―その1060―
●歌は、「梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(20)にある。
●歌をみていこう。
◆梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨 (郎女)
(石川郎女 巻二 九八)
≪書き下し≫梓(あずさ)弓(ゆみ)引かばまにまに寄(よ)らめども後(のち)の心を知りかてぬかも
(訳)梓弓を引くにように本気で引っぱって下さったら、お誘いのままに寄り従いましょうが、行く末のあなたの心がわかりかねるのです。 (郎女)(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)あづさゆみ【梓弓】名詞:梓の木で作った丸木の弓。狩猟のほか、祭りにも用いられた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)あづさゆみ【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)
(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ⇒参考 名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)
(注)かてぬ 分類連語:…できない。…しにくい。 ⇒なりたち 補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連体形(学研)
題詞「久米禅師(くめのぜんじ)、石川郎女(いしかはのいらつめ)を娉(つまど)ふ時の歌五首」のうちの一首である。
九六から一〇〇歌まで、すべてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その208)」で紹介している。
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久米禅師も石川郎女も伝未詳である。収録の前後をみてみると違和感がある。
巻二の「相聞」は、巻頭歌が磐姫皇后であり、続いて、天智天皇と鏡王女(九一、九二歌)、さらに藤原鎌足と鏡王女(九三、九四歌)の相聞歌が収録されており、そして鎌足が安見児を娶る歌(九五歌)の次に、この久米禅師と石川郎女の「娉(つまど)ふ時の歌」(九六から一〇〇歌)が収録されている。
後ろの一〇一、一〇二歌は、旅人の父安麻呂が巨勢郎女を娉ふ時の歌であり、天武天皇と藤原夫人、大伯皇女、大津皇子、草壁皇子、弓削皇子、額田王とビッグネームが続いている。
「娉(つまど)ふ時の歌」として当時は一世を風靡していたのであろう。ここに収録した編纂者のしたたかな戦略があったのかもしれない。
―その1061―
●歌は、「朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(21)にある。
●歌をみていこう。
◆朝杲 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
(作者未詳 巻十 二一〇四)
≪書き下し≫朝顔(あさがほ)は朝露(あさつゆ)負(お)ひて咲くといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ
(訳)朝顔は朝露を浴びて咲くというけれど、夕方のかすかな光の中でこそひときわ咲きにおうものであった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
現在のアサガオは、この当時渡来していないので、この「朝顔(あさがほ)」については、桔梗(ききょう)説・木槿(むくげ)説・昼顔説などがあるが、木槿も昼顔も夕方には花がしぼむので、「夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ」というのは桔梗であると考えるのが妥当であろう。
万葉集には朝顔を詠んだ歌は五首収録されている。これらはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その283)」で紹介している。
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―その1062―
●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(22)にある。
●歌をみていこう。
◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹
(柿本朝臣人麿歌集 巻十
一八九五)
≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)
(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。
(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。
参考(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
春日大社神苑萬葉植物園の植物解説板には、「さきくさ」は枝が三つに分かれている植物のことだといわれ、「檜(ヒノキ)」・「三椏・三叉(ミツマタ)」・「山百合(ヤマユリ)」・「山牛蒡(ヤマゴボウ)」・三つ葉せり・「笹百合(ササユリ)」・「沈丁花(チンチョウゲ)」・ツリガネニンジン・イカリソウ・オケラ・「(福寿草)フクジュソウ」・イネ・マツなど多くの説があり、実際には現在どの植物に該当するか不明である。」と書かれている。
この歌については、直近ではブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介しているが、この碑(プレート)は、「笹百合(ササユリ)」説に基づいて設置されている。
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「さきくさ」を詠んでいる歌は、この歌と、憶良の「・・・父母も うへはなさかり さきくさの 中にを寝むと 愛(うつく)しく・・・(・・・「父さんも母さんもそばを離れないでね。ぼく、まん中に寝る」と、・・・)」(巻五 九〇四歌)の二首だけで、どちらも植物そのものを詠ってなくて掛詞・枕詞として使っているので植物についての意見が分かれているのである。
―その1063―
●歌は、「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(23)にある。
●歌をみていこう。
◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋 或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)
≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は 或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ
(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(学研)
「いちし」が詠まれているのはこの一首のみである。「いちし」については、古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナの諸説が入り乱れ、万葉植物群の中で最も難解な植物とされていた。牧野富太郎氏によってヒガンバナ説が出され、山口県では「イチシバナ」、福岡県では、「イチジバナ」という方言があることが確認され、ヒガンバナ説が定着した。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その319)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」