていると思われる。ただこの歌が作られたのは、天平四年(732年)頃であるから、大嬢は、九、十歳と思われ、とても歌を作れる歳ではない。おそらく、母大伴坂上郎女の代作と考えられている。

歌をみてみよう。(作者名は、坂上大嬢<さかのうえのおほいらつめ>としてある。)

 

◆生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴

               (坂上大嬢 巻四 五八一)

 

≪書き下し≫生きてあらば見まくも知らず何(なに)しかも死なむよ妹(いも)と夢(いめ)に見えつる

 

(訳)生きてさえいたら逢える日があるかもしれません。なのにどうして「もう死んでしまおうよ、妹いも」」などと言って夢(ゆめ)に出てこられるのですか。」(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みまく【見まく】分類連語:見るだろうこと。見ること。 ※上代語。 ⇒ なりたち 動詞「みる」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)

(注)なにしかも【何しかも】:[連語]「なにしか」を強めた言い方。なんでまあ…か。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方

               (坂上大嬢 巻四 五八二)

 

≪書き下し≫ますらをもかく恋ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも

 

(訳)めそめそしないはずの大夫(ますらお)だってこんなに恋するものなのですね。ましてかよわいかよわい女の恋する苦しさに太刀打ちできるものがありましょうかね。(同上)

(注)かく恋ひける:五八一歌の「死なむよ妹」をさす。

(注)たわやめ【手弱女】名詞:しなやかで優しい女性。「たをやめ」とも。 ※「たわや」は、たわみしなうさまの意の「撓(たわ)」に接尾語「や」が付いたもの。「手弱」は当て字。[反対語] 益荒男(ますらを)。(学研)

(注)たぐひ【類・比】名詞:①仲間。連れ。②人々。連中。③例。同類。④種類。…ようなもの。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

◆月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来

               (坂上大嬢 巻四 五八三)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)のうつろひやすく思へかも我(あ)が思ふ人の言(こと)も告げ来(こ)ぬ

 

(訳)こんなにもお慕いしている私を、月草のように移り気な女とお思いなのか。私の思う方がお便りすらも下さらない。(同上)

(注)つきくさの【月草の】分類枕詞:月草(=つゆくさ)の花汁で染めた色がさめやすいところから「移ろふ」「移し心」「消(け)」などにかかる。(学研)

 

 

春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨

               (坂上大嬢 巻四 五八三)

 

≪書き下し≫春日山(かすがやま)朝立つ雲の居(ゐ)ぬ日なく見まくの欲しき君にもあるかも

 

(訳)春日山に毎朝きまってかかる雲のように、いつもおそばで見ていたいあなた、いとしくてならぬあなたです。(同上)

 

 五八二歌の「たわやめ」に「幼婦」、五八三歌の「思へかも」の「も」に「母」と書かれているのは、書き手の「戯れ書き」かもしれない。

 家持の歌に「報(こた)へ贈る」のは、代作とはいえ、母たる大伴坂上郎女が二人の仲を認めたと考えられるのである。

 

 

異母兄に大伴旅人(たびと)がいる。

 旅人亡き後、大伴坂上郎女は、家刀自として一族の後見役となり、万葉集に祭神歌が収録されている。

 歌をみてみよう。

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 

                (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝析(さ)き伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸(か)け かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を取り付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(同上)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(同上)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(同上)

(注)ぬきたる 【貫き垂る】他動詞:(玉などを)貫いて垂らす。(同上)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる(同上)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(同上)

(注)君に逢はじかも:祖神の中に、亡夫宿奈麻呂を封じ込めた表現

 

題詞は、「大伴坂上郎女祭神歌一首并短歌」<大伴坂上郎女(おほとものさかのうえのいらつめ)、神を祭る歌一首并せて短歌>である。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その291)」で紹介している。

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 犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」の中で、「・・・大伴坂上郎女は一族の後見役になりました。旅人が死んでしまいましたから、大伴家の大事な世話役です。そして、この人は非常に、才色兼備の人といっていいと思います。多才の生涯であっただけに、この人には恋の歌もたくさんあるし、母性愛の歌もあるし、それからいろいろと大伴家の行事、公式な歌などもある。また、そればかりではなく、大伴坂上郎女は、歌人大伴家持を生み出す大事な蔭(かげ)の人になっていると思う。家持が歌を好きになっていったのは、この叔母にあたる大伴坂上の後楯(うしろだて)がずいぶんあったと思いますね。そういう意味でも大事な人なんですが、何よりも彼女は本当の歌人であり、歌作りといえましょう。」と書いておられる。

 そして、「その上、この人の歌など見ていますと、恋というものを、素朴な、熱烈な恋ということから、少しづつ貴族社会の社交的なものになっていく匂いも、この人の作品の中には思われます。このことがやがて、初期の万葉から、だんだん平安の方へとつながる要素になるわけですね。そういう意味からも、この人の歌の生涯というものは大変意味深いと思います。」と述べられている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 著 (祥伝社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」